新しい宿りの地―全能者の陰に宿る生涯

2018年5月27日
聖書箇所:詩篇91篇
説教:深谷春男牧師

 今日は「牧師就任式」が午後2時半からあります。わたしども、深谷春男と深谷美歌子は、この新宿西教会の牧師として神と会衆との前で、誠実に牧師の務めをすることを誓約し、教会員の兄弟姉妹も、神と会衆の前で牧師を招聘し神の教会を形成して行くことを誓約する厳粛なすばらしいひと時を持ちます。わたしはこの記念すべき新宿西教会の牧師として召された就任式の日に祈りつつ導かれたのは詩篇91篇でした。わたしは初めて牧会したのは赤羽教会で、そこではイザヤ書40:31の「主を待ち望む者は新たなる力を得、鷲のように翼を張ってのぼることができる」という聖句が与えられました。次は吉川教会に招聘されてエゼキエル47:9「この川の行くところでは全てのものが生きている」という聖霊の流れの聖書箇所を示されました。さて、今回、新宿の地に遣わされてきましたが、聖書に「新宿」という言葉があるのだろうか、と祈り求めておりました。ありましたね!これは新共同訳ですが、詩篇90:1と詩篇91:1です。わたしは心ひそかに、「新宿西教会に与えられた聖句は詩篇91篇だ」と思い定めております。すばらしい聖書箇所です!ハレルヤ
 
 現代は「倒壊の時代」であると言われています。21世紀のはじめ、2001年9月11日の同時多発テロによってニューヨークの国際貿易センターの2棟が崩壊した画像は瞬時にして全世界を駆け巡りました。そして、2011年3月11日の、東日本大震災。あの大地震の後、5月の連休に、娘と被災地を巡りました。わたしは怪獣が全てを踏みつぶしたような石巻や気仙沼を回りつつ、旧約聖書のバビロン軍によって全てが破砕された紀元前586年の「バビロン捕囚」のことを考えておりました。
 旧約聖書の書かれた背景は、「倒壊の時代」、「破局の時代」です。世界の歴史が揺れ動き、全ての価値観が崩れて行くような時代。国が崩壊して、異郷の地をさまようような体験をした信仰者たちの告白を、わたしどもは旧約聖書に聴きます。この詩篇91篇にも究極の世界に生きる信仰者を見ることになります。

【今日の聖書の内容および区分】
 最近の詩篇研究では、詩篇90、91、92篇を一緒に結びつけて解釈する傾向にあるようです。これはなかなか深い聖書理解であると思います。そのような方々の考えによれば以下のようになります。
 90篇はバビロン捕囚からの解放を求める祈り。
 91篇はバビロン崩壊の時、イスラエルは守られ、安全に脱出する。
 92編は解放を感謝する安息日の讃美。神の創造と救済の業を讃美する。
というようになります。詩篇88ー90篇の捕囚の災厄の詩篇が前にあるのに「災いは臨まない」(10節)と語るこの詩の大胆さは驚くべきものだと思います。荘厳な礼拝入場のために用いられたものといわれます。区分は以下の通りです。
 1- 2節 主の臨在を避け所とする者の幸い(祭司の祝福)  
 3-13節 主を信ずる者への七重の守り(祭司の言葉)
14-16節 主を信ずる者への七重の祝福(祭司からの受納神託)

【メッセージのポイント】
1)いと高き者のもとにある
  隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
  主に言うであろう、「わが避け所、わが城、
  わが信頼しまつるわが神」と。(1-2節)
   ⇒ 全能の神を、新しい宿とせよ!
 この1節は、新共同訳では「……全能の神の陰に宿る人よ」とあります。ここに「宿」という漢字が使われます。口語訳では「全能者の陰にやどる人」とひらかなが使われます。これは、詩篇90篇1節も同じです。口語訳は「主よ、あなたは世々われらのすみか」とあり、新共同訳では「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」と訳されています。この詩篇91篇や90篇では、「人間の宿るべきところは、全能者(=神)の陰なのだ」「人間は神御自身の愛の懐を宿とすべきだ」と語ります。
 わたしたちの先輩、米田豊師によれば「いと高き神のもと」とは「至聖所」を暗示する言葉であるとのことです。人生の暴風雨、大嵐を、われらは主の「隠れ場(セーテール)」で、また「全能者の陰(ツェール)」で避けるのです。わたしたち人間は弱いのです。今回の大地震や、大嵐のようなときには、人間は永遠の神様に隠れる以外に隠れるところはないのです。バビロン崩壊
の歴史的な大混乱期にはまさにそうです。神の臨在こそ、神御自身こそ、罪と死の呪いを宿とした人生から、救いと平安を宿とした人生が始まるのです。「新しい宿りの地は神御自身、神御自身の臨在そのもの」なのです。
 この詩は礼拝入堂の際に用いられたようです。わたしどもも、日曜日ごとに礼拝を捧げる時にこの詩編を思い浮かべましょう。そしてまた、永遠の主の御前に立つ最後の会堂入場の時にも、この人生の真理を思い起こしましょう。クリスチャンの人生は「全能者の陰に宿る」生涯なのです。至聖所を隠れ家とすることが許された生涯なのです。創造主を真に恐れるときに、すべての被造物世界の恐れは、恐れではなくなるのです。
 数年前に福島に帰ったときに、中学時代の恩師、渡邊正夫先生に会ってきました。先生は癌になられ、天に帰られました。渡邊先生は召される前に、癌が転移していることがわかった時に、はがきをくださいました。そこに、「キリスト教の本質は永遠の命にある。天国を確信して歩めるところにあるのだ!」とありました。天国を見上げる先生の姿に、深い平安を受けました。
 
2)主はあなたをかりゅうどのわなと、
  恐ろしい疫病から助け出されるからである。
  主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
  あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
  そのまことは大盾、また小盾である。・・・
  たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、
  万人はあなたの右に倒れても、
  その災はあなたに近づくことはない。 (3-4節、7節)
  ⇒ 主を信ずる者への七重の守り!
 この詩では、主を信ずるものへの七重の守りが歌われます。先ほどの「至聖所」の理解に立つならば、「主のみ翼の陰に憩え!」という内容は、わたしたちの罪の贖いとなりたもうた主の十字架の御許に安らえという内容になります。ここには、神の七重の守りが歌われます。 

① 3節 狩人の罠 -敵の策略-    
② 3節 恐ろしい疫病 (共同訳は「陥れる言葉」)
③ 5節 夜、脅かすもの(恐怖感)
④ 5節 昼、飛んでくる矢 (口語訳「滅び=死」)
⑤ 6、7、10節 災い(疫病、病魔、さまざまな災難)
⑥ 11節 天使による守護    
⑦ 13節 ライオンと毒蛇、大蛇を踏む(サタンに対する勝利)

人生はまことに危険と死とに囲まれています。もしも、この詩がバビロン崩壊の時に歌われたものなら、戦争の終結と共に、あらゆる思想、体制が崩壊した時です。千人が傍らに倒れ、万人が近くで倒れて行くとも、神の民は奇跡的に守られるのだとの確信を歌い、また、新しい時代へと向かう同朋に大きな励ましを与えたことと想像できます。
 主イエスの十字架によって罪赦され神と和解した人生は、死の問題も解決して行くのです。高木輝夫という先生がおられますが、神学生から聞きました。何度か癌の手術を受けられたので意気消沈しているかと思って病室を尋ねたら、先生の霊性は大変恵まれておられて、「今の心境はドアを開ければパラダイス!」という平安の中にあり、逆に励ましを受けて帰ったとのこと。

3)彼はわたしを愛して離れないゆえに、
  わたしは彼を助けよう。
  彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
  彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。
  わたしは彼の悩みのときに、共にいて、
  彼を救い、彼に光栄を与えよう。
  わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、
  わが救を彼に示すであろう。(14-16節)
  ⇒主を信ずる者への七重の祝福!
ここには主に忠実に従う者への七重の祝福が記されます。
14節 「助ける」(災いから逃れさせる)=主こそいと近き助け 詩46:1
14節 「守る」(高く上げよう」=主はわれらの守り手 詩121:1
③ 15節 「答える」=祈りの応答 詩50:15
④ 15節 「苦難の中で共にいる」-臨在の平安 イザヤ41:10
⑤ 15節 「光栄(=栄誉)」を与える-聖化・栄化 ロマ8:28-30
⑥ 16節 「長寿で満足させる」-永遠の命の充満 ヨハネ4:14, 10:10
⑦ 16節 「わが救いを見せる」-究極的救済 黙21,22章   
ここには神を信じる者への、「助け」「守り」「答え」「臨在」「栄化」「永遠の命」「究極的な救い」と神の七つの祝福が約束されます。この詩は愛唱者が多い。わたしの妻もその一人である。彼女の母は長野県喬木教会の牧師で「七重」という名前でした。うちの長女の名前も、同じ。詩篇91篇の信仰を持って歩んでほしいと思います。
「倒壊の時代」に生きるわたしどもはいつでも「主の臨在」の守りの中に歩む。主は七重の守り、七重の祝福をもってわたしどもを恵まれる。ハレルヤ!

【祈り】
全能の父なる神様。今日は、新宿西教会のために御言葉のような詩篇91篇を通して、激動のさなかに生きるわたしどもの行き方を学びました。どうぞ、どのような時にも「全能者を宿として」歩むことができますように導いてください。そして、あなたの約束された七重の守りと七重の祝福を持って、御言葉に深く信頼して歩めるように導いてください。一人一人を信仰と聖霊に満ちた神の器として用いてください。午後2時半からの就任式を祝して下さい。新宿西教会を祝し、詩篇91篇のように、リバイバルの教会として用いてください。わたしたちの救い主であり、祝福の源である、主イエスの御名によって祈ります。 アーメン