光に照らされる体験

2018年10月7日
聖書箇所:使徒行伝9:1-9
説教:深谷春男牧師

 「人生は出会いで決まる」(マルチン・ブーバー)と言われます。自分の生涯を振り返っても、いろんな方々と出会い、恵みの豊かな最高の生涯を歩んできたと感謝で一杯です。その中でも、主イエス様に出会った体験は、自分の人生の宝の部分です。主イエスとの出会いがなかったら人生はなんと味気のないものになってしまったことでしょう。ミケランジェロの描いた「サウロの回心」の絵画は、彼が馬から転落して、目が見えなくなっているさまが力強いタッチで描かれています。

【聖書箇所の概略】
人生には分岐点がある。
熱心なパリサイ人で、最高学府のガマリエル門下で学んだサウロ(回心後はパウロと改名)は、クリスチャンを嫌い迫害の先頭に立っていました。8章のステファノの殉教の時にも首謀者は彼であるといわれます。迫害の悪霊につかれた彼はエルサレムから260キロも離れたダマスコまで6日もかけて出掛けて行きました。クリスチャンを迫害し、投獄し、その信仰をやめさせようとしたのです。しかし、ダマスコのクリスチャン立ち始め多くのクリスチャンが祈っていました。
彼の生涯にも分岐点が迫っていました。 

【メッセージのポイント】
1)さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。(1~2節)
  ⇒ 神様は人を変えることができる。
 「エメラルド色の杯に盛られた白い真珠」と評されるダマスコの町。シリヤの砂漠からヘルモン山を越えると今までの茶色の多い光景とはうって変わり、緑の平原が続き、その中に白い壁の多いダマスコの町は真珠のように見えると言われます。その「エメラルド色の杯に盛られた白い真珠」のような町々を感動を持って見ながらも、サウロは「脅迫と殺害の息をはずませながら」(1節)血走った目で、クリスチャンを殺そうとして意気込んでおりました。そして今、そのパリサイ人で律法学者の若きリーダー、サウロが、主イエスに出会って、まったく新しい人生に作り変えられてしまったのでした。ここにはどのような人間でも主のみ前に変えられてゆくという、チャレンジに満ちたメッセージがあります。   
  
2)ところが道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。(3、4節)
  ⇒ 回心は突然、起こった。
 どうして、あのかたくなで、頑固なサウロが変えられたのでしょうか?聖書は「突然」それが起こったと報告しています。使徒言行録にはしばしば「突然」という語が出てきます。ペンテコステも、ペテロの救出も、ピリピ牢獄での地震も、「突然」起こったのだと言います。しかし、少し、注意して読むとこの「突然」はまったくの突然ではなく、背後に熱心な祈りが積み上げられていたことがわかります。いわば、ダイナマイトの導火線のように祈りが続き、ある時、突然、爆発するのです。
 だから、主イエスは「失望することなく、常に祈るべきことを教えられた」のです。教会でひとつ思いで祈り合うときに主の奇跡は起こります。家族や、友人のためにも、たゆまず、祈り続けましょう。           

3)そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。(5-7節)
  ⇒ 使命に生きる。
 サウロは「さあ、立って、町に入って行きなさい。そうすればそこで、あなたのなすべきことが告げられるであろう」(6節)と主イエスから語られ、新しい使命に生きることとなりました。彼は、ダマスコのクリスチャンリーダーのアナニヤから、洗礼を受けて、今度は、多くの人々に福音を伝える使徒になりました。彼の劇的な生涯はまさに世界の歴史を覆すような働きでした。使徒行伝と13の書簡に、彼の生き生きとした信仰が残され、伝えられています。さあ、あなたの人生にも、主の栄光に満ちた使命が待っています。   

4)サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。(8-9節)
  ⇒ 目から「うろこ」が落ちて。
 アナニヤに祈ってもらうと「サウロの目からうろこのようなものが落ちて」(18節)サウロに確信がやってきました。目から「うろこ」が落ちて、彼が見たものは「神の愛」でありました。「自分の罪」でありました。キリストの「十字架のあがないによる許し」でありました。それは「救い」であり、「永遠の命」でした。彼の生涯のみか全人類の歴史を変えてしまうすばらしい神の恵みの出来事でありました。彼はこのキリストを伝えることに命を懸けて生きる者とされました。この世のあらゆるものを越えた、否、死さえも越えた新しい人生が始まったのでした。 
  
 主イエスに出会うところから新しい人生は始まるのです。
名曲「アメイジング・グレイス」の作詞家ジョン・ニュートンは1725年、ロンドンで生まれました。母エリザベスは息子が将来牧師になることを願い、3~4歳の時から聖書や教理問答書、6歳からラテン語を教えたそうです。しかし母は、彼の7歳直前に召天。彼の生活は一変しました。船長だった父の仕事を継ぎ、11歳で船に乗り始め、その後、海軍の強制募集隊に捕まって無理やり水兵にされました。二年後に水兵隊を脱走。アフリカ西岸プランタン島に逃げ込みました。この島でクロウというポルトガル人と知り合いました。この男が悪名高い奴隷商人。荒れていたジョンはたちまちその仲間になり、奴隷船の船長になりました。恐ろしい罪への転落でした。1748年、22歳の時、転機はやってきました。彼は英国に帰る途中で大嵐に遭いました。死に直面した彼は、幼いときに母に教えてもらった聖書の言葉、ヘブライ6:4-6などを思い起こし、その嵐の中で、このままでは地獄に行ってしまうと恐れ、特に「求めてくる者に聖霊を与える」という言葉を思い起こし、このようなならず者に落ちぶれ果てたわたしをも救ってくださいと祈り、回心を体験しました。船は無事に英国に着き、彼はしばらくして奴隷船船長を止め、リバプールの港の潮位観測員になりました。ジョンはやがて信仰深いポリーという女性と結婚し、落ち着いた生活を送る中で次第に霊的に成長してゆきました。やがて、ウェスレーのメソジストの運動に参加し、献身を決意して牧師になりました。40数年に及ぶ牧師の尊い働きの中で讃美歌作者と交わりを持つようになって、この「アメイジング・グレイス」を作曲したといいます。彼は自分のことを“wretch”と言う言葉で呼んでいます。これは「恥知らず」「卑劣なやつ」というような意味の言葉です。神の前の自分を考えると、わたしどもは実に、「恥知らず」「卑劣なやつ」な破れだらけのものです。
 でも、ジョン・ニュートンも、サウロも、好地由太郎も、アウグスチヌスも主イエスに出会って人生を大きく変えられたのです。主は人を変えることが出来るのです。
 
【祈り】
天の父なる御神。恵みの時を感謝します。今日は使徒行伝9章より、教会史の中でも、大変大きな出来事、サウロの回心の記事を学ばせていただきました。あなたは迫害者サウロを作り変えてご自身の器となさいました。どのような人でも作り変えうるあなたを見上げます。しかもそれは突然に起こることを学びました。今まで霊のまなこを覆っていたうろこが落ちて、はっきりと主よ、あなたを見上げ、使命を確信して歩むことができるように我らを導いてください。主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。