愛する方々を思い起こす

2018年10月28日 永眠者記念礼拝
聖書箇所:ヘブル人への手紙13:7、8
説教:深谷春男牧師

永眠者記念礼拝は教会の大事な記念の日です。このようにわたしどもの教会では、すでに天に召された方々の写真をお飾りして、先輩方を覚えその信仰を学ぶと共に、主にお会いする日を覚えたいと思います。
昨年の2017年11月1日の「アパルーム」(毎日読む黙想雑誌)に、クリスティン・ディスタシオさんという米国の女性の方の奨励が載っていました。彼女の家には「家宝」があるというのです。その家宝はいくつかあり古い物では1700年代のもので、時が来たら息子に引き継ぐというのです。わたしはこの奨励を読みながらしばらく、「深谷家の家宝は何か?」をしばらく考えておりました。自分の家には後世に残すべき何かがあるのだろうか?わたしは父や母から頂いた「家宝」なるものはない。いや、目に見える「家宝」なるものはない、というべきか?わたしの父母から受けたものは精神的なもので、男らしく、真実に生きよ。家族を愛し、友情を大切にせよと教えられました。妻の美歌子牧師の家族は、両親は牧師であり、その生涯を貫いて、その後ろ姿で語っておりました。「信仰を第一に生きよ。子供たちに信仰を継承し、キリストの日を目指して、善かつ忠なる僕として歩め。」その「家宝」は徹底的なキリスト教信仰であり、ホーリネスの四重の福音に生きる、その献身の歩みです。お母さんの召される時に子供達への遺言書が見つかりました。子供たちを信仰に導くように。長男のお嫁さんを大切に!という熱い祈りの内容でした。
「永眠者記念礼拝」を前に、後世に何を残すかを切実に考えるのは、68歳の年のせいでしょうか。内村鑑三の名講演に「後世への最大遺物」というのがありますが、もう一度読み返しつつ、「勇ましく高尚なる生涯」を次の世代に、家族や子供たちに残したいと切に思いました。 うちの「家宝」は、聖書であり、信仰であり、キリストの贖いの血潮であり、聖霊なる神ご自身であり、内住のキリスト、栄光の希望、天国への確信なのだと熱く思いおこしました。ハレルヤ!

【聖書箇所の概説】
今日の聖書はヘブル人への手紙13章です。この手紙は塚本虎二先生が第二の宗教改革はこの手紙から起こると予言されたようなすばらしい内容を持っています。この手紙の中から、「家宝」をお分けするような思いで皆様に語らせて頂きたいと願っています。

【メッセージのポイント】
1)神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。(7節)
⇒ 思い起こしなさい。= ザーカール
今日の聖句はまず、「思いおこしなさい」という言葉から始まります。「思い起こしなさい」という言葉は、ユダヤの方々が使っていたヘブル語では「ザーカール」という言葉で覚えやすいと思います。わたしが神学生の頃に読んだ書物の中に「聖書の信仰を理解したいと思うなら、この『ザーカール』という言葉を心に留めなさい」と書いてあるのがとても心に残りました。長い外国の言葉は覚えにくいのですが、「ザーカール」という言葉は、すぐに覚えることができました。
確かにこの「ザーカール(思い起こす)」という言葉は、詩編のアルファベット歌などでは、Zという文字が来ると、「思い起こせ」何回も使用されます。詩編25:6,7などは3回も連続で用いられます。
わたしの大好きな聖句の一つに詩編78編42節がありますが、そこにもこの「ザーカール」が出てきます。ここはイスラエル民族の歴史の総括と言われるところですが、イスラエルの民の一番大きな問題は「あなた方は贖われた日を思い起こさなかった!」という言葉でまとめられています。イスラエルの罪の一番根本にあったのは「エジプトから贖れた日を思い起こさなかった」ことにあるというのです。実はこの箇所でも、3回、「ザーカール」が使用されます(35,39,42節)。
贖いを思い起こすとは、礼拝の姿を意味しています。礼拝で聖書を学び、聖餐式に与りますが、これは主イエスのなされた大いなる愛の業、救いの業を思い起こして、自分の生活をただすことでありました。
愛する兄弟姉妹。わたしどもは、まず今日、「わたしたちに御言葉を語った指導者や先輩たちを思い起こしましょう。そして、その先輩方の信仰の生涯の原点の主イエスの十字架を思い起こしましょう。そして「主よ、あなたの贖いの業を心に刻みます!いつもあなたの愛を思い起こす者として下さい」と祈りたいと思います。

2)彼らの生活の最後を見てその信仰にならいなさい。(7節b)
⇒ 指導者たちの最後をしっかり見よ。その信仰にならえ。
7節の後半は、神の言葉を語った指導者たちの最後を思い起こし、それをしっかりとみて、その信仰に見習いなさいと語られています。神様の恵みの業と恵みの温顔を拝するとともに、信仰の先輩たちの姿を思い起こし、特に最後まで愛と信仰に生きた先輩たちを心に留めるようにと語られています。今日は、召天者記念礼拝ですから、多くの方々の写真が飾ってあります。わたしたちは多くの素晴らしい先輩方を頂いています。ここに飾られたお写真、古い順からご紹介したいと思います。

大内文平牧師:1881年(明治14年)~1918年(大正7年)
兵庫県中央山村で生まれる。村で神童と呼ばれるほどに成績が良かった。大阪の中学校に学ぶが中途退学し、上京、当時陸軍のエリートコースと言われる成城中学を経て、陸軍士官学校へ。卒業1年後、日露戦争が勃発。乃木将軍の指揮下の第三軍に従軍、旅順攻撃に参戦し、白兵戦で指揮刀に手榴弾を受け、その破片で右目右腕を失う。伊豆の陸軍病院で2年間の療養生活を送り、その間、看護婦の勧めで聖書を読む。彼の心をとらえたのはマタイ5章29節以下の、「右の目をえぐり出して捨てよ。右の手を切り捨てよ。全身そろったままで地獄に行くよりもよい」という言葉であったという。退院後彼は大尉昇進を目前にしながら、自ら除隊を決意して青山学院神学部に入学献身の歩みを進む。卒業後、1910年(明治43年)日本基督同胞教会の決議により、大久保地区伝道の任を受け大久保教会創立に力を注ぐ。27歳の時だった。1917年(大正6年)、日本基督同胞教会から脱会。その一年後に召された。35歳。

柳田文吾牧師:1872年(明治5年)~1945年(昭和20年)
宮城県の小村の生まれ。農家の長男であったが野望を抱いて状況。英語を習得した。教職となり、彦根、神戸、姫路の小学校や中学校で教える。日露戦争終了後、彼は一念発起して家族を日本に置いて渡米、英語の更なる熟達を目指した。米国にてクリスチャンとなる。3年後、日本の二六新聞社の招聘があって日本に帰国。後に早稲田にて英語塾を開き、その時の最初の学生が岩崎勝平(大内牧師の兄)で、当時青学神学部の学生だった大内文平神学生と友人となり、日本基督同胞教会、大久保教会を創設する時には、礼拝に出て、共に労することとなった。1918年に大内文平牧師の急逝により、柳田文吾兄は、和解が成立した年会で日本基督同胞教会から正式な牧師として派遣された。1940年(昭和15年)高齢となった柳田牧師は引退し、日本基督同胞教会の小田原教会(現在の小田原十字町教会)の牧師だった広沢勝彦先生が牧師となる。そして1941年(昭和16年)6月、日本基督教団の会派合同となる。1910年から約30年続いた日本基督同胞教会大久保教会は、日本基督教団西大久保教会となった。柳田文吾牧師は疎開先の北陸の地で天に召された。

岡田實牧師:1905年(明治38年)~1991年(平成3年)
滋賀県大津市で誕生。同志社中学1年生の時に賀川豊彦先生の「死線を越えて」を読み感動。父の反対を押して1921年(大正10年)膳所同胞教会(矢部喜好牧師)で洗礼を受ける。16歳の時だった。父の怒りに触れて勘当となった彼は、矢部牧師やニップ宣教師の励ましを受けて献身。一時東京神学社(後の東京神学大学)に入ったが、後同志社神学部に移り、卒業と共に1930年(昭和5年)沼津同胞教会に伝道師として赴任。翌年、水上花江姉と結婚。1933年(昭和8年)岡田伝道師は29歳の時に本所同胞教会に赴任した。そこで按手を受け、牧師となった。そして10年間牧会。1943年(昭和18年)召集を受けてフィリッピンへ。マラリヤにかかったり、マニラ南方の米軍捕虜収容施設での生活等辛酸をなめた。戦後奇蹟的に帰国。焼け跡で本所緑町教会と松戸教会を牧会。そのあと、幾多の苦難を経ながら新宿の地で牧会伝道、1954年(昭和29年)12月18日に日本基督教団から「日本基督教団新宿西教会」の認可を受ける。その後も多くの苦しみがありましたが、後を有馬歳弘牧師に委ねて1991年3月27日、86歳。福島県、石川の地で天に召された。

福音を語られた先生方、役員として歩まれた方々、主にある聖徒たち!時間があればもっと証し人のことを語りたいと思いますが、割愛します。残念です。献身の学びの途中で召されたポール・シード神学生や須藤信志神学生、昨年召された岡田多鶴子先生、今年召された名島武子姉、今年、御主人と娘さんが洗礼を受けられた田原和子姉……

3)イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。(8節)
⇒イエス・キリストは昨日の今日も変わらない!
7節の最後で「神の言葉を語った指導者たちの最後を見て見倣いなさい」と語りましたが、8節では主イエスの最後を見なさいと語ります。主イエスの最後は驚くべき愛の十字架と、永遠の命の復活の出来事です。主イエスにお会いするその時まで、勝利の歩みを全うしましょう!

【祈祷】
天の父なる神様。この召天者記念礼拝の朝を感謝します。「ザーカール」、先輩たちの勝利の生涯の最後を思い起こし、また、主イエスの驚くべき贖いのできごとを思い起こしております。あなたの御顔を仰ぎ、救いの恵みを覚え、信仰の先輩たちの歩みにならいます。導いてください。勝利の主イエスの御名によって祈ります。アーメン