おおきな大きな喜び

2018年12月23日 クリスマス聖日礼拝
聖書箇所:ルカ福音書2:1~14
説教:深谷春男牧師

喜びが湧いてくるというのは何といううれしいことでしょう。先週から今週にかけてうれしいことがいくつもありました。秋葉兄の洗礼決意!これは何にもましてすばらしい事でした。別の兄弟も洗礼を受けたいと語ってくださいました。また孫のアンナが、幼稚園のクリスマス会で天使ガブリエルの役をやったというのです。また、田原兄の病院に訪問したところ、田原家の3人のお嬢様がたが、お父さんお看護をしていてくださり、共に讃美し祈りました。お父さまの大好きな「干し柿」をお土産に持っていったら、「元気になったらこれあげますね」とお父様に言われた。そしたら、苦しそうだったお父さまが、笑顔を見せ、「お父さんが笑った!」と喜んでおられました。また美歌子先生が更生教会での新年聖会のために祈祷会ですばらしい説教をされたのもうれしかったですね。

【メッセージのポイント】
1)1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。   (1~3節)
 ⇒ 神御自身が人間の歴史に顕現された!
神御自身が、人間の世界に来て下さる!これが聖書の語る「救い!」と言われることです。神が来られた!天地創造の神が、人間の姿を取ってこられた!」これが聖書の語る救いの姿です。
今日の聖書箇所は「全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。」と時代設定がなされています。皇帝アウグストはBC.31-AD.14年在位のオクタビアヌスの事だそうです。クレニオという人物がシリアの総督であった時、クリスマスのできごとは起こりました。クレニオがシリアの総督だったときは、歴史的にははっきりしないそうですが、一時、軍事指導官として赴任したらしい証拠があると言われます。
当時、人口調査は14年ごとに行なわれていました。そうすると、多分、BC8年の人口調査ではないかと推定されるそうです。救い主である主イエスは、歴史上のお方として来られました。
聖書は人間の世界は問題で満ちていると語ります。創世記の3章から、人間は、罪と死の支配の中にあるため、問題だらけなのだと語ります。例えば旧約聖書の中にヨブという人物がおります。家畜や財産が盗賊に襲われ、災害ですべてが消えてしまう。愛する息子や娘が皆死んでしまい、更に自分の肉体も病気に冒されて、絶望の中に歩む。ヨブ記19:25では、ヨブは、「わたしを贖う方は生きておられ、この地上に来られる!わたしの願いは神御自身がこの世界に来て、あがなってくださることだ!」と語ります。まさに内村鑑三が旧約の中心と言ったこの箇所などは、神御自身が、わたしたちのこの歴史に来て下さることを恋い焦がれつつ待つ姿が示されます。これは先週のザカリヤの預言の第一の主題として歌われていることを見ました。救いは神御自身の歴史への顕現にあります!ハレルヤ

2)4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。(4~7節)
 ⇒飼い葉おけのキリスト!
二番目の主題は、キリスト、神の子が来られるのはベツレヘムの馬小屋であるというのです。場所はベツレヘム。二人の貧しい夫婦が人口調査のために生まれ故郷までやってきました。泊まるところも無いので、馬小屋の片隅で宿泊しました。そこで赤ちゃんを出産したのです。王の王、主の主といわれる、主イエスの誕生であります。しかもそこに最初のお祝いにやってきたのは貧しい羊飼いたちでした。彼らは天使のお告げを受けて御子を拝みに来たのでした。羊飼い達はこの貧しくなられた王である「飼い葉桶の中の乳飲み子」を拝んで、喜びながら帰って行きました。美しい星のふる夜のクリスマス物語です。そして、羊飼たちが登場します。
クリスマスメッセージは、悲しみと失意の中にあるものたちへの「おおきな喜び」でした。ルカ福音書を描いたルカは、いつでも小さい者、虐げられている者、貧しい者の味方であるように見うけられます。この8節から21節の箇所でも、新共同訳の小見出しは「羊飼いと天使」となっています。改めてこの箇所を読むと、これは羊飼いと天使の物語なのです。羊飼いは当時、社会的には身分の低い存在として扱われていました。特に彼らは祭儀律法を一点一角までは守る事ができませんでした。彼らは手を洗う事やその他のこまごまとした規則を順守する事ができなかったのです。時にはお風呂にはいることもできませんでしたので、臭いがしたりしたのです。彼らは裁判の証言も許されませんでした。ですから、当時の正統的ユダヤ人からはくだらない人間と見られ、破門されていたようです。時はちょうど、ローマの強大な世界制覇のための徴兵徴税のための人口調査の時に、人口調査の対象にもならず、羊と共に野原に捨て置かれた疎外者だったのです。でも、主の誕生の時にまず、第1に天使から、そのお告げを受けて、礼拝に駆けつけたのは羊飼いでした。王の王、主の主なる方のお生まれが、馬小屋であり、飼い葉おけであり、最初に御子の誕生を示されたのが、当時、最も貧しいとされた羊飼いたちであったことは大変、重要なメッセージを込められています。以前に「マリヤの賛歌」について学びましたが、それは「革命の歌」であるということでした。ルカはいつでも、小さいもの、虐げられている者、貧しいものの味方です。クリスマスは天からの逆転劇です。「貧しいものは幸いである!悲しんでいる人は幸いである」と語られる主イエスの山上の説教は、クリスマスのメッセージでもあります。

3)天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(10-11節)。
⇒ クリスマスメッセージ「おおきな大きな喜び」の告知
ここで出てくる「天使」について考えてみたいと思います。じつはここには「天使」という言葉が、ここに7回も繰り返されています(9、10、13、15、17、20、21節)。天使がキリストの誕生を告げ知らせ、さらに天使に天の大群が加わり、神を賛美したというのです。7は聖書では完全数と言われます。天からの告知と天での賛美の完全な輝きがここにあるように思います。ここはまさに、人間世界の最も貧しい所にいた救いを必要とする羊飼いと、天的な世界の使者である輝く天使が、被造物の代表として現われます。輝きの満ちたもう天の世界と、悲惨と問題に満ちた人間の世界。罪と死の暗黒の覆った人間の世界に、神は高き所から、今、降りたもう。しかも、その独り子が、わたしどもの罪と死の呪いを一身に受けて贖いとなりたもうのであります。10「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」長い間待ち望まれたメシヤがついにやってきた。彼は布にくるまって飼い葉おけに寝かされています。それがしるしなのです。10節に「大きな喜びとあります」。「大きな」という言葉は「メガレー」というギリシャ語で「メガトン」とか「メガフォン」という時の「メガ」です。メガトン級の喜びの爆弾が彼らの心で爆発したのです。クリスマスとは喜びの日です。幼子イエスにおいて神の絶対的愛と絶対的勝利を知る喜びの日なのです。わたしが今まで聞いた、一番感動的なクリスマスメッセージは、佐藤敏夫先生の聖書学校でのクリスマスメッセージでした。それは、このようなものです。

牧師であり神学者であった佐藤敏夫先生は20代のはじめ太平洋戦争で南方に派遣されるという体験をされました。ある日の夕方、厳しい軍事訓練の毎日で心身ともにへとへとに疲れ果てていた。その日も一日の厳しい訓練を経て、その後、上官の革靴を磨いていました。その時ふと、「あ、明日はもうクリスマスだ!」と思い出しました。緊張の毎日でクリスマスのことも忘れていたのでした。「明日はクリスマスだ。そうだ、主イエスがこの世に来てくださったのだ。」クリスチャンの彼には、クリスマスの意味がよくわかっていました。その時、今まで生きてゆくことの苦悩や不条理、悲しみや苦しみといったもので心がいっぱいだったのに、それらの越えて不思議な喜びが起こってきました。その「クリスマスの喜び」は、まさに魂の深みから起って来る、すべてをつつむ喜びでした。そして、敗戦。命かながら生き延びて日本に帰って来られました。戦後、平和な、豊かな時代がやってきました。神学校を卒業して、牧師となった彼は教会でクリスマスの礼拝と共に祝会も守るようになりました。しかし、楽しいクリスマスはしっくりゆかなかったと言います。「クリスマス、本当のクリスマスはこのように浮かれたものではない。南方で経験した苦しみの中で、絶望的な状況の中でのクリスマスだった。罪と死に支配されているかに見える人間の存在そのものを、もっとも深いところで支える深い喜びそのものであったあのクリスマスの告知・・・」。でも、楽しそうにしている子供たちや教会員の姿を見て、彼はこのように語ったと言います。「魂の深みから湧き上がる喜びのクリスマス。楽しみさえもある、喜びのクリスマス」と。

神の愛と恵みが豊かに注がれる喜びのクリスマスを共に迎えましょう!

【祈り】全能の父なる御神よ。今日はクリスマスの聖日です。神御自身が来て下さいました。しかも、ベツレヘムの馬小屋へゴルゴダの十字架の救いを成就され、どのような人生の悩みの時にも、わたしどもに生きる希望と喜びを満たして下さる!佐藤敏夫先生のように、代々の聖徒たちのように、驚くべき、決定的な喜びと愛をわたしたちの心に満たして下さり3001ざ大きな喜びの生涯へとわれらを導いて下さい。わたしたちの救い主にして、クリスマスの主、わたしどもの罪を贖うために、ベツレヘムの馬小屋にまで降られた、神のみどり子、我らの救い主、主イエスの御名によって祈ります。アーメン