おめでとう、恵まれた方

2018年12月2日 聖日礼拝
聖書箇所:ルカ福音書1:26~38
説教:深谷美歌子牧師

聖書学校の地史の先生で、奥興という先生がいました。「僕は天使に会ったことがあるんですよ。」とある日の授業で話してくれました。まだ子供の時、野原で遊んでいると「たかしさーん」と呼ぶ声がして、その方を見ると、天使が空中で手をこう当てて「たかしさーん」と呼んでいた。とのことでした。そのあと消えたのだと思います。「なぜあの時天使が現れたのか解りません。もしかしてそれ以上進むと崖があったとか危険なことがあったのかもしれません」と語られ、不思議なこととして、記憶にとどまっています。
 今日の箇所は有名な、受胎告知の記事ですが、天使が神様のメッセージを伝えています。私達に語られているメッセージを聞き取らせていただけますように。

テキストの概要
26-28a マリヤに天使が語りかけた出来事。
28b-33  マリヤへの受胎告知
34- 37  マリヤの質問に対する答え。ザカリヤのことをひく。
38  お言葉通りこの身に成りますように」と答える。

ポイント
1) 天使に出会ったことありますか。
26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて名をマリヤといった。(26-27節)
マリヤに天使が訪れた時、姿が現れたとは書いてないと書いている方がいて、「え?」と思いました。多くの絵画などで、マリヤの受胎告知の様子
が描かれています。教会でするページェント(降誕劇)もマリヤのところ
に天使が現れます。それで改めて、聖書をよく読んでみました。確かに叔父のザカリヤに天使が来た時、「現れて」と書いてありますが、マリヤに訪れた時は「御使ガブリエルが、神からつかわされて、」としか書いてありません。でも天使と会話しているので、見える形で現れたと言う方が自然と思います。しかし、もしかしたら、見えないままに語りかけられたかもしれませんね。確かに言えるのは、語り掛けの言葉が臨んだことです。「おめでとう恵まれた方、主があなたと共におられる」と。
今は奥興先生のように、天使に直接出合う経験をする人はほとんどありません。「神様ってよくわかんないよ、見えないじゃん」と言われたことがあります。神様はどこで出会えるのでしょう?
聖書は神様のことを伝える言葉です。藤井圭子先生は「み言葉の現実」という本を書かれました。元尼僧で、何とか救いを得たいと精進しましたが、確信を得られず、還俗して、お医者様をしていました。イエス様を信じて救われた事実を告げ続けています。そして、御言葉を額面通り生きて、神の言葉の真実を伝え続けています。神様に祈って御言葉を開く時、導きの言葉を聞くことができます。毎週の礼拝で御言葉が語られます。その原則を生きる時、見えないけれど共にいてくださる神様を知ることが出来ます。
毎日、朝6時から、早天祈祷会をしています。聖書を自分でも祈って読み、他の方の御言葉の分かち合いを頂くと、「あーそうなんですねー」と嬉しく、生かされる、慕い求める時間です。私の名によって求めなさいとのみ言葉によって祈ると答えられる神様を知り、確信とされます。「神様に日々出合っています」と証しできますように。

2)恵まれた女よ、おめでとう?
28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。(29-33節)
 この言葉がマリヤに臨んだ時、女の子が成人する12歳くらいだったと思わ
れます。当時は女の子の結婚適齢期がこの歳であったそうです。
おめでとうと訳された言葉は、挨拶で、いろんな時に使われるそうです。喜べ、と訳すことも出来ます。主が共におられる。という言葉は、大きな試練にあるものを励ますときの慣用句です。マリヤはどんな大変な事が語られるのか戸惑ったでしょう。それは「あなたは、今みごもる。」とびっくりする内容でした。「平和な家庭を夢見ていた一人の娘に、突然おめでとうあなたは懐妊すると言われてもありがたくない」と語られた牧師が居ました。
永遠の救いをもたらす方を宿す。との言葉でしたが、ちいさな幸せを願っていた女の子になんと偉大な使命を一方的に与えられたことでしょう。
  神様の言葉は、時にありがたくないと思えることがあります。「パウ
ロ」という映画が上映されています。彼はクリスチャンを迫害していました
が、イエス様が出会って、「なぜわたしを迫害するのか?」と語り掛けられ
ました。そして、このイエス様こそが神であり、罪からの救いをもたらしてくださったと解りました。そのとき「彼が私の名のためにどんなに苦しまなければならないかを彼に知らせよう」とアナニヤが遣わされました。この言葉だけ聞いたら逃げ出したくなるような言葉です。でもパウロは罪赦された喜びのゆえに、語り続けました。この時の具体的な出来事については、パウロは何度も使徒行伝の中で語っています。そして、彼の内面の救いについては、ローマ7章に「誰がこの死の身体からわたしを救ってくれるだろうか。私達の主イエスキリストによって、神は感謝すべきかな。」と述べています。何物にも代えられない恵みを、伝えずにはいられませんでした。それに伴って迫害の苦しみが付きまといましたが、生涯伝え続けました。今も中国の教会は礼拝が禁じられたりしています。しかし、クリスチャンは増え続けています。救いの恵みの大きさゆえに、伝えずにはいられないのでしょう。神の言葉はその原則に生きる時、祝福をもたらします。恐れず従いましょう。

3) どうしてできるでしょうか。
34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ま
しょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。37 神には、なんでもできないことはありません」。(34~36節)       
 マリヤの言葉は、抗議でも、疑いの言葉でもありません。どのようにして可能とされるのでしょう。という質問です。それに対して、天使は「神にできないことは何一つない」と答えています。 わたしたちの希望は、全能の神が共にいてくださることです。そして、マリヤにしるしとしてあなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。と、神様が不可能を可能にした例を話します。
 わたしたちに確信を与えるしるしは何でしょうか?
神の子がこの世界に来られたこと、十字架で死に、三日目によみがえっ
て弟子達に現われ、約束の聖霊様が来てくださった事実です。
わたしたち一人ひとりにも主が「世の終わりまであなたがたと共にいる」
と語られています。「行って全ての国民を弟子とせよ」との命令を受けとる人々のため主は共にいてくださるのです。

4)お言葉通りこの身になりますように。
38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。(38節)
滅び行く命から永遠の命へと導くために、主が私たちも召されています。神様の御業は、ギデオンやモーセ、エレミヤといった、「自分にはできません」と尻込みしたけれど、「あなたと共にいる」との約束の言葉に従った人々によって持ち運ばれてきました。どちらかというとわたしもこの一人です。「あなたには期待していない」といわれる人は一人もいません。主はヨハネ14:12で、「 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである」と遣わしてくださっています。
ところで、マリヤは「いやです」とか「できません」とは一度も言っていません。イザヤも「ここに私がおります。わたしをお遣わしください」と志願しているように。
 先週、杉本和美先生がここに来られました。「学校の委員をしていますか?」とお聞きすると「ハイハイ、なんでもやります」と言ったがもう決まっていたので、読み聞かせをしているとのことでした。積極的で素晴らしいなと思いました。マリヤのように、素直に「はい」と従えますように。

【祈り】  マリヤにお言葉をもって臨まれた神様、マリヤの使命は偉大な使命ではありましたが、試練でもありました。あなたと共にいる。全能の神が業をなす。とお約束の通りに、永遠の救いをお与えくださったことを感謝いたします。一人ひとりに使命をお与えくださっていることを知りました。イエス様より大きな業をするとはどのようなことでしょう。期待しつつ、毎日の御言葉を聞いてまいります。どうか導き、用いてください。主の御名によって祈ります。 アーメン