わが魂は主をあがめ

2018年12月9日 聖日礼拝
聖書箇所:ルカ福音書1:46~56
説教:深谷春男牧師

クリスマスが近づいています。クランツのろうそくも一本づつ火が灯って今日は2本目となりました。先週からアドヴェントとなりました。先週は美歌子先生が「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられます」と語ってくださいました。「喜べ、恵まれた方、主が共におられる」という意味であったというのです。主が共にいて、豊かな祝福をもって導いてくださいました。「喜びに満ち、主の臨在を覚える一週間」でした。
アドヴェント二週目は「わが魂は主をあがめ」という日々を送りたい。

【テキストの概略】 
さて、ルカによる福音書のクリスマス記事を読むと、その喜びに満ちたクリスマスが良く表現されていると思います。第一章の中に示される、バプテスマのヨハネの誕生の記事も、先週の「受胎告知」を受けたマリヤの姿も、そして今日読む「マリヤの賛歌」も、内側から喜びが湧いてくるような記録です。この箇所はマリヤが故郷のナザレから、ユダの祭司ザカリヤの妻エリサベツを訪ねる箇所です。エリサベツのお腹にいた洗礼者ヨハネは、主イエスの母マリヤの挨拶を聞いて喜び、胎内で踊りました。マリヤは喜びに満ちて賛美の歌を歌いました。それが有名な「マリヤの賛歌」です。W.バークレイはクリスマスの象徴であるこの「マリヤの賛歌」は実に「革命の歌」であると紹介しています。神はこの世の貧しい者を選び、この世で軽んじられている者を選ばれ、この世で富んでいる者が斥けられるからです。この詩の原型は、旧約聖書のサムエル記2章にある「ハンナの祈り」であると言われます。矢内原忠雄先生などは、これはマリヤが「ハンナの祈り」を歌ったのだと言っています。あるいはそうかもしれません。しかし、わたしは、この「マリヤの賛歌」を「人生の革命歌」として読んでみたいと思うのです。それは、心に主イエスをお迎えするクリスマスが実は人生の革命を意味するからです。
47-49b節  マリヤは心からなる賛美を主にささげる。
49c-53節  神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給う。
54- 55節  神の約束、先祖への誓い、神の言葉は成就する。

【メッセージ】
1)46 するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、
47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。
48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
49 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
(46-49節b)  
⇒ 心の中に、神様への賛美を大きくせよ!
 この「マリヤの賛歌」は「マグニフィカート(Magnificat) 」と呼ばれています。これは 「崇める」というラテン語から来ています。もともとの意味は「大きくする」という語です。賛美の本質は心の中を、神の恵みを大きくすること、神様への賛美で心が一杯になる事を意味しています。
神様への賛美が、感謝が、恵みがいっぱいになる事、ここにクリスマスの本質が示されていると思います。
以前、北東京シティクリスマスに招かれ、「神の愛の激突!」というお話をしました。クリスマスは神の愛の激突です。
「激突する神の愛!」 
天地創造の神の愛が、小さなゴマ粒のような地球に住む、微生物のような人間世界に、雷のように激突した出来事。これが聖書の語るクリスマスです。それは「人類歴史の最大のできごと」なのです。人類の歴史にはいろんなことがありました。
古代のエジプト大帝国の繁栄、  
バビロニア帝国の栄華、
アレキサンダーの世界征服、     
ローマ大帝国の支配、
マルチンルッターの宗教改革、    
啓蒙主義の台頭、
フランス革命の勃発、        
ロシアや中国での共産革命・・。さまざまな大事件がありました。
でも聖書の語る「神の子の誕生」というクリスマスメッセージは、「人類歴史最大のできごと」として語られております。神の愛の歴史への激突です。

 ですから、聖書の中のクリスマスに関する記事は讃美や詩歌で満ちています。神の御子の誕生です。天でも地でも讃美がわきあがるのです。実にクリスマスは讃美の時です。マグニフィカートはクリスマスの代表的な聖書箇所ですが、クリスチャン生涯を示す典型的な箇所であると思います。
 クリスマスの時期は大変忙しい時です。以前、この時期に、夜遅くまで仕事をしていて疲れてしまい、些細なことで家内と言い争いをしてしまったことがありました。気まずい思いの中で黙々と仕事を続けておりましたが、しばらくすると隣の部屋から、クリスマスの讃美歌が流れてきました。彼女の方でもこれではいけないと心を主に向けたのだと思います。マリヤさんがマグニフィカートを歌っているように感じました。
怒りを感じたり、夫婦げんかをした時には、讃美を歌うクリスマスにしましょう! 神様への賛美と愛で心が一杯になりますように!

2)、そのみ名はきよく、
50 そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。
51 主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
52 権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、
53 飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。(49c-53節)
 ⇒ 主は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを給う!
 この「マリヤの賛歌」で歌われる第二の主題は「主の御前に深くへりくだること」です。「主は高ぶる者を退け、へり下る者に恵みを給う」の一語につきると言えます。神の恵みの性質は水の自然の法則と共に、低い方に流れて行くのです。フィリピ2章にあるように、キリストの降誕は、神ご自身の「謙卑(ケノーシス)の奥義」を示します。
  以前、首都圏キリスト教大会という集会で滝元明という先生をお招きしました。本田弘慈先生と同じくすばらしいエバンジェリストでした。この先生のメッセージはとても分かりやすいものでした。「幸福になる道」という説教でした。開口一番先生は「皆さん。幸せになりたいと思いますか?もしも幸せになりたいのなら、必ず幸せになる道があります。それは『へりくだる』ことです。・・・」と語られました。先生はご自分の体験から、自分が青年のころ、自分の賢さを誇り、周りの大人がバカに見えてならなかったそうです。高ぶって、人を馬鹿にしている時には、周りから嫌われ、子供達からも嫌われ、怒り続けていたというのです。しかしある時教会に行って、へりくだるということを学んだ。自分が罪人であり、自分が破れだらけであることを知り、主に十字架の贖いを本当に知った時から、自分の人生に大きな変化が起こった。それは「謙遜の道」を知ったことでした。それから人々は、わたしを愛するようになりました。わたしもまわりの子供達を愛するようになり、子供達もわたしたちを信頼することとなりました。感動しながら聞いたのを覚えています。
 このマリヤの賛歌の主題のひとつは「主はへりくだる者をに恵みを給う」ということです。本当の意味での革命は「謙遜の心を得ること」です。
先週の木曜日は、聖書研究祈祷会で詩篇18篇を学び大変感銘を受けました。この詩篇18篇の中で、35節の「汝の謙卑(へりくだり)、われを大いならしめ給う」(文語訳)が大変深い内容を示していると指摘されます。関根正雄先生はこの詩篇解説の最後に記された結論の言葉を紹介します。  
「36~46節は最後の大きな段落である。36節の「神のへりくだり」は旧約ではここだけであり、読みかえる人もあるが、かえってこの詩篇の特徴をよく示す。神が王を通して働かれることが、神のへりくだりであり、神の愛である。ここにこの王の働きの深い意味がある。・・・・この詩を神話的に解することも、歴史的にのみ解することも真意を尽くさない、とクラウスは言う。この王の代表的な苦難の深さ、神がこの王に来り給うたその救いの証言は、イザヤ53章を通って、新約聖書につながる、と言って良いであろう。」 

3)、54 主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、
55 わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。(54,55節)
  ⇒ とこしえにあわれむと約束なさったとおり!
神の民は、旧約も新約も、「聖書信仰」の民です。55節に「先祖に約束なさったとおり」とは、預言者たちの語った神の言葉、聖書の言葉への信仰告白です。クリスマスとはまさに旧約聖書の中で約束されていた事が実現したということ、すなわち、メシヤ、キリストが約束通りわたしどもの世界に来られたということ。マリヤの賛歌は神の御言葉への深い信頼なのです。
 
【祈祷】  慈しみの御神。このアドヴェントの時、「マリヤの賛歌」を学びました。心一杯の讃美と、へり下り、そして御言葉への信仰をしっかりと持たせて下さい。神様の愛に満たされて、人生に革命を起こす本当のクリスマスを迎えさせて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン