僕聞く、主よ、語り給え

2019年1月13日 2019年降誕節第3主日礼拝
聖書箇所:サムエル上3:1~14
説教:深谷春男牧師

 先週の一週間、心に残った出来事が沢山ありました。何よりも1月10日に持たれた愛する田原K兄のお葬儀でした。詳細は美歌子牧師がコラムで書いていてくれるのでお読みください。昨年の11月に撮ったという満面の笑顔で右手を挙げて挨拶している写真が印象的でした。また、「天国へのはしごとなられた田原K兄」の説教をさせていただいて、わたしどもの生涯はまさに、天国へと人々を紹介する使命に生きる!その通りだと思いました。佐藤姉の感話や周一兄の挨拶のあとの祈りに感銘を受けました。また、もう一つは1月6日の礼拝後に持たれた新年親睦会はすばらしいひと時。1人1人が、与えられた聖書の箇所を読み、新年を迎えた抱負と共に語られた内容が、聖書の言葉に裏づけられた告白で、とても感銘深く、たのもしい限りでした。 

【Ⅰサムエル3章の概略】

サムエル記上は1章、2章はサムエルのお母さんのハンナのことが記されています。今日の3章は息子サムエルの物語です。紀元前1000年の頃のお話です。その当時、イスラエルの民はぺリシテ人に支配されており、苦しい日々を過しておりました。聖所があったシロという町には大祭司エリが住んでおり、彼が当時のイスラエルを導いておりました。ハンナという若いお母さんは子供がありません。彼女の切なる祈りによって、少年サムエルが与えられました。彼女は、その誓い通りにその子供を神に捧げ、大祭司エリのもとに預けられました。彼はそこで霊的に成長します。神はサムエルにご自身をあらわし、サムエル神の言葉を与えます。それは、祭司エリへの厳しい審きでした。彼の息子たちが罪を犯しているのに、父である彼はそれを戒めることが出来なかったからです。サムエルは神の言葉を語る者として、人々に信頼され、やがて大きく成長してイスラエル全体を導く預言者になります。特に17節には「言葉(ダーバール)」が5回も使用されています。また、本章では、「呼ぶ(カーラー)」が11回、「サムエル」が10回使用されています。神様は、わたしどもの生涯に、名を呼んで親しく語られるのです。 

【内容区分】                       

3:1ー 5 第1回目の少年サムエルへの神の呼び掛け

6ー 9 第2回目と3回目の少年サムエルへの神の呼び掛け

10ー14 サムエルの応答と神の顕現、エリの家への審判預言

15ー18 サムエル、エリに審判預言を告げる

19ー21 サムエルの成長と預言者としての台頭

 

【メッセージのポイント】

1)1 わらべサムエルは、エリの前で、主に仕えていた。そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。2 さてエリは、しだいに目がかすんで、見ることができなくなり、そのとき自分のへやで寝ていた。3 神のともしびはまだ消えず、サムエルが神の箱のある主の神殿に寝ていた時、(1-3節)。

 ⇒ 不信仰の時代・・サムエルの如くあれ!

サムエルの時代はまれに見る不信仰の時代でした。ここはサムエルの生きた時代の霊的な状態の描写から始まります。「そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。」と記されています。また、祭司エリは年老いて、目がかすんで見えなくなっていました。「神のともしびはまだ消えず」(3節)という表現は夜明け前の一番暗黒が増す時刻を示しています。時はまさに、夜明け前の、一番、暗黒の濃くなる時のようでした。少年サムエルは、祭司エリに仕え、神の箱の安置されている主の神殿で寝起きしていたのでした。

現代はある意味で、サムエルの時代と同じ、不信仰と暗黒の時代です。特に異教国日本の霊的状態は混乱し、その結果としての倫理的な腐敗は、毎日のニュースで見る通りです。自然環境の破壊から起こる地球温暖化の影響で起こる様々な自然災害に驚きを覚えます。このような時代、まさにサムエルのように、神の神殿で深く祈る神の器が待望されています。

また、現在社会の方向は、映像文化、世俗文化の洪水の中にあります。ゲームやヴィデオの世界にかすめ取られ、信仰の世界は後ろに退くそのような世界です。神の細き声に耳を傾け、ひとりであっても、忠実に神に従う主の僕でありたく思います。

2)8 主はまた三度目にサムエルを呼ばれたので、サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。その時、エリは主がわらべを呼ばれたのであることを悟った。9 そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。(8、9節)

 ⇒「僕は聞きます。主よ、お話し下さい!」 

ここには大変興味ある内容が記されています。神がサムエルを呼ばれました。幼いサムエルはエリ先生が呼ばれたのだと思って、エリのもとに走って行きました。このようなことが3回もありました。先生のエリも、これは主が呼ばれたのだと悟り、御言葉の聞き方を教えました。『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい、と。この信仰の言葉をサムエルが主なる神に向かって語った時に、主の預言の言葉が、サムエルのもとに関を切った激しい流れのように押し寄せて寄せてきました。これは、わたしどもに大切なことを教えています。

『しもべは聞きます。主よ、お話しください』

この短い祈りの言葉こそ、「人生の鍵」であります。この言葉によって、神の預言の貯水池が開き、そこから神の真理の言葉が、奔流となってほとばしったのでした。

今日もわたしどもはこの礼拝へと招かれています。これはすばらしいことです。命の水の貯水池の前に招かれているのです。神は豊かな祝福をもってわたしどもを潤そうとしておられるのです。童サムエルのような真実の心で、自分を「僕」として従順の姿を取り、あなたの御声に聞いています。「どうぞお語り下さい」と祈るとき、全ての問題は解けてゆくのです。

『しもべは聞きます。主よ、お話しください』

この一語に未来を開いて行く「人生の鍵」が語られます。それゆえに礼拝や聖会等で主のみ前に立つときには、いつもこの言葉に秘められた主への従順の姿勢、僕の聴従の姿勢を思い起こしましょう。実際に声に出して「僕聞く、主よ、語り給え!」と祈ると、神の言葉が、わたしどもの人生に光として差し込むのです。

3)14 それゆえ、わたしはエリの家に誓う。エリの家の悪は、犠牲や供え物をもってしても、永久にあがなわれないであろう」。(14節)。

 ⇒ 神ご自身の犠牲によるあがないの業を仰げ!

ここには恐ろしい裁きの預言があります。祭司は、神と人との間を「とりもつ」のがその大切な使命であり、勤めなのです。それなのにその祭司その人が神に背き罪を犯した場合、仲介者がいなくなるというのです。こうしてエリの家は厳しい審きに会うことになりました。人間の破れを理解し、神のみ前に立って、とりなし、仲介に立ってくれる人がなければ、これは恐ろしいことになってしまいます。大祭司エリは、厳しい裁きを受けることになるのです。

しかし、新約の恵みの中に生きているわたしどもは幸いです。人間の破れ(=罪)と死の現実を、神の裁きの前に立って執り成して下さる御方を知っているからです。そうです。神の御子、主イエスご自身が、永遠の大祭司として十字架の上にあがないの業を全うしてくださいました。この永遠の仲介者によって、わたしどもは赦しを受け、神の子としての回復を経験することが出来るのです。 

【祈祷】 この朝、わたしどもは「童サムエルの信仰告白」を通して深く導かれました。この不信仰の時代、神の臨在のそば近くにはべり、祈り深く生活することを教えてください。日々、「僕聞く。主よ。お語りください」と祈りつつ、神の言葉に耳を傾ける者となしてください。また、何よりも御言葉の中心である、神ご自身の贖いの御業、神様の驚くべき十字架の贖いの業を証しするあなたの僕として整えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン