救いは恵みにより、信仰による。

2019年2月17日 2019年降誕節第8主日礼拝
聖書箇所:エペソ信徒への手紙2:1~10
説教:深谷春男牧師

ハレルヤ。愛する兄弟姉妹と共に今日も礼拝の恵みに与れて感謝します。今日はわたしの大好きな聖書箇所の一つエペソ人への手紙2章から御言葉が語れますことを感謝します。ここには「あなた方が救われたのは恵みによる」という5節の御言葉と、「あなた方は実に、恵みにより信仰によって救われた」との8節の御言葉が語られます。「アメイジング・グレイス」の賛美はすばらしいですね。あるお寺の法事で、法事の最中に着メロで「アメイジング・グレイス」が響いてしまったそうです。一同、驚いていたら、そのスマホは、お坊さんのものだったそうです・・。

【今日の聖書箇所の概略と区分】

さて、この聖書箇所は、わたしどもクリスチャンの生涯と信仰を非常によく示しています。今日は、ー クリスチャンの過去・現在・未来 - と副題をつけました。ウェスレーもここから、記録されただけでも100回以上説教しています。標準説教の冒頭もここからの説教です。ここにはクリスチャンの肖像画が記されています。

第一にわたしどもの過去の姿、第二に神の恵みに触れた体験、そして第三に新しい創造物として、善い業へと導かれていることが記されます。いわば「クリスチャン生涯の、過去、現在、未来」が記されています。以下の通りです。

1、過去:死んだ状態-悪しき霊に支配され、この世に倣う生活 1-3節      2、現在:救いの体験-キリストの十字架と復活による救済   4-7節           3、未来:善い業への招きー新創造の神の作品として生きる   8-10節

 

【メッセージのポイント】

1)1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。(1-3節) 

⇒ 過去:死んだ状態-悪しき霊に支配され、この世に倣う生活

ここで聖書はわたしどもはかつて「自分の過ちと罪のために死んでいたのです」と指摘しています。生きているというのは実は名ばかりで実は、霊的には死んでいたと表現しています。

そして、その実態は、わたしたちが従っていたもの、支配されていたものが何であるかが明言されています。それは「悪の霊」であるといいます。「この世を支配する者」、「かの空中に勢力を持つ者」、すなわち、「不従順な者たちの内に今も働く霊」であると表現しています。そして、そのような生涯は、「肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動してい」ることとなります。パウロはここで、過去の罪の生活を言っていますが、その背景に、この世を支配する悪しき霊の存在、サタンの存在を指摘しています。全く自己中心の生涯はやがて破局を迎えます。それは生まれながらの「怒りの子」、「神の怒りを受けるべき罪びと」であると説明しています。ちょうど、糸の切れた凧のような存在です。悪の風に身を任せて空高く飛んだとしても、ぷっつりと糸が切れて、くるくると風に舞いながら、地上へと転落する。もしも、生まれながらの罪の生活を続けているならば、それは恐ろしい「神の怒り」を恐れつつ生きる、惨めな敗北の生涯になってしまうのです。

2)4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。 (4-7節)

⇒ 現在:救いの体験-キリストの十字架と復活の恵みに触れて

4節で「しかし」とあります。この「しかし」は重要です。罪の現実があります。過去の傷つけ、傷つけられた現実があります。そこには「怒りの子」と言われる事実がなまなましく続いているかもしれません。しかし、わたしどもは、その罪の支配の現実から目を転ずるのです。

「しかし、憐れみ豊かな神は」とパウロは語り始めます。憐れみ豊かな神に目を止めるのです。4節には神様がわたしどもを、「この上なく愛し、その愛によって」、死んでいたわたしどもをキリストと共に生かしてくださったと語っています。この4節には「アガペー」が2回使用されます。神の驚くべき愛、この上なき愛が、イエスキリストの十字架と復活という恵みを通して、わたしどもの現されたのです。この「神の愛」に触れた者は、死んでいたところから復活し、キリストと共に天の王座に着き、新しい生涯へと生まれ変わるのです。

ある方はこの箇所には4つの神様の姿が記されていると語っています。「神の愛」そして「神の憐れみ」。これらは何の価値もないわたしどもにそそがれれる特別なる恩寵を言います。そして「神の恵み」。これは神様の豊かな世界、われらを包み、反逆するものを受け入れ、罪と死の世界を、愛と命の世界に作り変えて行くのです。そして最後は「神の力」です。神の天地創造の力は、キリストの十字架と復活と言うかたちで現れ、全てを作り変えて行くのです。  

3)8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(8-10節)

⇒ 未来:善い業への招きー新創造の神の作品として生きる 

ここには大変重要なことが語られます。わたしどもの生涯は、「恵みにより、信仰によって救われた」というのです。それはわたしどもの自分の力によるのではありません。それは神の賜物だというのです。神様はわたしどものために前もって準備して、キリスト・イエスにあって造って下さったと告白しています。わたしたちは、「神の作品」「キリストにあって善い業をするようにと造られた神の作品」であると言うのです。

聖歌196番の「驚くばかりの恵みなりき」“Amazing Grace”は、欧米ではたいへん有名な讃美歌です。実はこの讃美歌の作詞者はジョン・ニュートンでした。彼のことを記している文章がありますので、紹介します。彼は実は悪名高き、奴隷船の船長だったというのです。彼は1725年、地中海航路の船長の一人息子としてロンドンで生まれました。お母さんのエリザベスは信仰深い方で、息子が将来牧師になることを願い、3~4歳の時から聖書や教理問答集、讃美歌を教え、6歳の時からはラテン語を教えたといいます。ジョンはたいへん優秀で記憶力も抜群でした。しかし母エリザベスが彼の7歳になる少し前に亡くなると、彼の生活は一変してしまいました。彼は船乗りだった父の仕事を継ぎ、11歳で船に乗り始めました。その後、海軍の強制募集隊に捕まって無理やり水兵にされ、ハーウィッチ号という軍艦に乗せられ、大変辛い目に会います。二年間水兵の務めをした後、脱走してアフリカ西岸、シェラレオネの沖、プランタン島に逃げ込みます。この島でクロウというポルトガル人と知り合います。この男は悪名高い奴隷商人でした。荒っぽい生活を続けていたジョンはたちまちその仲間になり、奴隷船の船長になります。当時ヨーロッパ各国の奴隷貿易の中でも、王立アフリカ会社を設立して、国をあげての事業にしていたイギリスの比率が特に大きく、統計によると、18世紀後半、イギリスの奴隷船総数は192隻、輸送能力は4万7千余り、18世紀末に毎年アフリカから輸出、人間を輸出!したそうです。被害にあった黒人奴隷は7万人、そのうちイギリス商人によるものが約4万人、次のフランス商人による2万人の2倍という多さだったそうです。奴隷売買の行われた300年間に1,500万人の黒人が奴隷としてアフリカからアメリカへ連れて行かれました。ジョン・ニュートンはその悪辣な事業の一翼を担っていました。実に人類史上最悪の悪徳行為の一端を彼は担っていたのです。かつて母エリザベスによって注ぎ込まれた聖書の教えは彼の心からは全く消え去り、精神的なこと、魂の救いというようなことをあざ笑って、友人たちまでも奴隷売買の仕事に引き込んで罪を犯させるという状態でした。   しかし、1748年5月10日、彼が22歳のとき、転機はやってきました。彼がイギリスに帰る航海中、大変な嵐に遭い、生命の危険を感じます。その時、長い間忘れていた聖書の言葉を思いだします。その一つはヘブライ人への手紙6:4~6でした。「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。」さらにもう一カ所ジョンの心に突き刺さったところがありました。ペテロの手紙の二、2:20~21です。 どちらも一度救い主を知った後堕落した者は悔い改めに立ち返ることが不可能で、二度と救われないという、大変恐ろしいものです。彼はこれらの、母エリサベツが植え付けていた聖書の言葉を思い出して恐怖に打ちのめされ、そして同じくかつて読んだことのあるトマス・アケンピスの書いた「キリストにならいて」という書物の影響もあって「自分はこんな事をしていてはならない」と気付き、嵐の中の死の恐怖もあって、救いから洩れてしまったのではないかとの魂の怖れに捕らわれます。それから、もう一カ所母に教えられた聖書の言葉が彼の心に浮かびました。それはルカ福音書11:11~13でした。「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。・・・まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と言う慰めの言葉でした。悪徳の権化のようなジョン・ニュートンは、この「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」という御言葉に「自分のような卑劣な人間でも」本当に悔い改めてお縋りするなら、赦されるのだと知り、その嵐の中で魂の安らぎを得ます。この経験で彼の生き方はすっかり変わりました。良心に目覚めた彼は奴隷船の船長をやめ、1755年、リバプールの港の潮位観測員になります。その少し前彼は念願かなって、ポリーという女性と結婚しました。まじめな生活を送るようになったジョンは次第に霊的に成長して行きました。当時英国に起こった信仰復興運動であるジョン・ウェスレーのメソジストの運動に参加し、自分も牧師になることを願い始めました。彼は多くの語学にも通じていました。彼は愛する妻ポリーの希望を容れ英国国教会の司祭になりました。初めオルニーという小さな町の教会で16年間、その後ロンドンの大きな教会で26年間務めました。オルニーの教会で、彼は詩人ウィリアム・クーパーと交わり、彼の影響でジョンも讃美歌を書き始めたのでした。彼の生涯は神の驚くべき恵みを証しています。

【祈祷】 恵みの主よ!今日わたしどもはエペソ2章より「クリスチャンの過去、現在、未来」について学びました。罪に死んでいた過去、キリストの十字架と復活による救済を経験した現在、善い業への招きを受け、神の作品として生きる将来、この驚くばかりの恵みの中を喜びと感謝に満ちて歩ませてください。この一週間、あなたの恵みを覚えつつ歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン