勝ち得て余りあり。

2019年3月10日 教会創立64周年記念礼拝
聖書箇所:ローマ信徒への手紙8:31~39
説教:深谷春男牧師

今日は新宿西教会創立64周年記念礼拝です。共に主にある先達たちに感謝をささげ、これからの新宿西教会の歩みに熱き祈りを捧げましょう。

うちの教会には大変素晴らしい「教会創立50周年記念誌」があります。その中にある、開拓期の記述(79頁~)を読んでみましょう。

1、初年度(1955年度)   亀戸から新宿へ

1955年(昭和30年)3月5日、ようやく竣工式を終えて、ここにポール・シード記念会堂は完成した。岡田牧師と4人の長老とで鍬入れ式を行ってから5ヶ月後のことであった。祈り求め続けてきた会堂を目の前にして、岡田牧師をはじめとする当時の会員諸兄姉の喜びと感謝の思いは、筆舌には表わしがたいものであったという。

のちに「献堂10周年記念誌」の中で、岡田牧師自身が記した記述の中からもその労苦が偲ばれる。一部を抜粋する。◇「建築の構想は、教会堂幼稚園牧師館の三つを建てることでした。・・・材木が予定通りに入ってこないので、工事は予定より遅れましたが、12月には窓や外回り部分を残して建物だけは出来上がりました。その少し前、12月15日ごろにわたしたちは亀戸から西大久保の地へ家財道具と「フク」と名付けられた犬を連れて移転してきました。未完成なのでまだ窓のない事務室を箪笥等で遮断して風よけにして、まるでキャンプに近い生活をしました。緊張していたせいかあまり寒いとは感じませんでした。…そして12月26日は、未完成の礼拝堂で、34名の出席もとにクリスマス礼拝を持ちました。そして55年3月13日、午後、新装なった会堂で、内外から教職信徒約80名の列席のもと「教会設立式」と「岡田實牧師就任式」が東京教区総会議長島村亀鶴牧師司式で執り行われた。

当時、50歳で脂の乗り切った岡田實牧師と、信仰にあふれた長老方、教会員の笑顔が浮かんできますね。…ハレルヤ 

【今日の聖書の位置と概略】

ローマ信徒への手紙は聖書の中心的な書物です。そしてその第一の主題は、「個人の魂の救い」です。これが1-8章の主題です。概略的に言えば個人の魂の救いは2つに分けられています。

1-5章が「十字架の贖いの業」「信仰義認」です。そして、

6-8章が「聖化」という「内なる古き人の解決」が主題になります。

8章は「聖霊による勝利の生涯」が主題です。8章の特徴は「聖霊」と言う言葉が急に増加することです。1-7章では5回しか出てこなかった「聖霊」「霊」という語が、8章では20回以上使用されます。松木治三郎は8章を「聖霊による救い」と読んでいます。全体は、以下のように区分できます

18-30節 今は苦難と約束の時であり、将来の栄光を待望している

31-39節 神の愛による救いを得たキリスト者の勝利の賛歌

8章は、神の愛による勝利のクライマックスです。そこでパウロは十字架の救いを語り、聖霊による勝利の凱歌をあげるのです。

 

【メッセージのポイント】

1)しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 (37節)

⇒ 勝ち得て余りあり!   十字架と聖霊の満たしによる勝利!

ここでパウロは輝かしい勝利の宣言をしています。

「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」

「勝ち得て余りあり」と訳された言葉は、もともとのギリシャ語は「ヒュペルニコーメン」という言葉です。新約聖書ではここでしか語られておりません。ニコーメンが「勝利する」で、ヒュペルは「超」と言うような意味で使用される言葉です。ですから、ここから多くの訳が出ています。                     例えば、「超勝利者となる」(西平訳)、 「輝やかしい勝利」(新共同訳)、 「勝利者以上」(モファット訳・松木)、「勝ち得てあまりがある」(口語訳)、「勝ち得て余りあり」(文語)、「勝って余りがある」(協会共同訳)、「圧倒的な勝利者」(新改訳)、「ゆうゆうと勝つ」(尾山訳)等と訳されます。英語でも、「we are more than conquerors(勝利者以上)」(NKJV)、「we have complete victory(完全な勝利者)」(TEV)のような訳です。

このような「圧倒的な勝利者」になるのは、「わたしたちを愛してくださる方による」とパウロは言います。これは、まさにわたしたちの罪のために十字架にかかり罪を滅ぼし、復活して死を滅ぼされた主イエスと父なる神の愛によるのです。パウロの頭の中には、この8章で、「個人の救い」の項目の内容を閉じるに当り、3章21節以降の救いの内容全体が駆け巡っているように思います。

そう考えるならば、「神の愛」の内容は、即ち、「十字架の贖罪」、「聖霊の内住」と言って良いと思います。これがロマ3:25とロマ8:2の内容です。さらに加えるとしたら「永遠の命」、「肉体の復活」、「万物の復興」、「神の最善の摂理の御手」、「神の予定」、「再臨のキリストと共なる栄光」等々の神の恩寵が語られてきました。

「しかし、これらすべてのことにおいて」とありますが、これは35,36節で語られていた、この世の七つの艱難、「艱難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か!」(口語訳)を指しています。当時のクリスチャンの直面していた迫害と試練の状況です。しかし、どんな厳しい状況が起こっても、キリストの愛からわたしたちを引き離すものはない!と宣言されています。われらを支える「キリストの愛」が、更に強調されています。

神の最善への信頼によるにヒュペルニコメンの歩みを!!

いくつかの参考書を読んでおりました。感動したのは小田島嘉久先生の説教集「主の用なり」という本でした。小田島先生は東北大学の学生時代に救いを体験された方で、救いのきっかけになられたのは、詩人の土井晩翠氏の書生をしていた時に、お嬢様の土井照子さんが27歳の若さで天に召された時でした。そして、仙台青葉荘教会で昭和8年、植松英雄牧師より受洗。東北大学法文学部、哲学科倫理学専攻で学び、卒業後は、東大大学院等で学びを深め、渡辺善太先生との出会いを経験して、日本女子神学校や青山学院女子短期大学でキリスト教倫理学を長い間教えた方で、また下石神井教会の牧師もしておられました。

2)38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、(38,39節)

⇒ パウロの確信 1 どんなサタンの攻撃も撃破する、超勝利の福音!

ここで、パウロは「個人の救い」の項目を終えるに当り、「わたしは確信している!」と確信の宣言をします。しかもそれは文頭にあって、特に強調されています。この世のサタンの敵対勢力が2つづつ挙げられています。しかし、パウロは「生きるはキリスト死ぬるも益なり」と語ります。

「死も生も」:「死」が初めに挙げられたのは、36節の引用「殺される羊」の言葉からであろうと思われます。クリスチャンも死ぬわけですが、この場合の「死」は、半ば神話的な人格、デーモン的な力として、見られています。パウロは「生きるはキリスト死ぬるも益なり」とまで語ります。

天使も支配者も」:ここでの「天使」は神に忠実に仕える天使ではなく、異教的な占星術で使用されるような天的な存在を指し、人間の中に自分の支配領域を求める存在として言及されているようです。支配者は天使的な、魔物的な力を持っているものと考えられていたようです。

「現在のものも将来のものも」:これは現在と未来を規定する黙示的な力を意味するようです(1コリ3:22参照)。

「力あるものも、高いものも深いものも」:当時のヘレニズム一帯で信じられていた占星術の用語で、天上界と地上界を支配していると考えられた霊的存在。

「その他どんな被造物も」:以上、挙げた種々の天使的、魔物的存在以外の天的な存在を指していると言われます。

3)39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(39節)⇒ パウロの確信2     キリストイエスに示された神の愛こそ超勝利!

自然、歴史、人間とを支配する運命的な諸霊も、天上地下を支配する天使、魔物的存在も束になって襲っても破ることのできない力があります。それは神の力です。そしてその神の力は愛の力なのです。それは、主イエスキリストの十字架の罪の贖いと聖霊の満たしに現れる、罪の赦しと永遠の命という神の愛であり、わたしどもを救う神の恵みなのです。ハレルヤ!

わたしたちは64年前の教会創立の感激を新たにここから出発したいと思います。更に1910年(明治43年)からの日本基督同胞時代を歴史を覚えると実に110年に及ぶ恵みに心震える思いをいたします。

【祈り】天の父よ。わたしどもの新宿西教会の教会創立64周年記念礼拝を感謝します。この恵みの時に、ロマ書8章の恵みの箇所、神の愛、十字架の贖いと聖霊なる神の導きの中で圧倒的な勝利者になる事を学びました。毎日の生活の中で、聖書の指し示す、「圧倒的勝利(ヒュペルニコーメン)」の信仰を確認し、輝かしき勝利者とならしてください。いつも魂の深いところでは、あなたの恵みと喜びと愛で満たして歩み行かせ、われらの教会の歩みを支えてくださいますように!主の御名によって祈ります。アーメン。