芽生え、つぼみが花咲く時

2019年3月24日 受難節第三主日礼拝
聖書箇所:ピリピ4:10~13
説教:深谷春男牧師

 先週は、京都復興教会の特別伝道礼拝の説教奉仕の時を与えていただき、心から感謝いたします。わたしは京都復興教会での17日の午前の礼拝説教と午後の壮年会婦人会を中心とする合同集会に奉仕させていただき「あふれる神の愛」という説教と、午後は「信仰の継承」という話をさせていただきました。「信仰の継承」の秘訣は、「子供たちと時間と感動を共有すること!」と、今年の断食聖会で、金子耕弐先生から聞いて感動していたので、そのことを話しました。愛する兄弟姉妹が大変喜んでくださり、大きな励ましを受けました。名誉牧師の清水潔先生が、「新宿からお父さんの深谷春男先生と、うちの深谷与那人先生が、親子で司会と説教をする姿を見て、これはもう、最高の喜び、最高の祝福ですわ!」と語ってくださいました。息子の深谷与那人牧師も京都復興教会に招聘いただき14年になります。主の憐みと多くの方々の愛と祈りに支えられての歩み、ただただ感謝以外ありません。本当にすばらしい時でした。

さて、東京もついに去る22日、「桜の開花日」となりました。さてこの良き季節に、今日はいつもと違った様な雰囲気の説教題をつけました。題して「芽生え、つぼみが花開く時」です。

 

【 今日の聖書箇所の概略 】

今日の聖書箇所はピリピ4章10-20節ですが、この箇所はピリピ教会からパウロになされた贈り物への感謝の部分です。ある人は、これはいわば「献金への領収書」であると言います。しかし、この領収書は、非常に細やかなパウロの信仰と愛情が豊かに表されて、すばらしい信仰の告白となっています。この箇所は従来、「感謝なき感謝」と呼ばれてきました。直接的な、「献金ありがとう」ではなく、あなた方の献金は、主の宣教の御業への献げものであり、非常に尊い働きなのですと語っています。

今日は、10節に、主に焦点を絞って語りたいと思います。 

【メッセージのポイント】

1)10 さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。(10節)

⇒ 信仰が、芽生え、花開く時 !

伝道者であるパウロは喜びで満ちています。それはピリピ教会の信徒の信仰と愛が、献金という形で現われたからです。ここに「ついに芽生えて」という言葉があります。今回の説教はここから取っています。

もう少し丁寧に言うと、「芽生える」という言葉はギリシャ語で「アネサレーテ」という言葉で、枯れていたように見えていた枝に、「芽が吹き出て」「つぼみが開花し始める」という意味の言葉だと言われます。新約学者の山内真先生は「わたしへの思いを開花させた」と訳して、「芽生え」「開花する」ということが、美しく、強調されています。ですからこの一節は「あなた方、ピリピの教会の兄弟姉妹よ、あなた方は、わたしの伝道、主の救いの業の前進のために苦難と犠牲を伴う伝道の業に、協力し献げて行こうという思いが、今、またついに、開花しはじめました。そのことを喜んでいます。・・・」という意味です。いろんな出来事があったのでしょう。しかし、今、ピリピの方々が、パウロの投獄を契機に「信仰が、美しく芽生え、つぼみが開花した」というのです。

今回、京都の息子の所に行って感銘を受けたのは、子供たちの成長の姿でした。長女は6歳、長男の方は3歳です。お正月やお盆に子供たちに会うととても、会うたびごとに成長しているのでうれしくなります。これは、とても不思議な感覚ですね。

今回は二泊することが許されました。孫たちも、いつもインターネットのラインを使って会話したり、動画を送ったりしているので、とても、親しくなっています。でも、近くで会うと、雰囲気が違うようで、おじいちゃんに慣れるのに、少し時間がかかります。でも、しばらくしてからは、何というか、血の濃さとでもいうのか、とても楽しいお友達になりますね。

二日目の朝は、食事のあと、孫たちが寄ってきて、教会学校の前に、教会の御庭で遊びました。幼稚園もしているので庭が1000坪もあるのです。「裏の方に梅の花がきれいだからおじいちゃんを連れて行って」とか言われて、僕を連れて行ってくれました。スマホで白梅や紅梅の花を撮りました。スマホ貸してと言うので、貸したら、6歳の孫娘はぱちぱちとずいぶん写真を撮りました。

それから、3歳の「こうき」が、部屋に帰ったら、「おじちゃん抱っこして」というので、抱き上げたら、「たかい~!」とか言って騒いでいました。そのうち、「おじいちゃん。僕がおじいちゃんを抱っこしてあげる!」というのです。3歳の子供にこのおじいちゃんだっこするのは、無理じゃないかなと思ったのですが、「おじいちゃんこっちへ来て!」と引っ張って行って、わたしを靴下の所から持ち上げようとするのです。「ちょっと無理だね~」とか言っていたら、3歳児ですね。何とか持ち上げようといろんな工作をしました。まずブロックの30センチ四方の台を持ってきて「これに乗って」と言う。乗ったら両端をもって持ち上げると言う。それでもだめなら、今度は近くにあった輪ゴムを利用して持ち上げると言って、台所から、お母さんの輪ゴムを持ってきて、チャレンジ。でも僕はびくともしません。こんどはイスを引き寄せ、その紐を結んで持ち上げようとする。僕も疲れてきて椅子に座っていたら、必死で足を持ち上げるので、椅子に座って、両足をあげて、こうきに持ち上げてもらったことにしました。足が上がった!アンナが写真を撮って、「おお、おじいちゃんの足を抱っこした記念写真だ!」とか大笑いでした。何とも楽しい、主にある交わりの喜びでした。

「信仰の継承」の秘訣は、「子供たちと時間と感動を共有すること!」と、今年の年頭集会で、金子耕弐先生から聞いて感動していたので、孫と本当に楽しい「感動と時間の共有のひと時」でした。

2)10 さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。(10節)

⇒ わたしは主において非常に喜びました!

パウロは言います。「わたしは主において非常に喜びました。」ここにはパウロの信仰の姿勢、祈りの生活がにじんでいるように感じます。

「わたしは喜んでいる」。

「わたしは大いに喜んでいる。」

「わたしは主において大いに喜びました!」

ピリピの教会員の信仰が、再び芽生えて、花開くことが喜びなのです!わたしたちもそうです。子供たち孫たちの中に、愛する兄弟姉妹の中に、信仰がしっかりと、芽生え、つぼみが花開く時、大きな感動を受けるのです。主イエスの愛と命という人生の最も大きな宝が受け取られ、子供たちが主イエスの弟子として成長する以上の喜びはありません。

この3歳と6歳の孫たちが、お食事の時には、きちんと大きな声でお祈りをしていました。朝のお食事の時には、「アパルーム」を一緒に読んで、信仰の祈りをするので感激でした。

3)13 わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(13節)

⇒ 信仰にあって、霊的に強く、成長することを学べ!

パウロは、キリストにあって受ける深い恵みのゆえに、「ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ている。」とまで告白しています。キリストの愛の中に、信仰によって救いと心の平安を発見し、今や、地上生涯の終りを前にして、深い愛と恵みに信仰の完成を感じていたのでしょう。

今日の週報の美歌子牧師の「コラム」に感動しました。

・・・。◇月曜日は深谷牧師はキリスト伝道会の実行委員会があり、朝6時半に出て、東京の小松川教会に。月曜日はわたしはアンナの卒園式に参加しました。幼かった我が子が、りっぱに言葉を述べ、行動できる姿に家族は皆胸が詰まっていました。◇与那人牧師も、聖書贈呈で一言述べましたが、我が子も卒園のためか言葉に詰まる一幕も。私は男の子も素直に胸に手を当てて静まる姿に感動でした。◇そして、翌日、真子さんと子供たちは幼稚園の母親の集まりに出かけるので、息子と二人だけの時を持つことになりました。琵琶湖疏水の遊歩道からちょっとした山道を登る計画を立ててくれていました。狭い山道には、昨年の嵐で倒れた太い幹がいくつも道をふさいだり、せせらぎが堰で止められて沼になっていたり、険しい坂に足を滑らしそうになって、息子に助けられたりして登りました。◇息子が作ってくれたサンドイッチで昼食を取り、一緒に行動すると、39歳の息子が、子供のころの「よなと」に帰ったような不思議な感覚がありました。(勿論こちらが労わられているのでしたが)神様の与えてくれた、願う以上の休息の時でした。教会の皆様にも感謝で一杯です!

 

【 祈り 】  恵みの主よ。わたしたちの心の中に、ピリピの信徒たちのように、信仰と愛の、「芽生えを、つぼみから花開く恵みの時」を与えてください。主イエスを信じる信仰からくる深い平安と愛の中で、神の御言葉を聞き、あなたとの人格的な交わりの中で祈りつつ、讃美しつつ、信仰の完成へと導いてください。わたしたちの愛する家族をも永遠の命へと導いてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。