説教「わたしたちはどうしたら?」

2019年5月26日 主日礼拝
聖書箇所:使徒行伝2:37~42
説教:深谷美歌子牧師

教会の前を多くの外国の方が通ります。歌舞伎町という日本でも有名な歓楽街なので、訪れているのかなと思います。でも、年配の婦人や男性が何人かで歩いていたり、中国の方が、薬屋さんで爆買いなどしている様子を見て、日本に来て本当に良かったと思ってくれているだろうか?など思ってしまいます。

 私達人間は何をしたら心底満足、あるいは平安、喜びを得るのでしょうか?今日の聖書の箇所には、恐れを持った人々が、「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と尋ねたことが書かれています。

その答えが私達にとっても不変のことで、その中を歩む者とされますように。

【 テキストの概略 】

37節 ペテロの言葉に心を刺され「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。

38節 ペテロが、「悔い改めなさい。イエス・キリストの名によって、洗礼を受けなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるであろう。

39節 この約束は、神の召しにあずかるすべての者に、与えられている。

40-41節 ペテロのあかしと「曲った時代から救われよ」との言葉を、受け入れた者たちは、洗礼を受け、加わったものが三千人ほどあった。

42節 一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わり、聖餐、祈りをしていた。

メッセージポイント1  「強く心を刺され」

37a 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、

人々はこれを聞いて、強く心を刺された、こととは何でしょうか?前回学んだ時、ペテロが、「あなたたちは、神が遣わしたメシヤ(昔から待ち望まれていた救い主)を認めず、十字架につけて殺した。」と指摘された事でした。

そのような経緯で、人間の罪を負うことが神の予知による計画であったとしても、イエス様を拒み、十字架につけたことはユダヤ人の罪でした。

そのことは、つい60日ほど前の出来事で、忘れたとか、そんなことはなかったと言い逃れることはできない事実でした。

「十字架につけろ!十字架につけろ!」と叫んだことを覚えていました。飛び散る血と、イエス様の苦しみ、「父よ彼らをおゆるし下さい。彼らはなにをしているのかわからずにいるのです」と祈って息を引き取られた事、神殿の幕が裂けたこと、を知っていました。そして、今そのイエス様の弟子たちが、立ちあがって、イエス様の復活と、昇天に居合わせたこと、そして、今彼らが見ているように、ものすごい音にびっくりして集まって来たのは、イエス様の約束の聖霊が来て下さった結果、大胆に証言する者となっているという事実を見つつ、「あなたたちはこのイエスを十字架に附けて殺した」と指摘されたのでした。逃れようのない罪の自覚に「強く心を刺された」のでした。

ところでこのことは当時のユダヤ人だけの問題でしょうか?神様はこの世界にイエス様をお送りくださり、時間空間を越えて、自己中心に生きる人間の罪を負ってくださり、「わたしのもとに来なさい休ませていあげよう。世の終わりまで共にいる」と待っていてくださるのです。しかし、多くの人々は「神などいない。自分の生きたいように生きる」と生きて、自分も人も傷つけて生きています。皆様は傷がありませんか?私はたくさんあります。親に向かって「産んでくれと言った覚えはない。」と言葉を投げつけたこと、どんなに親はつらかったでしょう。自我の強かった私はこの自分の姿に気がついたとき、イエス様の十字架がどうしようもないこの私の為であったと解りました。

今でもテレビで、子供を虐待して死に至らしめた、とか、車を暴走させて死に至らしめたというニュースを見ると、自分もイエス様を「十字架に附けろ」と叫び、手にくぎを打ち込んだものである。との思いで、つらくて、見ていられない心になります。パッションという映画がありますが、スピルバーグ監督が、あのイエス様の手にくぎを打ち込む手のシーンをご自分がしたと聞きました。「わたしがイエス様を十字架に附けた」という強い傷と、ありがたい思いを込めての行動でしょう。心を見つめたく思います。

 

2 「私達は、どうしたらよいのでしょうか?」

37bペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。

「私達はどうしたら?」これが今日のタイトルです。人は過去に手を付けることはできません。罪を自覚したユダヤ人たちは、弟子たちの言葉を聞いて動揺しました。その思いが「私達はどうしたらよいのでしょうか」ということばとなりました。取り返しのつかない事実の前に、解決はあるのでしょうか?

 

メッセージポイント3「悔い改めなさい。罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。」

38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。

39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。

解決はあります。悔い改めることです。悔い改めとは後悔とは違います。罪の赦しは、イエスキリストが我らの罪を代わりに負ってくださったことを感謝し、今も生きたもうイエス様を認め、立ち帰ることです。悔い改めるとは方向転換をするということです。

子らと、とは、時間を越えてということ、遠くの者一同とに、与えられているとは空間を越えてという意味です。

バプテスマによって、新しい命に生まれ変わり、聖霊が住んでくださるのです。恐れていた弟子たちが、解放されて大胆にいきいきと生き始めたように、生き始める約束です。

今日は、午後5時から、川崎のチャーチオブゴッド教会で、聖化大会の青年大会があります。松井牧子先生がご用されて、「きよめって?」キラキラわくわくいきることなのよ!とチラシにあって、きよめ、つまりホーリネスの恵みを聞きに行こうと思っています。ホーリネスとは、聖霊に満たされた命に生きることです。

まだこの恵みを頂いていない方はぜひいただいてください。

 

メッセージポイント4「ひたすら・・・・・していた」

41そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。42そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

この勧めの言葉を聞いた時、心刺された人々は、喜んで洗礼を受けました。滝元明先生が「福音がちゃんと語られたら、人は信じて救われる。」と語られたことがありました。確かにそう思います。

救われた人々はその後、どうしたかが、書かれています。

ひたすら使徒たちの教えを守りました。これはまだ新約聖書が確定されなかったころ、使徒たちから、主の教えを聞いたにちがいありません。この命の生き方を聞き取ったのでしょう。

信徒の交わりがありました。私達の教会も礼拝の後はお昼を一緒にいただきます。コイノニアで、恵みを分かち合います。誕生カードに愛の言葉を記します。いっしょにお掃除したり、バザーをしたり、病気の兄姉の為に祈り合います。結婚式やお葬儀に参加します。教会は神の家族です。

ともにパンを裂くとは、お食事のこととも、聖餐のこととも理解できます。主の命につながったお互いを感謝し受け入れながら、ひとつの身体として、主イエス様の血と肉に与ります。

最後に、祈りをしていた。と書かれています。

祈りは神様との霊の交わりです。イエス様は「わたしが去っていくことはあなた方の益になる、喜びで満ち溢れる。今まではわたしの名によって祈ったことはなかった、わたしの名によって祈りなさい。何でもかなええてあげよう、わたしより大きな業をする」ヨハネ16:22‐24 と十字架にかかられる前に弟子たちに話してくださったのでした。

ここを説教している先生が、「毎日3度の祈りをしていたことがわかる。一週間に一度の礼拝、祈祷会に一度どころではない」とありました。確かにこの世から救われなさいと言われましたが、生まれた後も、この世に生きる者には神様の命の法則が解らなくなり易いです。

彼らはひたすら使徒たちの教えに聞こうとしました。

私も、毎日早天祈祷会があって、深谷牧師と横田さんと、御言葉が頂けることが喜びです。 恐れに囲まれるとき、御言葉に聞くと励まされます。金谷さんや中野さん、長谷川さんと週日でも一緒に祈り、お食事の交わり、ほめて下さったりすると、生かされます。何より、小さいことから大きなことまで、祈ることができ、祈りが聞いていただける幸いを覚えます。

昨日は「朝祷会全国大会」が市川でありました。深谷牧師が講師に立てられましたが、祈りが聞かれるというメッセージでした。家族の救いについて語られました。主人が、19才で洗礼を受け、信仰もって、牧師になると言った時、「勘当だ、中風の親父を連れていけ」とお母さんは半狂乱になった。でも、牧師になり、家族で、おばあちゃんにプレゼントや、お手紙を送ったりしていた。米国に学びに行く前に福島に行き「洗礼を受けて欲しい」と話した。「お前たちの家族が一番だ。テレビでメッセージも聞いている。お願いします。」と言ってくれて洗礼を授けた。喜びの涙が止まらなかった。と語っていました。

会堂建築でも1億円献金が与えられた体験。総額では3億円ちょっとでしたが、皆で支えて完成した。祈りは聞かれる。と説得力あるメッセージでした。

心を深く探り、イエス様に傷を負わせたのは私であることを気づきましょう。「私達はどうしたら?」と尋ね、主の赦しのもとに立ち帰りましょう。

生まれ変わって、満たされた生涯に入れられ、ひたすらこの命を味わい続ける毎日を求めましょう。ハレルヤ!

 

【祈り】  主よ、心を刺される傷を受けたり、傷つけたりした者です。まだ敵であったとき「彼らを御許し下さい。何をしているのか解からずにいるのです。」と祈ってくださったイエス様を感謝します。ひたすらこの命の中を歩ませてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン