説教「祝福の基となる」

2019年7月7日 主日礼拝
聖書箇所:創世記12:1~4
説教:深谷春男牧師

初めての体験と言うものは、とても印象深いものです。わたしが初めて赤羽教会の門をたたいたのは1970年の10月でした。特別伝道集会のマイク案内があって、部屋で油絵を書いていたのですが思わず手を止め、「こちらは日本基督教団の赤羽教会でございます。・・・電話番号は901-8939です。・・」というアナウンスを聞きながら、近くの紙の切れ端にその電話番号を書き付けました。その電話番号で場所を聞いて教会にまでの道を聞き、どうにか、たどり着きました。集会時間の看板案内に赤い字で「あなたは祝福の基となる」創世記12:2と書いてあって、とても印象深く思いました。あの時から数えるともう、49年の年月が過ぎ去りました。浪人2年目の悩みと試練に満ちていた20歳の時です。今日始めて教会に来られた方も、この礼拝を祝福の人生の記念としてください。

【テキストの解説】

創世記3章1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。から11章の聖書の箇所は一般に「原歴史」とか「原初史」とか呼ばれます。これは、人間が神に逆らい続ける「呪いの歴史」であると言うことができます。罪と死の支配する呪いの歴史なのです。

創世記3章で神と人との断絶、

4章で人と人との断絶、

5章で死の到来が語られ

6-9章で人間の「乱れと暴虐」が地を覆い、人間は破局を迎える、

10章において諸国民の系図。バビロン等の古代武力国家の罪の蔓延、

11章においてバベルの塔。科学技術文明の根本が罪と死の呪いの中に。

人間の世界は、「全てがよかった」と言われる創世記1章の創造の世界とは別に、恐ろしい「呪いの世界」となってしまいました。その源は3章の「アダムとイブの堕罪」に根源があります。

ここでは、人間と人間の罪の本質が語られ、救いのなさが宣言されます。しかし、神はこの絶望的な人間の世界に、12章から救いの業を始められました。それは、アブラハムの選びです。神はアブラハムを選び出し、彼に信仰の道を示し、彼を祝福の基とされました。創世記12章の重要さはここにあります。

 【メッセージのポイント】

1)時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。(1節)

⇒ 出発! 本当の自分自身に向かって歩く。

 「レフ・レカー(歩け、自分自身に向かって)」(1節)と言うのが今日の聖書箇所です。これが、神がアブラハムに語ったメッセージです。昔は聖書に章や節がついておりませんでした。現在のように創世記12章1節と言わず、この箇所を最初の言葉をそのまま引いて「レフ・レカー(歩け、自分自身に向かって)の巻」と呼びました。

「レフ」というのは「ハラク」(歩く)の命令形です。

「レカー」というは、「あなたに向かって(to you)」あるいは「あなた自身で(by you)」、「あなたの足で」というような内容の言葉です。

全能にして、天地の造り主なるお方が、今、アブラハムに語りかけます。

「アブラハムよ、あなたは歩いて行きなさい。自分自身に向かって。自分自身の足で。本当の自分自身になるために」というような内容になります。

アブラハムの召命を指し示すこの有名な箇所は、本当に自分自身へと出発する一人の人物の物語なのです。アブラハムは今、新しい出発をします。それは「信仰の父」にふさわしい出発でした。神と断絶し、人と断絶し、罪と死の呪いの中に落ちてしまった人類に、祝福の世界をもたらすための出発でした。

この「レフ レカー」の内容は、アブラハムの生涯の本質を示す言葉ということができます。神に全幅の信頼を置いて、彼は、本当の自分自身に向かって歩み始めたのです。信仰の生涯は、本当の自分自身、本来に自分自身をしっかりと発見し、生きる喜びを得、人々にも神の祝福を分け与えるすばらしい、自分自身に向かう旅のことです。それは心沸き立つ冒険と、神の「絶大なる力」(エフェソ1:19)に守られた、祝福と喜びに満ちた生涯なのです。

 2)時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。(1節)

出発!国から、故郷から、父の家から分離する。

さらに主は語られました。「分離し、別れなさい!」と。

ここには、分離してゆく三つのものが記されます。「国」と、「故郷」と、「父の家」です。(新共同訳では意訳され、「生まれ故郷」と「父の家」の二つとなっていますが、本来は、三つからの分離が語られています。ある方の説明によると、「国」は地理的な関係、「故郷」は世的な関係、「父の家」は血肉的な関係を意味するそうです。言おうとしている内容は、かつてアブラハムが属していた、「国」と「故郷」と「父の家」を指しています。それはカルディアのウルを指しています。そこは、偶像礼拝の盛んなところでした。偶像礼拝とそれを中心に形成されていたアブラハムの古い世界のしがらみからの脱却が語られています。この世界の唯一の造り主である御方、この世界の唯一の救い主である御方、この世界の唯一の歴史の導き手である御方は、この世界の偶像礼拝の世界から、また、恐ろしい罪と死の支配するこの世界から、人類を救うために、まず、アブラハムを選び、彼を召し出し、救いの業を始められたのです。新しい出発の第二の主題は、偶像礼拝から真の神へという出発でした。

 3) 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。(1節)

⇒ 出発!わたしが見せる地に向かって行く。

ここでの、三番目のポイントは、「わたしが示す地に」行くようにという導きです。直訳では、「わたしが見せる地」に行けということです。それは、召命を受けた時には、具体的にはどこであるかわかりませんでした。ですから、ヘブライ人への手紙11章では、「彼は行く先を知らないで出て行った」と記し、信仰は主の指し示すところへ、まっすぐに進み行くことを教えています。

以前、「目的地のわからない旅」という絵本がありました。わたしはこれはすぐに、「あ、アブラハムの物語だな?」と思ってめくってみました。そしたらそれは、アブラハム物語ではなく、モーセの出エジプトの物語でした。その時思いました。「そうか、アブラハムも、モーセも大変よく似ていて、神様に導かれるままに、行く先を知らないで出て行ったのだ。」ととても印象深く思ったことでした。信仰は、主の示す地に向かうのです。

4)2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。(2節)

出発! 祝福の基として生きる。

今、アブラハムと同じように従おうとするあなたに、主は、深い愛をもって宣言されます。「あなたは祝福の基となる」と。

憎しみと不満の中に歩んでいたわたしたちの呪いの生活を、主は、愛と喜びの祝福の生活へ変えて下さるのです。C・ヴェスターマンによれば「祝福」とは「未来を切り開く命の力」です。ここには5回「祝福」なる言葉が出てきます。これと反対に実は創世記3章の堕罪以来、「呪い」という言葉が5回記されておりました。信仰は、呪いの生涯を祝福の生涯に変えるのです!呪いから祝福へ。今、主イエスの十字架と復活の福音により、罪の赦しと永遠の命を与えられ、聖霊の導きの中で、神の恵みの世界は開かれました。未来へ向かって、扉は開かれました。しかも、この神の祝福の世界は、一人アブラハムの祝福でとどまらず、罪と死で汚染されてしまった人間世界全体を、神の愛と恵みに覆うという壮大な神の救済計画として示されることになります。アブラハムがこの神への信仰を持ち、祝福の生涯に入り、このアブラハムの信仰によって全世界が祝福へと導かれてゆくのです。

ある年の聖化大会でスティーブ・シーモンズ先生がこのような話をされました。「2000年5月にアズベリー神学校の礼拝でなされた、学生のマーティーという女性の証しです。彼女の8ヶ月の時、彼女の父親は、彼女の母親を銃殺してしまいました。幼い彼女は母方の親族に引き取られ、そこで育てられました。彼女にとっては、幼なかった時に、父親が何かをしたという出来事が、恥となって心に重くのしかかっていたのでした。彼女は後にクリスチャンになりましたが、彼女は誰にもそのことは言いませんでした。彼女はヘブル語やギリシャ語の勉強をして、聖書の教師になろうとしていました。やがて彼女はチャドという男性と出会い結婚することになりました。その結婚式の招待状を書いているときに、主が、何通か、父親の親戚にも送ってほしいと言われたのでした。招待状を見て、結婚式の当日に父方の親族に会いました。父方のおばあちゃんにも初めて会いました。おばあちゃんはクリスチャンでした。「マーティ、わたしは、あなたのためにずーっと祈り続けてきたのよ。」と言って涙を流して、抱きしめてくださいました。それから、数日後に、彼女は、当の父親に会いに牢獄にまで行きました。そして彼女は父親に赦しと優しい言葉をかけて帰ってきました。彼女が語る間、礼拝の時に皆、黙って聞いていました。彼女は最後に、こう言いました。『わたしは殺人犯の娘です。わたしは生まれながらどうして殺人犯の娘というハンディを背負うことになったのかはわかりません。そのことはわたしの生涯に暗い影を落としておりました。でも、皆さん。わたしは、今は、王の王、主の主であるお方の養女となりました。今、知っているのは、主イエス様が傷を負ってくださったことです。そのことによって、あのゴルゴタの十字架で流された主イエスの血潮によってわたしは贖われました。これまで、負ってきた、恥や多くの問題、悲しみを身代わりに負って下さり、わたしの魂を解放してくださいました。主に感謝します。』」

【 祈 り 】   天の父よ。この朝、2019年の後半の出発、7月の第一礼拝を感謝します。わたしどもの目の前には、新しい半年が広がっております。わたしどもも、アブラハムのように信仰を持って、この2019年の後半部へと向かって出発させて下さい。どうぞアブラハムに習って、「真の自己に向かって」、「偶像から聖別」され、「呪いの世界を祝福に変える生涯」へと進ませてください。全世界にあなたの祝福と恵みが注がれますように。未来を切り開く、命の力に満ちて歩めるように導いてください。わたしたちの愛する主イエスの御名によって祈ります。アーメン。