説教「神の顔を見る」

2019年10月13日 主日礼拝
聖書箇所:創世記32:22~32
説教:深谷春男牧師

 

神様はヤコブの生涯に二度、決定的な出会いをなさいました。それは、生涯忘れることの出来ない体験として残りました。一回目は「べテルの体験」です。そして二度目は「ぺニエルの体験」です。一度目の体験は、前回見ましたように、神との出会いの体験であり、それは「石の枕と逆さはしごの物語」というべき、絶望のただ中で神に出会い、新生の体験、天の門が開け、霊の目が開かれ、十字架の贖いをさとる体験でありました。そして、二度目の出会いは「ぺニエルでの体験」です。それは「聖化の体験」であり、今回の説教題「もものつがいと神の顔」に代表される、自我の砕きであり、神ご自身の御顔を見るような体験です。「太陽が彼の上に昇った!」という体験です。 

【旧約聖書の解説】

創世記32章は、イスラエル民族にとって忘れる事の出来ない章です。なぜなら、先祖ヤコブがイスラエルという名前をつけられた、いわばイスラエル民族の原点のような箇所だからです。前回学んだ創世記28章が「新生の体験」とするなら、32章は「聖化の体験」と見ることができるでしょう。ここには、神と出会い、神と相撲をとり、砕かれ、大きな転機を経験したヤコブの姿が語られています。今日は、「神と相撲を取った男の物語」、「神の顔を見るほどの深い霊的体験」を共に学びたいと思います。 

【メッセ-ジのポイント】

1)23 すなわち彼らを導いて川を渡らせ、また彼の持ち物を渡らせた。24 ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。 (23、24節)

独りあとに残ったヤコブ!

ヤコブは自分の故郷を離れて遠くラバン叔父さんの家で働いて、20年を過ごしました。そこで二人の姉妹(レアとラケル)を奥さんに頂き、11人の子供を与えられ、叔父さんとの取り引きのなかで彼は仕事に成功し、億万長者となって生まれ故郷のベエルシバへ帰ってきたのでした。その途上でヤコブは立往生してしまいました。なぜなら、お兄さんのエサウが、ならず者400人も引きつれてヤコブを襲ってくるというのです。ヤコブは多くの家畜と、一緒にいた約50名ぐらいの家族とその一行を連れてヤボク川にさしかかりました。ヤコブは皆をわたらせた後、ひとり川のこちら側に残りました。20年前の相続権と祝福をめぐるあの憎しみが、今も消える事なく、400人の暴力団の襲撃となって、自分を襲ってくるのです。それも、自分のみか、愛する家族たちをも害するかもしれない危険にさらされました。前にも行けない、後にも引けない。彼は立ち往生し、ひとり、裸になり神の前に立たざるを得ないところまで追い詰められてしまったのです。

20年前も、お兄さんに殺されそうになって、ヤコブはハランの町まで逃げて行き、途中、ベテルで野宿をして「逆さはしごの夢」を見ました。あの時も、四方八方ふさがりで、天を仰ぎ、神ご自身の本質、人間の罪を共に負ってくださる神、「地獄の一丁目まで出張する神」の啓示をいただいたのでした。この「ぺニエルの体験」でも、彼は人生の転機を迎えるのですが、それは、「ヤコブは独り後に残った。そのとき」に起きた出来事でした。神の前に一人立つとき、絶対者の前に裸になって自分の罪と自分の恥に直面するとき、神の深い恵みの業ははじまるのです。

2)24 ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が夜明けまで彼と組打ちした。(24節)

   ⇒ 神と相撲を取るヤコブ!

  悶々とした思いの中で彼は、川へりを歩いていました。兄や父をだました過去の罪の数々、また、これから起ころうとしている憎悪と争いへの不安。彼は休む事も出来なかったのであろうと想像できます。途方にくれてとぼとぼ川辺を歩んでいました。ところがその時、彼の目の前にひとりの人があらわれ、彼に相撲をいどんできたのです。彼はその人と一晩中、闘い続けることになりました。これは実に不思議な物語です。ある学者は「この人」は、ヤボク川の川の精、カッパのような化け物であると言います。実際、この川の名ヤボクは「格闘」を表す語で、この川の渡しには格闘をいどむ、川の精の伝説があったというのです。日本でも大井川のような川には、渡る途中で足を滑らして溺れ死ぬ人があり、それが河童に足を引っ張られたからだ、というような川の化け物の話があるものです。この時、ヤコブと格闘したのは一体誰だったのでしょうか?河童のような化け物でしょうか?ヤコブは渡るに渡れないヤボク川で、まさに、深い流れに足が立たず、自分の暗い、深い、罪の流れに押し流され、化け物のような過去の罪の現実と格闘したのではないかと思うのです。彼は「自分の過去の罪という化け物」と格闘していたのです。

3)25 ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。(25節)

砕かれた人ヤコブ!

  ヤコブは、実にすばらしい人でした。彼はずるいところもありましたが、どんな困難でも乗り越える不屈の精神力を持っていました。叔父さんのラバンと知恵比べをして、14年間もただ働きをさせられましたが、最終的にはこのおじさんに勝ちました。彼は20年でこつこつと働いて、ゼロから山のような財産を作り出す実業家だったのです。彼は自分に自信を持っていました。彼は化け物のような過去の罪、今迫っている危険、将来への不安と格闘しつつ、実は、なんと、「天使(!)」と相撲を取っていたのでした。これはふしぎな「祈り」の姿だと思います。彼は徹夜で祈っておりました。彼は男三人でしか持ち上げることのできないほどの大きな石の蓋を一人で持ち上げるような力持ちでもありました。非常に強い筋肉と頑健な身体を持っていました。しかし、天使が彼の「もものつがい」に触れると、彼の腰の筋は外されてしまったのです。彼の体は腰の骨を痛めて歩くことさえできなくなってしまったのでした。これはよく自我の砕きにたとえられます。彼はここで自分の自信を完全に砕かれ、ただ神にのみより頼む信仰の人となったのです。神の用いたもう人は「砕けた魂、悔いた心をもつ人」だからです。

この「自我の砕き」のことを、「聖化」と呼びます。人間のうちに深く潜む自己中心性。主の御前に出て、この自我の砕きを経験することを「潔め」と呼ぶのです。新生の後に起こる、深い霊的体験、第二の転機です。

4)26 その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。27 その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。28 その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。(26~28節)

本当の勝利を得たヤコブ!

ヤコブは、もものつがいをはずされても、この御使いと格闘し、その強い腕力で、がっちりと御使いをつかんで離しません。26節でこの人が「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言いましたが、ヤコブは答えました。「いいえ、祝福して下さるまでは去らせません。」自分の力を越えたお方に「祝福してください。祝福してくださらねば放しません」と食い下がりました。ついに、み使いはヤコブの熱意に負けて、祝福しました。聖書は、ヤコブの本当の祝福と勝利はここから始まったことを告げています。彼は「ヤコブ(人をおしのける者)」から「イスラエル(神の支配、神の皇太子)」へと名前を変えるように言われました。彼の肉体は傷を受けました。しかし、魂は新しい業が始まり、主と共に歩む「砕かれた魂の人生」が始まったのでした。

5)29 ヤコブは尋ねて言った、「どうかわたしにあなたの名を知らせてください」。するとその人は、「なぜあなたはわたしの名をきくのですか」と言ったが、その所で彼を祝福した。30 そこでヤコブはその所の名をペニエルと名づけて言った、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」。31 こうして彼がペニエルを過ぎる時、日は彼の上にのぼったが、彼はそのもものゆえに歩くのが不自由になっていた。(30、31節)

⇒ 神の顔を見たヤコブ!

名前をイスラエルと変える経験をしたヤコブは「どうか、あなたのお名前を教えてください」とその人に尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福しました。名前を明かしませんでした。 実はこの物語の主題は、「顔」にあります。この話は「ぺニエル」(ヘブライ語では「ペン(顔)+エル(神)」)という地名と深い結びつくのです。ここには「顔」という語が実に10回も用いられています(18,21,21,21,

21,22,31,31,31,32節)。ユダヤ人が読むとここは「顔」「顔」「顔」…・という箇所になるのです。神の顔を見た者は死ぬとさえ言われました。それは聖い神ご自身に、罪あるわたしどもが触れたら、神の怒りの前に滅んでしまうという意味です。しかし、ここで「彼の上に太陽が昇った」と記されます。義の太陽なるお方が彼の心に昇ったのです。彼は義の太陽なるお方を宿しつつ人生を歩むことになるのです。神の温顔の栄光の仰ぎつつ、歌いつつ歩む者と変えられたのでした。

【祈り】

主よ、今日は「ぺニエルの体験」を学ばせてくださいました。感謝します。ヤコブは「行き詰まり」に直面し、「神と相撲をとり」、「自我の砕き」を経験し、「神の祝福」を獲得し、「神の顔を見る」霊的な取り扱いの恩寵体験をしました。自我のツッパリをあなたに明け渡して、本当の勝利を得ました。義の太陽が心に照り、神の民の歴史が始まりました。わたしどもの生涯にも、ヤコブの体験のような深い臨在の体験をしつつ、揺るがない勝利の日々を歩み行かせてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン