説教「わたしが背負う」

2019年9月8日 主日礼拝
聖書箇所:イザヤ書46:1~4
説教:深谷春男牧師

全米で一番愛唱されている聖書の言葉は、このロマ8:28の聖句だと聞いたことがありました。それを聞いた時に、あ、皆、同じなんだなーと思いました。

わたしたちは救いを求めています。そして主イエスを信じて魂に救いをすでに得ました。しかし、それでもなおかつこの地上で生きているうちは完全ではありません。試練があります。悩みがあります。誘惑や戸惑いや誤解やいやがらせや、行き違い、さまざまな問題で地上は満ちているのです。多くの日々は、讃美しながら歩む恵みの日です。空は青く、雲は白く、風はさわやかです。でも、時として雨は降りますし風も吹きます。足許の石ころにつまずくことも、バラのとげの刺されることも、暴風雨や大嵐の時だってあります。

そのような時には、この聖句が支えとなるのだと教えています。 

【 聖書のテキストと概略 】

ロマ書の第一の主題は、「個人の魂の救い」です。これが1-8章の主題です。概略的に言えば個人の魂の救いは2つに分けられています。1-5章が「信仰義認」です。そして、

6-8章が「聖化」という主題になります。

8章は「聖霊による勝利の生涯」という主題です。8章の特徴は「聖霊」と言う言葉が急に増加することです。1-7章では5回しか出てこなかった「聖霊」「霊」という語が、8章では20回以上使用されます。松木治三郎は8章を「聖霊による救い」と読んでいます。全体は、以下のように区分できます(松木治三郎による)。

1-11節 キリストへの信仰により、罪と死の法則から解放されて

12-17節 聖霊に助けられて「アバ父よ」と神様呼ぶ人生を生きる

18-30節 今は苦難と試練の時(3つのうめき)将来の栄光を待望

31-39節 最後は神の愛、十字架の愛を悟った信仰者の勝利の歌。

今日は28節だけを扱います。

 

【メッセージのポイント】

1)28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。         (28節)

⇒ ぼく、知ってるもん                          

まずこの節で特徴的なのは「わたしたちは知っている(oidamen)」という言葉から始まっていることです。日本語だと文章の最後になってしまいますが、もともとのギリシャ語は最初の言葉です。「わたしたちは知っています」という告白をして、前からの論議を一応止めて、新しいことを話そうとしているのです。つまり、「三つのうめき(自然界のうめき、クリスチャンのうめき、聖霊のうめき)」を語った後に、パウロ先生は、「(それでも)わたしたちは知っている!」と語り出しています。ある方はこれは、小さな子供が、「わたし、知ってるもん!」という時のことと同じであると語っています。

たとえば、今は病気でも、お医者さんが3日後には快方に向かいますよと太鼓判を押している状況と同じです。「大変ねー?大丈夫?」という友人に、「うん、今は厳しいの。でも知ってるの。三日から快方に向うんだって」。

あるいは貧しい生活をしている人が、「大変ねー?大丈夫?あとのこり500円しかないんだって?」「うん、なかなか厳しいんですよ。でも、うちの親父が500万円送ったから、明日届くって知ってるもん」

ある人がひどいおうちに住んでいて、雪が吹きかかる。「大変ねー。大丈夫?」と友人が心配している。「大丈夫よ、明日の朝が新しいおうちが出来上がる日なのよ。それを知ってるもん」いうようなものだというのです。

信仰の確信に持つためには、まず、わたしたちは知らねばなりません。聖書の教えていることや、聖書そのものの背景など、そんなに詳しくなくてもよいのですが、ある程度のことは知らねばなりません。特に聖書の救いについて、「信仰義認」や「摂理」についてはよく知らねばなりません。そして神さまが「最善をなしてくださる天のお父様であること」と知らねばなりません。

パウロ先生は神様が良きお方であり、「最善をなしてくださるお方」であることをよく知っています。そして、このお方がこの世界の創造主であり、贖い主であることを「知ってるもん!」と語っています。

今日の説教は「僕、知ってるもん!」という、いつもとは一風変わった題名にしました。「5歳児の言葉ですね~」とか言われましたが、子供のように素直な、神様へのまっすぐな信頼をもって日々歩みましょう。

2)28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。         (28節)

⇒ 万事が益となるように共に働く!

さて、全てが「益」として働くことを知っていますとパウロは告白しています。ここの「益として」と言う言葉は、ギリシャ語で「アガソス」という言葉です。これは「良い」と言う意味、英語のgoodという言葉に当てはまる言葉です。へブル語の新約聖書では、「トーブ」と言う言葉が使用されています。「最善」という言葉です。この言葉に一番近い聖書の箇所は詩編119:68と思います。「主は善にして善を行なわれる」のです。神様の本質は善、その行動は善なのです。

この箇所は2つの解釈が可能であると言われます。

第一は「神」を主語とする理解

第二は「全てのこと」を主語としての理解

第一を取ると口語訳のような文章となり、第二を取ると新共同訳、文語訳のような形になります。

第一のグループ「神」を主語とする。

口語訳:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

第二のグループ「全てのこと」を主語とする。

新共同訳:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。文語訳:神を愛する者、すなわち御旨によりて召されたる者の為には、凡(すべ)てのこと相働きて益となるを我らは知る。

文法的にはどちらも可能な解釈ですが、第二のグループ「全てのこと」を主語とした解釈の方が、より強いそうです。しかし、「全てのこと」が自動的に働いて、益となるという考えは、汎神論的な解釈も生まれて、「人生万事塞翁が馬」のような解釈をする人が出てこないとも限りません。「神が、すべてのことにおいて共に働いて、善のために」とするのが良いと松木治三郎は言います。 わたしも同感です。全能の神様、愛と恵みの神様が、すべてを最善に導いてくださるのです。アブラハムの時も、ヨセフの時も、モーセの時も、摂理の神は働き給う!アーメン3)28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。         (28節)

⇒神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちに

最後に、ここではクリスチャンのことを「神を愛する者たち」と言う言葉と「御計画に従って召された者たち」という二種類の言葉で表現しています。「神を愛する者たち」という表現はここにしか出てきません。「神に愛されている者たち」という表現は多いのですが「神を愛する者たち」と言う表現は少ないのです。それは神の愛を受けることが大事で、その愛を受けるところから「主を愛するもの」となることを暗示しているのでしょう。また、「御計画に従って召された者たち」という表現は、神の歴史支配と摂理と言うメッセージの中で理解される言葉だと思います。神様はわたしどもを天地の造られる前より選び分かち、十字架の血潮によって贖い、神の救いの中にいれ、聖霊に満たして証しの業をさせて、やがて終末にいたる主のご計画、主の御経綸に霊の目を開き、世界の救いのために労する器、「御計画に従って召された者たち」と呼びます。神様を愛し、神の救いの計画を証しする者となりましょう。

この聖句は、淀橋教会の小原十三司先生の特愛の聖句で、昔の淀橋教会の会堂には、二つの聖句がかかっておりました。一つは「からし種一粒ほどの信仰」、もう一つは「すべての事相働きて益となる」でした。昭和17年6月の弾圧で投獄され、体重が40キロにまでなられても、この神の最善への信仰に堅く保ち、忠実に、神様に仕え続けた信仰は、このロマ書8:28に裏打ちされています。わたしどもも、パウロ先生のように、神の最善と最愛を信じ、その生涯を全うし、主のみ前に出た時には、「善かつ忠なる僕、よくやった!」との主のお褒めの言葉を受けたいと思います。こころの友では92歳の横山義孝先生が御用をされ、今日は肩の骨折を越えて、金谷姉が礼拝に出席されました。ハレルヤ

【祈り】 主よ、今日はロマ8:28を学ぶことが出来て感謝します。「僕知ってるもん!」と神様の救いと恵みの世界を、讃美しつつ歩み行かせてください。神様の不思議な愛の御経綸に支えられて、自分の職場や家庭で主の救いの証し人としての歩みを全うすることができますように。どのような試練や困難の中にあっても、勝利の中に歩めるように導いて下さい。愛と恵みに満ち給う主イエスの御名によって。アーメン