説教「言・命・光」

2019年12月1日 主日礼拝
聖書箇所:ヨハネ福音書1:1~5
説教:深谷牧師

 今年も、アドベントの時季を迎えました。教会暦で行くと、このアドベントから一年が始まります。アドベントは、もともと adventus というラテン語(ad-へ + venire-来る +tus 過去分詞語尾=「-へ来ること」から「到着」の意味)です。キリストの到来、出現を待つ時期という意味です。これからクリスマスまでの時、わたしどもは主イエスに会う備えの時といたします。王の王、主の主なる恵みのお方が来られる。教会暦にはひとつの教えがあります。人生が真実に始まるのは、主イエスを心に迎えるための「備え」から始まるのです。また、このアドベントという言葉から adventure(冒険)という言葉が出たと言われます。神様が御子イエスをこの世に送って冒険をしてくださった。そして、主イエスを心に迎えるクリスチャン生涯は、素晴らしい可能性に満ちた愛と信仰の冒険であることを語っているのです。
 さあ、今日から素晴らしい冒険の旅に出かけましょう。

【この聖書箇所の概略】
 さて、ヨハネ福音書は「はじめに言があった」と有名な書き出しで始まります。「ことば」とはギリシャ語でlogos。宇宙の法則、道理の意味で、天地宇宙を貫く「真理」としてのキリストを指し示します。ここは「ロゴス賛歌」と呼ばれる箇所です。
  賛歌1( 1ー 5節) 創造者であるロゴスを讃える
  賛歌2(10ー14節) 人となったロゴスを讃える
  賛歌3(16ー18節) 啓示と恵みの与え主であるロゴスを讃える
 更にヨハネ福音書は「しるしの書」(主イエスの7つの奇跡1:19ー12章)と「栄光の書」 (特に主イエスの十字架と復活 13ー20章)とで構成されています。

【メッセージのポイント】
1)1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2 この言は初めに神と共にあった。3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。(1~3節)
⇒ キリストは神の言(ロゴス)
 マタイの福音書は旧約で預言されたメシヤ(油注がれた方=救い主)としてのキリスト、マルコ福音書は僕として仕えるキリスト、ルカ福音書は全人類の救い主としてのキリスト、ヨハネ福音書は全宇宙的な広がりの中で神の子としてのキリストが描かれています。ヨハネはここでキリストの姿を「肉体を取った神」という姿でわたしたちに伝えています。ヨハネはイエスキリストを受肉前と受肉後に分けて説明しています。受肉前の主イエスは神の「言」(=ロゴス)であり、「独り子なる神」と語っています。
 この箇所は天地創造の記事(創世記1:1ー2)とよく似ています。その箇所と照らしあわせて福音書記者は書き始めています。その第一は天地創造の初めにロゴスなるお方がおられたという内容です。
ロゴスは「論理」「道理」「知恵」「真理」「理性」等様々な言葉に訳されます。ロゴスとは一言で言えば「混沌」の反対で、神の秩序、神の論理を意味します。この世は空虚な混沌ではありません。この世は美しい秩序あふれる神の恵みの最高傑作なのです。世界は神の理性の壮大な創造物であり、醜悪なる空虚な世界とは違うのです。その原点はキリストの愛と恵みの秩序ある世界。ここに深い神への信仰告白とこの世に生かされて行くことの意味を見ることができるのです。キリストはこの混沌のカオスから救う神の真理なのです。
 皆様も同じではないかと思うのですが、主イエスに出会うまでのわたしどもの生涯を考えると、わたしどもは混沌の嵐の中に歩んでいました。わたしも自分の青春時代を思い起こすと、実に、神の救いを受ける前の、混沌の世界を思い出します。どのようにして自分の人生を生きてゆくのか?当時、若者をひきつけた共産主義思想にひかれたり、仏教にひかれたり、自分の欲望に振り回されたり、高ぶったり、醜さに絶望したり、激流に翻弄される枯れ葉のような、混沌そのものでした。主イエスに出会わなかったら、自分の醜さと様々な重荷で人生そのものを棄権していたかもしれないと思います。実に主イエスはわたしにとって混沌の怪物から救ってくださった真理の君なのです。神のロゴス、これは「神の真理」という意味です。主をたたえよ。

2)4 この言に命があった。
⇒ キリストは永遠の命!        (4節a)
 さらにヨハネはこのロゴス(=キリスト)のうちに「命」があった、と語っています。「生命」は「死」の反対語です。命の世界、すなわち、摂取や排泄を繰り返し、成長し完成をめざし、喜びや感動、切れば暖かい血潮が流れてくるような存在として、生命は存在します。そして最後は高度な知的、霊的能力をもって、創造者なるお方を認識し、霊的な交流を持ちつつ、本来の創造者の意志すなわち創造の完成をめざして共に働く存在として命が創造されたのです。命の最高形態は愛です。この生命の根源は神のロゴスなるキリストの内にあると聖書は語っています。
人間には限界がありますね。
10年位前、新聞を見て驚きました。「ドラえもん」の声優さん、大山のぶよさんが引退すると言う話でした。高齢になられたためであると言うのです。そうしたら、ツネオやのび太役の声優さんもかなりの年代。「サザエさん」のことも載っていました。びっくりしたのは、6歳ぐらいのタラちゃんの声は63歳の貴家さん、2歳位のイクラちゃんが桂さん64歳、さらに「ルパン3世」の不二子さんの声は68歳というのです。長い番組の場合、声優さんが高齢になってしまうのですね。取っておいた切り抜きも紛失してしまいました。
また、最近はラインなどを使えば、あっという間に写真や動画が送れます。本当に便利になりました。その反面、SNS等を通じて、事件が絶えません。自殺志願の女性を呼び出して、連続で殺人したとか、小学生の女の子を監禁したとか、集団で自殺をしたとか・・・。そのようなニュースが日本でも、世界中でも起きています。生きるのがとても苦しくなっているのです。
死の力、生きる希望が失われているのです。わたしどものうちに頂いているキリストはまさに永遠の生命なのです。我らは主にあがなわれ、死を超えた永遠の生命の中に歩んでいるのですから。クリスマスの主がまさに命であることを語り告げてゆきましょう。ハレルヤ。

3)そしてこの命は人の光であった。5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
⇒ キリストはまことの光(4b、5節)
 最後にヨハネはこの先在のロゴス(=キリスト)こそ人間の暗黒を照らし出すまことの光であると語っています。光は闇の反対の言葉です。人間は暗闇を恐れます。現在の日本で本当の暗闇を経験することは難しいものです。
あるところで事故に巻き込まれ、地下で閉じ込められたという事があったそうです。その時に、閉じ込められた人々は真っ暗闇の中で恐れを感じました。その時、誰かが携帯をつけました。淡い、青白いその光であっても、その光で多くの人は慰めを感じたと言います。真っ暗闇は、本能的な恐怖や不安を感じさせるものです。聖書は神から遠く離れた人間は、本質的にこの暗闇を心の奥底に持っていると告げます。それは霊的な暗さです。しかし、クリスマスのメッセージはすばらしい。どんなに人間の罪や死や絶望的な暗黒の深淵にあろうとも、神は光であり、命であり、愛であり、世界の暗黒を打ち破る力なのだと語っています。クリスマスはまさにこの光の到来なのです。
かつて、ある友人から送られた週報にこのような一文が載っていました。

ある牧師が「もしキリストが生まれなかったら」と言う珍しいクリスマス・カードを出版しました。彼は夢の中で、周りを見回したけれども、煙突の下に靴下もなく、鐘も、ひいらぎの枝も、飾られたツリーも、クリスマスに関するものは何もありません。彼は外に出て町を歩きましたが教会は一つもありません。家に帰って書斎を見たけれどもキリストに関する書籍は一冊もありません。 数日後、彼は葬儀を行うためにひつぎの傍らに立ったけれども、そこには聖書も讃美歌もなく、慰めのメッセージも、栄光ある復活も、開かれた天もありませんでした。ただあるものは「塵は塵に、灰は灰に」という言葉と、永遠の決別だけでした。牧師はついに「キリストの慰めの言葉」を聞くことができず、夢の中で、悲しみのあまり、涙を流して激しく泣いていました。そして、目を覚ますと次の声がありました。「忠信なる者よ。歓喜と勝利をもて来たれ。ためらわずに来たれ、ベツレヘムに来たれ。来たりて、神が人となられた救い主を拝せよ。主は祝福をあふれしめんとて来たりたもう。呪いはとこしえに離れて見出し得ず」と。やがて彼の唇から讃美と歓喜がほとばしり出た。

今日はアドベント聖日です。主イエスをこころに迎える備えの第一日目です。まず、深い悔い改めを持って御前に立ちましょう。
主イエスこそ「まことのロゴス」です。混沌と無秩序ゆえに傷を負い不毛の人生を歩んだところから、整えられた、充実した人生を歩み始めましょう。
また主イエスこそ「まことの命」です。絶望的な罪と死の支配の中から、キリストの永遠の命の中に歩み始めましょう。
また、主イエスこそ「まことの光」なるお方です。暗闇の中で手さぐりし、絶望と悲しみの中に歩んだ生涯から、平安と喜びの源なる主イエス様をこころにお迎えいたしましょう。わたしどもの性質が「混沌」「死」「暗黒」に陥りやすい性質を持つがゆえに、否、「混沌」「死」「暗黒」そのものであるがゆえに、今日、心の内にキリストの救いを迎えましょう!ここから恵みに輝く、冒険に満ちた、アドベンチュアな、充実した日々が始まるのです。ハレルヤ

【祈り】 天のお父様!今日はアドベントの恵みの出発を感謝します。今日は一年の初めです。今日から新しい一年間をはじめます。主イエスよ、愛する兄弟、姉妹と共に祈ります。わたしどものこころに来て住んでください。神の言なるキリストよ。わたしのうちに来て、混沌や混乱の世界から、引き上げてください。神の命なるキリストよ、わたしのうちに来たり、魂の内側から滾々と湧く永遠の命を与えてください。神の光なる主イエスよ、今来たりて、わたしどもの暗黒を照らし出し、恵みの光と平安で満たしてください。わたしどもの救い主、クリスマスの主である、イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン