説教「一万タラントの借金」

2019年10月27日 主日礼拝
聖書箇所:マタイ8:20~35
説教:深谷春男牧師

今日は永眠者記念礼拝です。この日、新宿西教会ではすでに天に召された先輩方を覚え、写真を会堂にかざって、その記念とし、礼拝の時を持ちます。わたしは昨年の4月に赴任となったものですから、あまり、多くの方を存じ上げません。しかし、生前の方々を知っておりましょうとも知らなかったとしても、聖書の信仰に立って歩まれた方なら、罪の赦しと永遠の命への信仰を持ち、天国を見上げながら、召されていったのだと思います。ここに飾られた写真の方々、そして、今朝、ここにはそれぞれの愛する家族や友人の方々も沢山集まっておられます。わたしどもはやがて主の御前に立つのです。先輩たちと共に、死を超えた永遠の世界を見つめてゆきましょう!

 特に、今年になって1月5日、天に召された田原勝太郎兄、笑顔のままで天に旅立って行かれました。また、2月3日に、ご自宅で急に召された西田正兄。
伝道劇に献身の思いで取り組んだ西田兄の最後の演劇は「続・氷点」でした。その主題は、「罪の赦し」とういう主題でした。

【今日の聖書箇所の概説】
今日の聖書箇所は、しばらく前に、毎朝6:00~7:00に行っている、早天祈祷会で読んだ聖書箇所でした。4人で読んだのですが、とても深い感銘を頂きまして、ああ、今度の永眠者記念礼拝は、この聖書の箇所を話そう!と強く導きを得た聖書箇所でありました。
マタイによる福音書は、新約聖書の初めにあり、大変有名な個所ですね。明治時代に最初に翻訳された時は、カタカナの表記が一般的ではなかったので、「馬太伝」と表記されていました。昔、初めて教会に来て、聖書を読んだある方は、「馬、太る伝」とは何だろう?そして、中身を開いて読むと、「イエス・キリストは油屋の孫で、足袋屋の息子・・・の系図」と読んでびっくりしたと言うのです。この18章というところは「教会について教えている箇所」と説明されています。1万タラントの借金をした人の話が出ています。これは昔の遠くパレスチナの金額で、読んでいてもよくわからないのですが、解説を読みますと、このように書いてあります。現在の日本の一日の給料を大体一万円と考えますと、約6000億円に相当する金額だと言うのです。その借金を赦していただいた人が、100万円借りた人に出会って、彼の首を絞めて、借金を返せと言って牢獄にいれたという話でした。

【メッセージのポイント】
1)21 そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。22 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。(21,22節)
⇒ 七を七十倍するまでの赦し!
この話はまず、「そのとき」という言葉から始まります。主イエス様の弟子のペテロが、イエス様に質問しました。「そのとき」というのは、親しい友が罪を犯した時には、二人だけの所で戒めなさい。もしも、どうしても悔い改めないなら、教会に話して彼を異邦人のように扱いなさい、という厳しい教えの後でした。ペテロが主のみもとに来て言いました。「主よ。兄弟がわたしに対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」この質問は当時のラビたちの考えとしては、「三度までは赦してやりなさい」というのが多かったそうです。七度までというのは、「三度まで赦し、さらに三度まで赦し、更にもう一度まで赦す」という破格の赦しの言葉の意味を含んでいたのであろうと思われ、ペテロは、誇らしげに語ったのであろうと言われます。しかし、主イエスは答えられました。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでにしなさい。」
御存じのように、聖書の7という数字は完全数です。7×70=490=無限にという意味になります。7[徹底的に]×7[徹底的に]×10[徹底的に]=永遠に、無限に赦すのです、と主イエスは語られました。
たしかに、簡単に赦してはならない問題もあります。法的な正義に訴え出て、裁判を求めねばならないこともあります。人を間に立てて、ことの真実をはっきりさせなければならないこともあります。しかし、主イエスの大原則は「最終的な審判を神様にゆだねて、怒りや憎しみの奴隷になってはいけない。ストレスに自分がさらされて地獄を味わってはならない。審判を神様に任せて、さわやかな人生を生きよ」という意味でした。
わたしたちを傷つける相手、わたしたちを中傷する相手、わたしたちを憎む相手に対して7回を70倍するまで赦し続けることができますでしょうか?それを実行できる人はいません。わたしたち罪深い者たちにはできません。わたしたち人間は、だれもが、そういう弱さや破れを持っています。どうしたら、わたしたちは審判を神様にゆだねて、赦せるのでしょうか? どうしたら、敵のため祈り、敵を愛することができるのか? これがここの主題です。

2)23 それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。24 決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。25 しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。26 そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。27 僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。(23~27節)
⇒ 1万タラントの借金の赦し。
主イエスは、天国のたとえを語り始めました。王はそのしもべたちと清算をするようなものです。決算が始まると、まず一万タラントの負債の者が、王のところに連れて来られました。彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じました。それで、この僕は、主人の前にひれ伏して、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。27 僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。『どう猶予ください。そうすれば全部お支払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやりました。何という気前の良い王様なのでしょう。
さて、これはたとえです。神様はこの王様のようです。福音とは、その内容を説明されるとビックリ仰天。「1万タラント」は、現代日本の感覚で言うと、「6000億円」になるそうです。彼は返済することができなかったので、その主人は、自分も妻子も持ち物全部も売って、返済するように命じました。「なんと!罪の負債額は1万タラント(無限)!」これは、あり得ない金額です。1万タラントは、6000億円です。これは1日1万円で計算すると、17万年分の給料です。古代の国々の国家予算相当です。天文学的な数字です。こんな借金ができる人はいません。こんなお金を貸す人もいません。
イエス様は何を伝えたいのでしょうか? それは、「わたしたちの罪の負債額は6000億円!1万タラント。永遠に返済不可能。「自分も妻子も持ち物全部を売っても返済不能」。わたしたちは神様の前に、どれくらい罪深いのか? 神様の清い目から見れば、それは 6000億円相当であるというのです。
「義人はいない。一人もいない。悟りのある者はいない。一人もいない。すべての者は迷い出てことごとく無益な者になった。善を行う者はいない。一人もいない」(ローマ3章10~12節)「すべての者、罪を犯したために、神の栄光を受けられなくなっている」(ローマ3章23節)。わたしたち人間は鈍くて、自分の罪がどれほど深いかわからないのです。異常に緊張した医者の表情を見て、自分の病気が簡単ではないことをようやく知り、主イエス様の十字架の前に立ち、ようやく、自分の犯してきた罪の重さを知ることになるのです。

3)28 その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。29 そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。30 しかし承知せ
ずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。31 その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。32 そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。33 わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。34 そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。35 あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
⇒ 百デナリの借金の赦し
ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリ(約100万円)の借りのある者に出会ったというのです。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れてしまいました。彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話しました。そこで、主人は彼を呼びつけて言いました。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。わたしがおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡しました。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
わたしたちが、神様の前に、自分の罪の深さや恐ろしさを知る場所は、ただ一点、主イエス様の十字架です。清く、傷のない神様の独り子があの十字架の上で、あなたの罪を、わたしの罪を身代わりに背負われたその瞬間に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」と絶叫された。そして、神様の正義の審判を受けて、心臓を破裂させて死なれた。このできごとを見る時だけ、わたしたちは自分の本当の罪の深さを知るのです。1万タラントの負債の大きさを知るのです。

【祈り】 恵みの主よ。今日は永眠者記念礼拝を感謝します。信仰の先輩たちのお写真を前に、あなたを礼拝する時を持ちました。わたしどもの罪は1万タラントの借金のようなものです。あなたの御前に立つ時、自分の罪と破れの大きさに戸惑うばかりです。十字架によってわれらの罪を贖い、その赦しの恵みのゆえにわたしどもを整えて、憐み深い者へと整え、他者を赦すものとしてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン