説教「慰めの時が来ました」

2019年11月24日 主日礼拝
聖書箇所:使徒行伝3:17~26
説教:深谷美歌子牧師

 去る22日に、「みさよはうす富久」という新宿に最近できた、特別養護老人ホームに講演会があり、行ってきました。新宿は日本の他の地域に比べると高齢者の割合は少ないですが、独り暮らしの方が割合的には多いそうです。認知症になっても、周囲の理解と、手助けがあれば暮らしやすいということで、手助けの寸劇を職員の皆さんがしてくれました。参加者の中からも、と言われ、元来、消極的な者で、黙っていたのですが、後ろの方に「あなたどうですか」と言われて、神様の声かと思い、やってみました。好評をいただけました。人は思いやりがあって、生かされるのを思いました。 

本日の聖書箇所は、ペテロの説教の第二弾ですが、誰にも必ずいただける慰めを受け取る道があると語っています。

【聖書箇所の概説】
使徒行伝3章以下の内容を見てみましょう。
1-10節 美しい門の前での、足のなえた人の癒し
11-16節 ペテロの説教あなた方はメシヤを殺した。われらは復活の証人。
17-21節 ぺテロの説教あなた方はメシヤと知らなかった、悔い改めよ。
22-26節 モーセや預言者はこの時のことを予告していた。祝福を受けよ。

 前回までの内容は、「美しの門」の前で、物乞いをしていた、足のなえた男性の足の癒しと、そのときに集まった群集へのペテロの説教の箇所でした。ペテロとヨハネの「ナザレ人イエスの名によって歩け!」という言葉によって、歩き始めた足のなえた男性はいやされて、歩き回ったり、踊ったりしながら、境内にいって行き、その時に集まってきた人々に向かってペテロが、説教を始めたのでした。
 前回のペテロの説教(11-16節)の要約を記します。
① あなたがたは、命への導き手である方を十字架にかけて殺した。
② しかし、神はこの方を死者の中から復活させられた。
③ わたしたちは、このことの証人です。
④ この男性の癒しは、イエスの名による全人格のいやし、神の国の到来でした。

【メッセージのポイント】
1)兄弟たちよと呼びかける
17さて兄弟たちよ、あなたがたは知らずにあのような事をしたのであり、あなたがの指導者たちとても同様であったことは、わたしにわかっている。(17節)

 ペテロは「兄弟達よ」と呼びかけています。あの出来事(イエス様を十字架にかけた)は、指導者たちも無知によってしたことであり、あなた方も無知であったがゆえにしたことと分かっていますと語りかけます。
 先週の聖研祈祷会ではマタイ5:43-48までを学びました。「敵を愛しなさい」というものでした。しかし、敵を本当に愛したら、語るべきことは語るのが愛で、それは、憎しみからではないと学びました。
 ここでのペテロの説教も、聖霊に満たされたペテロがそのように変えられているのを見ます。ペテロ自身もイエス様を裏切り、赦されたものでした。十字架につけたユダヤ人たちと変わらないと自覚があったことでしょう。「兄弟たち」と呼びかけます。しかも神さまは、人間のこれらの落ち度も用いられて、すべての預言者の口を通して予告しておられた、メシアの苦しみを、このようにして実現なさったと語りました。
 一昨日、バックストン聖会に行ってきました。藤本満先生がペルシャじゅうたんの話しをしておられました。店に飾ってあったじゅうたんの値段を見てびっくり、100万円だったそうです。なぜそんなに高いのかというと、同じデザインのじゅうたんを作ろうとしていても、赤ちゃんの世話をしたり、家事を途中でしたりして、必ず間違うのだそうです。でもその間違いをちゃんと模様に織り込んで、りっぱな、しかも世界に一つだけのじゅうたんに仕上がるのだそうです。
ペテロはユダヤ人への糾弾を語りましたが、その間違いをも超えて、ユダヤ人の救い、人類の救いを神様は完成されたと語ったのでした。
それも預言者によって預言された通りの苦難の僕としてでした。神様はユダヤ人の無知の故の罪をも不思議に用いて、「メシヤの苦難」といわれる救いの道を、十字架において成就されたのでした。
 そして、ペテロは、事実として起こった、復活と、赦しと、昇天と、聖霊降臨を証言しながら、あなたがたも悔い改めるなら、赦されると語り掛けたのでした。

2)罪の赦しのため、悔い改めて立ち返りなさい。
 19そして、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ち帰りなさい。                       (19節)

 ユダヤ人に、やさしく語り掛けながらも、悔い改めて立ち返りなさいと語ります。
 「悔い改める」とは、ギリシャ語で「メタノイア」といいますが、これは「方向転換」という言葉です。イエス様が待ち望んだメシヤであったのに、認めず殺したことを、弟子たちの証言、足のなえた男の完全な癒しの姿を見てイエス様をメシヤと信じ、悔い改めなさいとすすめます。
 このことは自分中心に歩き、滅びへと向かっていたわたしたちにも語られています。イエス様の十字架は、全ての人の罪の贖いのためでありました。
 最初、弟子たちでさえ、救いはユダヤ人のためであったと思っていました。本日の個所にも「神がまずあなた方のためにその僕を立ててお遣わしになった」26節と語っています。しかし、異邦人のコルネリオに招かれ、行く前に大風呂敷のようなものが夢心地のペテロの前に降りてきて、「これを屠って食べなさい」との声があり、また、福音を語った時、異邦人にも聖霊が下ったのを見て、神様の思いは全人類の救いであったと確信しました。エルサレム教会でペテロはその事を証言しました。
 こういうわけで、今もすべての人が、悔い改めるように語り掛けられています。「悔い改めなさい」とは威張っているように感じますね。でもこれは上から目線ではありません。同じ失敗をしたペテロもイエス様に立ち帰り、ゆるされた喜びを受け取りました。 同じ恵みを受取って欲しくて語っているのです。
 わたしも「悔い改めなさい」なんて、偉そうで、言えないとか思っていました。が、愛は不義を喜ばないで、真理を喜ぶ。正しいことを語ることが祝福の命に生きることになると分かりました。
 悔い改めるとは、イエス様の十字架で流された血潮が自分の罪の身代わりであったことを受け入れ、それを信じることです。いつも心の深いところでは人を裁き、人を恐れ、神を恐れ、神などないと神と敵対し、神と関係が破れていたことを認め、神と和解をすることです。罪赦され、神と和解し、神の子供となり、神の恵みに与かり、今、神様に祈り、確かに聞いてくださる方を知り、永遠の命の中を委ねながら歩むようになることです。
悔い改めてイエス様をお迎えしてください。

3)慰めの時が来ました。来ます?
20それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなた方のためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわしてくださるためである。21 このイエスは、神が聖なる予言者たちの口をとおして昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。    (20節)

 ここでペテロは最後に「万物更新のとき」について語ります。
イエス様は、神の国がいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねた時、「神の国は見よここにある」「あそこにある」などとも言えない。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」ルカ17:20,21と語られました。ですから、慰めの時は、イエス様の命を頂いたものには、すでに到来しています。互いに愛し合い、赦しあう中に神の国の慰めの命を味わうでしょう。
でも先週のマタイの学びでも「敵を愛しなさい」とイエス様が語られていて、この世界には敵が存在することを認めておられます。
万物更新は、この世の終末、創造主である神様が最終的に支配される、イエス様の再臨のとき、全部が神の国になる出来事です。今慰めを頂きつつ、目を覚まし、終末の時の近いのを感じるこの時、恵みの日の間に、リバイバルを祈ってまいりましょう。神様が待っていてくださる祈りだと信じています。

被災地献金のお礼の手紙に入ってきた文を紹介します。
 「あなたの最良のものを与えなさい」
   人は不合理、非論理的、利己的です。
   気にすることなく、人を愛しなさい。
  あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと思われるでしょう。
   気にすることなく、善を行いなさい。
  目的を達成しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。
   気にすることなくやり遂げなさい。
  善い行いをしてもおそらく次の日には忘れられるでしょう。
   気にすることなく、し続けなさい。
  あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
  気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。
  あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
  気にすることなく、作り続けなさい。
  あなたの最良のものを、世に与えなさい、蹴り返されるかもしれません。
  でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

  主よ、こんな罪人の私をとことん愛してくださり、心から感謝します。
                      マザーテレサ

 この詩?には神の前に清く生きようとする人の思いが伝わります。人の醜さも思います。でもそれを他人ごとにしない、それは自分のうちにもあるものと認めて、イエス様の愛の中に逃げ込んで慰めを受けている姿も見えます。この命に生きられますように。

【祈り】 父なる神様。ペテロは自分こそ、裏切り、弱く怖れを持つものであったことを、知っていました。イエス様に出会い、赦されて、聖霊様に満たされて、愛に生きるものとされました。慰めを味わっていました。
私達も罪赦され、祈りが聞いていただける幸いなものとされたことをありがとうございます。「恐れるな!思い煩うな」と語ってくださる、あなたに包まれながら、今を歩ませてください。そして、これからなされる恵みの業、あなたのリバイバルと再臨と万物更新の到来を期待するものとならせてください。      
主イエスの聖名によって祈ります。アーメン。