説教「心を込めて愛し合い」  

2019年12月29日 主日礼拝
聖書箇所:1ペテロ4:7~9
説教:深谷美歌子牧師

「人類が滅びようとしているのに、金儲けの話か、温暖化対策に本気に取り組まなければあなたたちを許さない。」と、スウエーデン人のグレタ・トゥーンベル(16歳)さんが、国連の世界環境会議で演説しました。
 NHKでも、首都直下型大地震が起こったという、シュミレーション番組を組みました。「もしこの地震が起こったら、首都は再建できるのですか?」の質問に専門家は「できません」」と返答していました。 
 イエス様も世の終わりには「戦争と戦争のうわさ、ききん、地震が起こる、多くの人の愛が冷える」(マタイ24:4節以下)と語られました。
 グレタさんの意見や、NHKで番組を組んだ理由は、信仰のない人が現代を見て、このままでは滅びると判断した、警告の言葉です。
 一年の最終礼拝に、どのおことばを取り次いだらよろしいでしょうかと、祈って、心に響いた言葉は「万物の終わりが近づいている。」という言葉でした。
この言葉は、聖書で2000年近く語られて来ました。が、いまこそ聞き取るときではないでしょうか?

【聖書の概観】
7節   万物の終わりが近い、努めて祈りなさい。
8節   互いの愛を熱く保ちなさい。
9節   不平を言わずにもてなしあいなさい
10-11節 互いの賜物をお互いのために用いよ。

1) 万物の終わりがある。
万物の終りが近づいている。 (7節a)
 まず万物の終わりが近いことを自覚しましょう。グレタさんや、NHKの製作者も、温暖化や、国と国とのありようを見ていて、このままでは滅びるという結論で、何とかこの世界を持続させるために、今対策を!と叫んでいます。 しかし聖書は、終わりがある、その時はイエス様が再びこの世界に来られるときと語っています。はっきりといつかはわかりません。
 でも、もしご再臨の終わりに居合わせないものにも、死という終わりが、誰にもあることは、全ての人が認めるところです。それがいつであるかは誰も決
められません。今から永遠の命に生きていることこそ一番大事です。
 クリスマス祝会で伝道部の皆さんが、一致結束して、「天国への道」を人形劇でしてくださいました。今、何不自由なく暮らしているように見える人々も、やがては死を迎えます。永遠の命の中で感謝して生き、この命を伝えて、もし召されるなら、にっこり笑って、天国に帰っていきたいものです。

2)心を確かにし、身を慎んで、努めて祈れ 
万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。   (7節b)
 万物の終わりが近いことを知っている私達はどうしたらいいかを聴きましょう。いたずらに恐れたり、自分は救われているから平気と、何もしないでいて良いでしょうか?
 「心を確かにし、身を慎しんで、努めて祈れ」と勧められています。
心を確かにするとは、分別を持つこと、何が重要であるか重要でないかを冷静に判断すること。気まぐれで、突発的な熱狂に襲われないことです。
 身を慎むという言葉は、時をわきまえ、永遠の中で正気(酔っているの反対)で行動し、人生にまじめに向き合う姿を言っています。 
 これの姿勢をもって、努めて祈ることができる、とつながります。この姿勢からの祈りは、自分の思いが中心でない、真の祈りになります。神様に、どこにいたらよろしいですかと聞く祈りです。
 イエス様がくださった命は、神の子の命です。「私の名によって願うことは
なんでもかなえてあげよう。今までは私の名によって求めたことはなかった、求めなさい。与えられます。ヨハネ14:13,14 
 神様の期待は、私達がイエス様の命を駆使して、この世界が福音に預かること、それを祈り求める者が起こされることと思っています。大海の一滴、砂原の一粒に過ぎないものですが、世界のために用いられるのがクリスチャンの最大の特権です。世界の指導者、異教の国のリバイバルのために祈りましょう。
もちろん目前の兄弟姉妹の必要、自分の今の困難も神様は、答えてくださいます。教会の心を合わせた祈りが用いられてきました。祈りましょう!

3) 心を込めて愛を熱く保ち、罪をおおう  
何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
(8節)
 心を込めてというタイトルにしましたが、共同訳の言葉です。「ねばならない」のイメージではなく、こころの底からの愛、ピンと張り詰めた愛、愛に値しないもの、侮辱する相手とか、危害を加える相手にもかかわらず愛する愛、鼻であしらわれる時にも愛することを意味しているそうです。これは主が私の罪を全部を覆って赦し、愛してくださった愛です。
 クリスマス・イブ礼拝では、深谷牧師が羊飼いにまず救い主の誕生が告げられたことを取り次いでくださいました。羊飼いはあまりお風呂にも入れず、時には臭ったり、人口調査の際には登録する義務からも外された、人間扱いされない存在だったものに、まず、救い主の到来は告げられたのでした。「あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と神様の愛は、告げられたのでした。この愛を永続的に保ちなさい、これがわたしたちの在りようですと語られています。

4) それぞれの賜物を役立てる。
9 不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。10 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。11 語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。

                          (9-11節)
 熱愛することの具体的なことがあげられています。
 もてなし、語る奉仕等のことです。賜物は、神様から与えられますが、それを管理するのは、それぞれの働きに委ねられています。
 御言葉を伝えるものは、自分の考えを語るのではなく、神のメッセージを伝える。何の奉仕も、それぞれに賜物をお与えになられたイエスキリストによって神が崇められることが目的です。

 イエス様の新しい掟は、「互いに愛し合い、赦しあいなさい」です。
 使徒行伝を学んできましたが、復活のイエス様が40日に渡って弟子たちに現れ、神の国のことを語られました。
 聖霊が弟子たちに降られた時、十字架につけたユダヤ人たちにもペテロは、「兄弟たちよ」とやさしく呼びかけ、主が救い主であったことを力強く語りました。信じて仲間に加わったものが三千人も起こされました。彼らは喜びとまごころをもって食事を共にし、神を賛美していました。この姿こそ、イエス様がもたらそうとした、神の国ではないでしょうか?
 ペテロの手紙は、ネロによる大迫害はまだ始まっていない時期であったと思われます。しかし、その兆しが見え始めていたと思われます。12節にあなたがたを試みるために降りかかってくる火のような試練とあります。

 最初に申しましたが、今は、イエス様が語られた、終わりの日のしるしが見
え始めているような時代です。
 聖書を知らない人々でも、100年に一度と言われるような災害が、毎年、地球上のあちこちで起こることや、種の絶滅、核爆弾とかの戦争の危機、難民問題、直下型大地震の恐れ、等、世界中が絶滅の恐れの中にあります。
何とか良い方法をと模索していますが、絶対これで大丈夫ということは、見つかりません。
 わたし達クリスチャンこそが、この暗い世界に、光を掲げることが出来る者です。
 まず、暗く罪の中に沈んでいた者が、愛され、罪を赦されたことを証し、救われた命を高く掲げましょう。なにが起こっても、永遠に変わらない命です。
そして、この愛に生かされた者として、聖霊様に満たされ、それぞれの賜物に生かされて、お互いを、心を込めて愛しあいましょう。神の国が新宿西教会にあり、恐れがあるこの世の人々に光を掲げるところとされますように。

 ルワンダの奇跡のことを聞きました。
 25年前にツチ族がフツ族に虐殺されました。50万―100万人という大きな数だそうです。恐ろしい憎しみが蔓延しました。しかし、やがて、虐殺されたツチ族の方から、赦しの手を差し伸べ、教会で隣同士礼拝を守るようになったと聞きました。今調べると、経済成長、8パーセントにもなったと聞きました。
国を挙げての、和解の神の国が起こったのかと思います。
 全世界に、神の国の奇跡が起こされ、再臨のイエス様を迎えることができますように、共に祈ってまいりましょう。        ハレルヤ!
 祈り 
 父なる神様、わたしたちは大変な時代に生きております。この世界が、わたしたち人類が絶滅する恐れの危機にあると言われます。新しい2020年には、日本では、オリンピックが開かれます。ややもすれば、この厳しい現実から目をそらして、華やかな行事とかに心を向けてしまいます。まず、わたしたちの目をあなたに向けて、永遠の命の希望を、愛し合う神の国を、証しさせてください。世界のリバイバルのために、心を確かにし、身を慎んで祈るものとして、お用いください。主のみ名によって。 アーメン