説教「脱出の道を備えたもう神」  

2020年1月5日 初主日礼拝
聖書箇所:1コリント10:13
説教:深谷春男牧師

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 このお正月、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?わたしは、元旦礼拝で恵まれ、新年聖会で深く取り扱われ、毎朝6時から早天で、毎朝、喜びに満ちた出発をさせて頂きました。また、子供たち、孫たちが、お正月で家に集まり、9人の家族に囲まれて、楽しい時間を過ごしました。新しい体験もいくつかし、「すみっこぐらし」のアニメとか、ドラマ仕掛けのダイエット体操とか、刺激的な体験もありました。京都からはるばるやってきた四歳と七歳の孫も、食事の時には、大きな声で祈ってくれて、感激でしたね。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われる」(使徒16:31)の御言葉を、今更ながら、思い起こすひとときでした。ハレルヤ 

 さて、今朝は有名な第1コリント10:13、一節からのメッセージです。

 前任地で牧会をしていた時に、刑務所から出てきたという方が来られました。この方は、刑務所で教誨師の話を聞いてきましたと言って、こう話されました。

 「わたしは実は恥ずかしいことをして、刑務所に入っていた者ですが、刑務所で聖書の話をしてくださる牧師先生が毎月来られまして、このようなお話をされました。実に立派な方でわたしは毎回、楽しみにしておりました。

 第1回目の話は「神さまは愛なるお方です」というお話でした。
その初めのところで、放蕩息子のお話をされました。お父さんから受け継いだ財産を使い果たした息子がぼろぼろになって帰って来る。お父様は息子がいつ帰ってくるか、いつ帰ってくるかと待ちわびておられる。そして帰ってきたらとがめることなく迎え喜んでくださる。これが天の神様の姿と教えられました。涙が出るほど感動して、その話を聞きました。
 第2回目の話は「キリスト様の十字架」のお話でした。
何一つ罪のないイエス様が、わたし達の身代わりになって、全ての罪を負ってくださった。人間は刑務所に入った人だけが罪人ではなくて、全ての人が罪人。心の中で犯した罪を厳密に見てゆけば、神様の前ではすべての人は罪人。環境が悪かったり、偶然、罪の出来事に会わなかっただけのことで、義人はいない、一人もいないと聖書は教えていると話されました。人間の救いはイエス様の十字架を信じるとき始まるのだ。心にイエス様をお迎えして、救いを頂きなさい、と語られました。救いはキリストの十字架にある。感心しました。
 第3回目の話は「天国」のお話でした。
イエス様を信じて、罪の赦しを得たら、こころは軽くなり、こころの平安が与えられる。そして、永遠の命をいただけるということです。人間はいつも死ぬ事がこわいのですが、イエス様の信じるなら天国にイエス様がお迎えしてくださる。死の恐怖から解放されるということでした。・・・」
わたしはこの人の話を聞いていて、すごい。とても真実な、牧師先生が、教誨師になって、キリスト教の基本を教えられたんだ。また、この方は刑務所で深く反省して、お話を良く聞いておられたんだと感心しました。
  それから彼は、4回目の話をされました。
「はて、第1、神の愛、第2、キリストの十字架、第3は天国、そしたら、第4なんだろう?」と興味を持っていたら彼はこう言いました。
 第4回目の話は、[脱出の道]です。
わたし達が、神様の愛を知り、罪の赦しを受け、天国を確信して楽しい、充実した人生が始まる。刑務所を出ても、このことを忘れないで、神様に祈りながら歩んでくださいね。そうすれば、必ず道は開けます。そして、1コリント10:13のすばらしい言葉を忘れないで歩みましょう。暗唱できるといいですね。皆さんも刑務所から出て行ってから、いろんな試練があるでしょう。でも、神様は、真実な方ですから、「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはない」と教え、更に、「試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さる」のです。ああ、これは厳しいな、試練だな、と感じるような時にも、しっかりとその場所に留まり、のがれの道を神様が備えられているのを信じて、立派な社会人となってくださいね、と言われました。」

 わたしは思わず、なーるほど!と思いました。
 神の愛、十字架の贖い、天国の確信、そして、「脱出の道」を備えたもう神への信仰。ああ、現実の厳しさを乗り越えるには、神様の助け、「脱出の道を備えてくださる」という信仰が大事なんだと、わたしに悟らされました。
 さて今日は前置きが少し長くなりましたが、わたしたちがこの世で試練を受けた時に、いつでも立ち返る有名な聖句を共に頂きましょう。

【今日の聖書箇所の概略】
 今日ご一緒に読みましたコリント信徒への第一の手紙は、伝道者パウロのコリント教会宛の手紙です。コリントという町は紀元一世紀、繁栄を極めたギリシャの港町でした。豊かな繁栄は、人間の自由や尊厳、人間として充実した文化生活へと人々を導きます。けれども、歴史の中で常に見る事ですが、それらの文化の発展と共に、快楽や欲望の追求が、人間の倫理的な生活を圧迫し、風紀の乱れを生んでゆきます。コリントの町もそのようでありました。当時は「コリントする」という言葉が作られ、「放蕩三昧をする」という意味で使用されるほど、コリントの環境は乱れておりました。
 しかし、コリントの教会は非常に活発で、伝道意欲が旺盛で、教会は大きく成長していったようであります。でも様々な問題が起きて、コリント教会の主だった人々が、パウロ先生に質問の手紙を書きました。それに対する答えが、現在、コリント信徒への手紙として、第一、第二の手紙としてわたしどもは読むことが出来るのであります。ですから、そこには具体的な質問事項、教会の中の分裂問題、結婚問題、礼拝の持ち方、聖餐式の持ち方、霊的な賜物のこと、一部の教会員の中にあった復活信仰の否定のことなど、細やかな配慮のもとに記されています。そういう中でも、今日の聖書箇所はすばらしい、深く霊的な内容を教えています。
 特に、わたしどもが試練にあったときに、どのようにその試練を乗り越えるかが、記されています。

【メッセージのポイント】
1)13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。                     Ⅰコリント10:13
 ⇒ 耐えられないような試練はない!
 わたしたちの生涯には多くの試練がありますね。ある方の証しを聞いたら、試練の時に、「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはない」という御言葉が心に浮かんだというのです。そのような意味でこの聖句は大きな慰めに満ちたものです。神様はすべてを知っておられて耐えられないような試練は与えられないというのです。
この手紙の書かれたコリントの教会は、多くの「試練」を経験しました。分裂や争い、不平やつぶやき、傲慢や異端、偶像礼拝や性的な不品行・・・。伝道者であり、牧会者であるパウロは、ここで神の民として歩むわたしどもへの戒めを語ります。「試練」はいつの時代でもやってきます。しかし信仰によって勝利できない「試練」や「誘惑」(ギリシャ語でpeirasmos。この語は試練と誘惑のどちらにも訳せる)はないのだ、と言うのです。パウロはここで、イスラエルの民がエジプトを脱出してから荒野で経験した試練を語ります。

①は偶像礼拝。

②は性的不品行。

③は神の臨在への不信仰。

④はつぶやきです。
 しかし皆さん、自分のあった試練を思い起こしてください。外から見るのと自分の中で体験するのはかなり違いますね。わたしも、2010年の5月から約半年間、声が出なくて説教者としては本当につらい経験をしました。のどの治療にも病院に6ヶ月かかりました。2ヶ月に一回ぐらいはのどに内視鏡を入れて、のどの内側のポリープなどを見ます。あの検査がいやでしたね。鼻の穴に麻酔をスプレーでかけ、そこからカメラを入れてのどの部分を見るのですが、のどのところが通りがよくない。強く押し込むと、ゲッとのどの筋肉が、そのカメラを押し出すのですね。お医者さんが「はーい、ごめんなさいね、はーい、すぐ終わりますよ・・」など言うのですが、4,5枚の写真を取るので何回も、「ゲッ、ゲッ・・」となるのです。体に医療器具を入れるのはいやですね。
 愛する兄弟姉妹!試練に直面した時に、いつでもこの聖句に立ち返りまし
ょう。神様は「耐えられないような試錬に会わせることはないお方」と。昨年、白血病の宣言を受けた水泳の池江璃花子さんが語ったので有名な言葉です。

2) あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。                     Ⅰコリント10:13
⇒ 神は真実なお方!
  続いて彼は、たいへん重要な言葉を語ります。
 「神は真実である」。
 この一語はわたしどもの生涯を支える力のあるような言葉です。この世界を創造し、導いておられるまことの神は「真実なお方」であるとの告白です。これは長い間信仰の生涯を歩まれた方々の心からの告白でしょう。時には信仰のゆえに試練に遭ったり、損をするように見えたりすることもあるかもしれない。そのような時は主を見上げ、「神は真実!」と祈りつつ、歩みましょう。

3)13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。                     Ⅰコリント10:13
⇒ 脱出の道を備え給う神!
 この真実なるお方はわたしどもにどのような試練がやってきても、かならず「のがれの道」を備え給うとパウロは語ります。「のがれの道」とはekbasis という語でこれは「細い道、狭い山道から出る道」を意味しています。「敵に包囲された軍隊が突然、安全への逃げ道を発見するといった含蓄を持つ言葉」(バークレイ)だそうです。新改訳では「脱出の道」と訳しています。今日はわたしは説教題に、新改訳を用いさせていただきました。
 わたしどもの生涯では新しい学校に入ったり、新しい会社や慣れない環境に
置かれることもしばしばかもしれません。しかし、厳しい試練やサタンの甘い誘惑に出会った時に、恐れ惑うなかれ。まず、主を見上げて、「主よあなたを愛します。力を与え給え!」と祈りつつ歩みましょう。主は必ず「脱出の道」を備えてくださるのです!究極の脱出の道は、神の御言葉と祈りですね。ある教会の非常口に「人生の非常口は聖霊の充満」とありました。ハレルヤ

【祈り】 全能の父なる神様。今日は、「脱出の道を備えたもう神」という題のもとに御言葉を頂きました。「耐えられない試練にあわせ給うことのない」あなたが、「真実を持って」「脱出の道を備えて下さる」との信仰告白と感謝をなしつつ、新しく迎えたこの一年を歩み行かせてください。わたしたちの救い主、主のイエスの御名によって祈ります。アーメン