説教「ひとえにイエスキリストの御名による」  

2020年1月12日 主日礼拝
聖書箇所:使徒行伝4:1~12
説教:深谷美歌子牧師

 台湾の選挙戦が終わりました。まさに戦争のような激しさですね。この選挙戦の結果如何で、今後の国のありようが変わっていきます。両陣営も必死であったことです。
 この歳になって世界の仕組みが少し見えています。もしも、わたしたちの日本において、自分の支持した政党が、政権を取れなくても、わたしたちは、自分の今あるところから、出て行かねばならないということはほとんどありません。そして、国の方向が、自分の願わない方向に進んでも、いくら主権在民といっても、わたしたちの個人の小さな力では、世界を変えることはむずかしいのが現実です。
 ところで、国の方針に従わなかったら、どうなるのでしょうか。現代の日本では、「言論の自由」が保証されていますので、少しぐらい過激な発言をしたからと言って、逮捕されるとか、殺害されることはほとんどありません。
 でも、現代でも、国によっては、体制に反対する者は、捕らえられるとか、殺されるところもあります。
 今日の聖書箇所は、約二千年前のエルサレムでの出来事です。話をしただけで、捕らえられ、迫害された人の記事です。何が起こったのでしょうか。

【聖書箇所の概説】
1-3節 ペテロ達がイエスキリストの復活を語り、為政者達に捕えられる。
  4節 ペテロの言葉を聞いて、五千人者人々がキリストを信じた。
5-12節 誰の権威で、ペテロは足の萎えた人を癒やしたのか?それは、「ひと えにイエスキリストの名による」。
 3章のはじめに、エルサレムの「美しの門」の前で、物乞いをしていた足のなえた男性の癒しがありました。ペテロとヨハネの「ナザレ人イエスの名によって歩け!」という言葉によって、彼は、歩き始めました。彼は、歩ける奇跡を体験して、うれしくて、歩き回ったり、踊ったりしながら、境内に入って行きました。前回はそこに神の国が誕生していたことを見ました。
 ペテロとヨハネの回りに集まってきた人々に向かって、ペテロは、「主イエスの十字架と復活」を大胆に語りました。
 今日のところは、この話を聞いた神殿の権威者達が二人を捕らえ、ペテロとヨハネが、議会に呼び出されて、取調べを受けたところです。

【メッセージのポイント】
1) 主イエスに起こった死者の復活を宣べ伝える。
 1 彼らが人々にこのように語っているあいだに、祭司たち、宮守がしら、
サドカイ人たちが近寄ってきて、2 彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、3 彼らに手をかけて捕え、はや日が暮れていたので、翌朝まで留置しておいた。  (1-3節)
 ここには初代教会のすばらしい信仰の記録があります。ペンテコステに聖霊の降臨、内住を経験した弟子たちは、祈りとみことばの学び、神の家族の交わりを続け、イエス様の十字架と復活を宣べ伝えました。すると、主イエスの名による奇跡の業が起こりました。そのたびにペテロやヨハネたちの説教があり、証しがあって、主の教会(神の国)に加えられる人たちが次々と起こされました。ペテロとヨハネが話したのは「主イエスの十字架と復活による救いのこと」、「この主イエスこそが旧約の預言者たちが記していた救い主であること」「今、悔い改めて洗礼の恵みに預かり、永遠の命を受けよ!」というものでした。
 ところが今日の箇所では、この説教を聞いた、祭司達、宮守がしら、サドカイ人達が「イエス自身に起こった死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、彼らに手をかけて捕らえ、留置所にいれた」と記しています。
 ここには、明らかに「イエス自身に起こった死人の復活」が逮捕の理由であったと記されています。
 サドカイ人というのは、当時の社会の政治的権力者達で、祭司、貴族階級であったようです。ローマの支配におもねって、旧約聖書以外の口伝を廃し、合理的に解釈する進歩主義者であったそうです。彼らは、「復活とか、天使とか、霊とかは一切存在しない」(使徒23:8)と説きながら、民衆を導いていました。ですから、このとき、弟子達が「イエス自身に起こった死人の復活」を語っているのに気をいらだてたのです。しかも、ユダヤの指導者である彼らが、つい五十日ほど前に、十字架につけて殺した、あのイエスが復活したと言うものですから、我慢がならなかったのです。
 現代の教会も、この世に伝えるメッセージは、同じ事です。「主イエス様は私達の罪を負って死に、死を打ち破って復活し、昇天し、地上に聖霊を送られた」というメッセージです。
 教会の伝道は、教えではありません、世界に起こった歴史的な事実を伝えるものです。
 藤井圭子先生は仏教に真理があると思って、追求しました。出家得度し、その教理を教えられ、それを得るために、専心修行しました。しかし、得られるはずの解脱が得られませんでした。失望した藤井先生は、還俗して小児科医となりました。その後も、真実な方ですから、自分の心の底にある、いやな自分を時々発見するのでした。あるとき、自分の家の隣に教会ができて、特別集会がありました。伊藤栄一という説教者が、「イエス様がわれらの罪を贖って死んで下さり、死を打ち破って復活し、聖霊を送ってくださった、あなたもこれを受け入れて、新しい命を頂きませんか?」藤井圭子先生は、感じるところがあり、集会の終わりに、伊藤先生にお願いして祈っていただき、この聖書のメッセージを受け入れて帰りました。次の日、彼女は、自分が変わったことに気がつきました!「あの嫌いな夫のところに訪問に行くのに、車のハンドルを握ってもいつも感じる「あの夫のところにゆくは、いやだな~」という感情が湧かなかったのです。「あ!わたしは変えられた!」これは、藤井圭子先生になされた神様の業でした。教会は、2000年の間、主意エスを信じて、心の変えられた人々の経験した人々の証言によって、つづられ、伝えられてきました。


2) 聞いて信じたものが五千人にもなった
しかし、彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった。              4節
 4節には「彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった」と記されています。ペンテコステ当日に洗礼を受けたものが三千人でした。女性も混ぜたらあっという間に1万人の教会が出来上がったことになります。
 ペトロとヨハネが説教をして、「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々がやってきて、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた」と記されています。宣教をはじめて、最初の迫害が起こりました。
 冒頭でお話ししましたように、当時の為政者による、言論の封じ込みです。彼らは、それが事実であるか否かであるよりも、自分たちの統治を邪魔する者を逮捕したのでした。このところを「もしイエス様が本当によみがえらなかったのだとしたら、イエス様の死体を提示すればよかったのだ」と書いている方がいました。なるほどと思います。弟子達が盗み去ったと番兵達に言わせて、今日でもそれがユダヤ人の間に広まっていると、マタイ28:11-15には書いてあります。復活の事実が、嘘であったなら、とことんイエス様の遺体を捜せばよかったのです。
けれども、それは証明できませんでした。それでも、イエス様の復活を証言する弟子達を捕らえたのでした。
 しかし、このような妨害にも関わらず、信じた者が五千人も起こされたのでした。普通でしたら、一人の人間が、体制にもの申しても影響を与えることなどほとんどありません。足の萎えた人が癒やされた事実と、聖霊に満たされて、ペテロが語った証言の言葉を聞いて、信じた者が次々、起こされたのでした。


3) 聖霊に満たされて
8 その時、ペテロが聖霊に満たされて言った。   8節
 翌朝、ペトロとヨハネとは議会に連れ出されて、居並ぶユダヤ教の権威、議員、長老、大祭司の中で尋問されました。これは当時の最高権威のサンヒドリンの議会でした。日本で言えば国会です。「お前たちは何の権威によって、誰の名によってああいうことをしたのか?」との尋問です。
 今回ここを学んでいて、教えられたことは、このときの尋問内容が、前日の逮捕時の理由と異なっているということです。サドカイ人達は、合理主義で、「復活とか、天使とか、霊とかは一切存在しない」(使徒23:8)という信仰を持っておりました。が、このサンヒドリンの議会には、律法学者、パリサイ人も加わっていました。彼らは、復活を信じる人々でした。それで、復活を説いていたという理由では、一致できないということになり、尋問の内容が、足の萎えた男の癒やしを、誰の権威によってしたのかと、変わっていました。彼らがいかに日和見で、確固たる真理に基づく行動でなかったかを表しています。それにしても確かに大勢の群衆が集まり、治安を乱したとはいえるかも知れません。
しかしこの設問を逆手にとるようにして、二人は聖霊に満たされて言ったとあります。 以前、イエス様が議会に引き出されたときには、何を語るかと心配するな。聖霊が教えると語られたとおり、無学なただの人であるこの二人は大胆に適切に語りました。
 今も、全て求める者に来てくださる、聖霊は、イエス様が世の終わりまで共にいると約束されたことを実現してくださっています。わたしたちも、この方にいつも依り頼みましょう。


4)ひとえにイエスキリストの名によって!
あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。   10節
 

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」12節
 当時の最高権威であるサンヒドリンの議員の前で、イエス様を十字架につける決議をした議会の中で、「あなた方が殺した、あのイエスが今も生きて、このことをされたのです。」これが弟子たちの答えでした。
 12節の言葉は最高の権威は、イエスキリストと宣言しています。そのイエスキリストの名の権威のもとに語ったのだと語りました。
 罪のない神の子、イエスキリストの十字架による罪の身代わり、死を打ち砕かれた主イエスの復活!全ての権能を頂いて、共にいて、語るべき言葉を教え、主の愛を満たしてくださる、イエスキリストの霊、聖霊の臨在!
 わたしたちもこの権威のもとに立てられていることを深く覚えましょう。この世では、能力や容姿、立場で、価値が計られます。
 相模原で19人も殺害した人が、意志を表せないものは生きている価値がないというようなことで、殺害したと聞きました。全ての人は神の前に罪人です。しかし、そのことを認め、イエス様の十字架が、我がためであったと認め、悔い改めてイエス様を信じるものは、神の子とされます。最高権威の許に置かれるのです。
 ペテロもヨハネも、当時の世界でも「無学なただの人」(13節)でした。
謙遜に、でも堂々と歩みましょう。天下にイエスキリストの外に救いはない!と光を高く掲げながら。      ハレルヤ!


【祈り】 父なる神様。今日は新年第二聖日です。年頭にあたり、わたしたちが、何よりも確かな権威の中に生きる者とされていることを、御言葉によってお示しくださってありがとうございました。人間の罪をイエス様が十字架で贖われたこと、信じた私たちが聖霊に依り頼み、神の命に生かされていることを、経験させてください。今日のペテロのように「この名のほかに救いなし!」と混沌としたこの世界に、大胆にイエス様を証しする者としてください。主の御名によって祈ります。アーメン。