説教「人生巡礼の歌」     ーバカの谷を通ってもー  

2020年1月26日 主日礼拝
聖書箇所:詩篇84篇
説教:深谷春男牧師

 スポルジョンはこの詩篇84篇をこのように語っています。「もし、詩篇23篇が最も人気のあるもの、103篇が最も喜びに満ちたもの、119篇が最も深い体験によるもの、51篇が最も悲痛に満ちたものであるとすれば、この詩篇は最も甘美な平安の詩篇である。」慰めと祝福に満ちた甘美な詩篇を学びます。

【 本詩篇の概略 】 この詩は「天国巡礼」の歌とでも題すべきものです。「シオンの歌」に分類されます。歌の基調は賛美にあり、エルサレムの神殿におられる神をたたえたものです。活ける神への深いあこがれを語るところから詩篇42、43篇作者と同じであるとする学者もたくさんいます。
1― 4節 シオンの神殿へのあこがれ
5― 7節 シオンの神殿への巡礼霊想
 8― 12節 礼拝における大いなる歓喜

【メッセージのポイント】
  聖歌隊の指揮者によって歌わせたコラの子の歌
1)1 万軍の主よ、
   あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
  2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、
   わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
  3 すずめがすみかを得、
   つばめがそのひなをいれる巣を得るように、
   万軍の主、わが王、わが神よ、
   あなたの祭壇のかたわらに
   わがすまいを得させてください。
  4 あなたの家に住み、
   常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ  (1-4節)
  ⇒ 主と主の庭を、気絶するほどに慕え!
 ここには古代のユダヤ人がどのような思いで主の御前に礼拝を捧げたか、その熱烈な思いが文字の間に脈打っているところと言われます。「絶え入る」という言葉は「気絶する」という意味だそうです。詩人はさまざまな試練のただ中にあって、主を想うと気絶するほどの憧れを持っていると告白しています。彼は礼拝堂で恵みを経験した時に、その祭壇の近くに巣を作るすずめやつばめを見たのでしょう。心だけでなく、その身も神を慕って喜び、賛美すると歌っています。祭壇近くに巣を作るすずめやつばめに、自分も主の家に住む者でありたいと熱い心で告白しています。詩人にとって神の宮は天国の神の臨在の場であり、天と地をつなぐはしごのような場所なのです。

2)5 その力があなたにあり、
   その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
  6 彼らはバカの谷を通っても、
   そこを泉のある所とします。
   また前の雨は池をもってそこをおおいます。
  7 彼らは力から力に進み、
   シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。
  8 万軍の神、主よ、わが祈をおききください。
   ヤコブの神よ、耳を傾けてください。〔セラ    (5-8節)
 ⇒ 心にいつもシオンの大路を見つめよ!
 詩人は「5いかに幸いなことでしょう!その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人は」と歌っています。「心がシオンの大路にある人は、さいわいである」とは、この詩を貫く詩人の信仰告白です。エルサレムに巡礼するためには、神殿のあったシオンにまっすぐ通ずる大路を旅したのでした。詩人は、それを霊的に表現しています。即ち、わたしどもの人生は、究極的には、栄光の主にお会いする旅なのです。主イエスに相見えて、「善かつ忠なる僕よ、よくやった!」とのおほめの言葉を人生の目標とする者は、日々、恵みに充ちて歩むと歌われているのです。特にエルサレムに近づくにつれて力が増し加わって行く。「力から力に」進み、主にまみゆるのです。まさに、聖霊様の助けによって、「信仰から信仰へ」「恵みから恵みへ」「力から力へ」「勝利から勝利へ」と前進する者でありたいですね。
 この箇所は美歌子先生が、中村力男兄という方のお葬儀で語られた箇所で、思い出の多い聖句の一つです。中村力男兄は、奥様の成子姉と共に、忠実に信仰の歩みを全うした方です。目の不自由な方でした。でも、記憶力の良い方で、温かい真実な方でした。奥様と共に、いつも神様の真実を見上げつつ、やがて主にお会いする日を待ち望みつつ歩んだ方です。主イエスにお会いするその時を見つめつつ、この地上を歩む人、人生の終点を見つつ、現在の日々を歩む人を「シオンの大路を歩む人」と表現されています。いつも、巡礼の終局、旅の目的を見つつ歩みたいと思います。
 以前、信徒前進修養会の準備祈祷会の奨励で、ここからのメッセージをした時に、議長席に座っていた当時93歳の鈴木留蔵兄が、「天国に近づくにつれて、力に力が増し加わるのです!」と語られたのを思い起こします。
 あるお葬儀さんが言われました「キリスト教のお葬儀はいいですね。残された人もすっきりするんじゃないでしょうか。死んだ人が本当に天国行ったように語られんですねー。 」僕は驚いてお葬儀屋さんにいいました。「そんな風に語ったというのではなくて、本当に彼は、天国に、主イエス様の恵みの世界に行ったんですよ!」と語りました。

3)6 彼らはバカの谷を通っても、
   そこを泉のある所とします。
   また前の雨は池をもってそこをおおいます。  (6節)
  ⇒ バカの谷(涙の谷)も泉のある所に!
 口語訳はいいですね。この6節が「バカの谷」と翻訳されています。はじめてこの詩を読んだ時は、「バカ(馬鹿)の谷?」と驚いたものでした。後で調べましたら「バーカー」とは「バルサムの木」のことだそうです。このバルサムの木は砂漠に生えていたので、これは水のない砂漠地方を旅行するという意味になります。ユダヤの言葉ではbaka’ がバルサムの木、 bakahが泣くと言う意味なので、「涙の谷」(新改訳)や「嘆きの谷」(新共同訳)とも訳されたりもします。シオンの大路がしっかりと心の中心に座っている人は、荒野のような、嘆きと、失意の厳しい人生の一時期を過ごしても、そこを泉で満たし、後から旅する人の潤いとなる池がそこにできると告白します。
人生には時として「涙の谷」や「嘆きの谷」「死の陰の谷」を通るときがあります。ある姉妹は、子供の不登校の問題で、深い祈りに導かれたことがありました。しかし、その息子さんも教会に導かれて今では教会生活を送り、懸命に働いています。「嘆きの谷」を通るときにも、信仰と祈りをもって通過するなら、そこは豊かな泉の湧くところとなるのです。恵みの雨で潤い、祝福で覆ってくれる証しのチャンスとなります。
 前々回、「幻を語る会」に参加された池田登喜子牧師夫人の証しなどは、驚きでした。13歳で病に伏して21歳でいやされ、献身し、池田博牧師と結婚され、あの本郷台キリスト教会を建てあげました。小冊子、があります。
 わたしも来週、誕生日を迎えます。もう、70歳を迎えます。子供たちが「お誕生日、何が良い?」なんて、ラインで聞いてくれます。自分の若いころの経験、「バーカーの谷の経験」「嘆きと涙の谷を通った経験」などを思い起こすと感無量です。受験に失敗、画家になろうとしても、自分の能力への不安や自分自身の弱さ、みじめさ。自己嫌悪と失意の日々。そのような中で内村鑑三や倉田百三の書物や信徒の友や月刊キリスト等の雑誌に導かれて教会に導かれました。背後で多くの方々祈っていて下さった事を感謝します。


4)10 あなたの大庭にいる一日は、
   よそにいる千日にもまさるのです。
   わたしは悪の天幕にいるよりは、
   むしろ、わが神の家の門守となることを願います。
  11 主なる神は日です、盾です。
   主は恵みと誉とを与え、
   直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。
  12 万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです。(10-12節)。
 ⇒ 主の庭で過ごす一日は、よそで過ごす千日にまさる!
 「あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさる」とここでは、歌われます。主と共に生きる者の人生の祝福。神の家の門守となってでも、主のみそば近くに住みたいものだと彼は歌っています。これは神様の恵みの大きさを歌うと共に、この地上の空しいものに心を傾けてはいけないとの警告も含んでいるように思います。この世には多くの誘惑があります。この世の誘惑に負けて惨めな敗北から、信仰の勝利を失うことも起こりうるのです。
 また、ここでは「主は日=太陽(シェマシュ)です」という告白があります。実は、これは非常に珍しい言葉なのです。この喩えは聖書ではここだけです。なぜならバビロンの神シェマシュは太陽神です。ユダヤでも太陽はシェマシュと言います。それゆえに、ユダヤ人は偶像礼拝の混乱を恐れて、主が太陽であるとの譬えは使わないのです。しかし、ここでは詩人はそれらのタブーを破って、「主はわれらに生きる光と命を与える太陽のようなお方です」と告白しています。「主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。」まさにハレルヤです!神の恵みの中に歩むのであって、恵みに恵みが加えられ、主は最高の祝福をもってわたし共を満たしてくださるのです。
 わたしどもにとって、人生は「天国巡礼」の旅です。目的地が近づけば近づくほど「力から力に進む」巡礼の旅です。祈りつつ、歌いつつ、「涙の谷」「嘆きの谷」も通過します、霊界の太陽の如き豊かな恵みを与えてくださる主をたたえつつ歩む、「天国巡礼の旅」なのです。ハレルヤ。

【 祈り 】

 天の父よ。詩篇84篇を感謝します。わたしどもの人生は「天国巡礼の旅」です。気絶するほどにあなたを慕い、シオンの大路をしっかりと見据え、「涙の谷」を恵みの泉の湧くところとし、よそで過ごす千日に勝る臨在の恵みの中に、「主は太陽、盾。神は恵み、栄光!」と告白し続けさせてください。あなたにお会いする時まで、この地上生涯、守り続けて下さい。わたしたちの救い主、主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン