説教「強く雄々しくあれ!」 

2020年2月23日 主日礼拝
聖書箇所:ヨシュア記1:1~9
説教:深谷春男牧師

第59回「日本ケズィック・コンベンション」が熊谷市の森林公園のホテル・ヘリテージで18日(火)~20日(木)に開催されました。わたしは1973年の頃から参加し、多くの恵みを頂いてきましたが、今年も新たな恵みを頂いてきました。今年のテーマは「聖霊の満たしと大胆な宣教」。イギリスからリスブリッジャー先生、アメリカからオズワルト先生が来日され、リスブリッジャー先生は「山上の説教」から、オズワルド先生は主に旧約聖書から、「聖化の恵み」の大切さを語られました。今回は、特に日本人講師の先生方との交わりがとても刺激的でした。

信徒セミナーを担当された鎌野善三先生、早天聖会を担当された千代崎備道先生、ユースセミナーの講師をされた横田法羅先生等と、お食事の時やお茶の時を持ちながら、様々な課題について話し合いました。鎌野先生は1歳年上、千代崎先生は10歳年下、横田先生は20歳年下ですが、それぞれが神学校や所属する教団の重要なポストにいて、日夜、キリストの御業の前進のために労苦しておられました。三鷹や関西や九州にこのような素晴しい器がそろっていると頼もしく思いました。今年は、新型コロナウィルスの被害のためか、出席する人が、例年より少なく感じましたが、それとは反対に、出席者の霊的な渇きと日本の教会のリバイバルを求める思いが、一層熱くなるような、感想を持って帰ってきました。昨日の東京大会も熱い、感動的な集会でした。ハレルヤ!

【 テキストの概略 】
今日の聖書箇所は、イスラエルの民が、約束の地を前にして、指導者モーセが召され、イスラエル民族が新たな出発をする時に、指導者ヨシュアに語られた言葉です。
1~4節  主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、「わたしのしもべモーセは死んだが、今あなたと民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
5-6節 主がヨシュアに語った言葉。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見捨てることはない。強く、雄々しくあれ。あなたが、指導者として約束の地に導くのだ!」
7-8節 モーセが命じた教えを忠実に守るために、ただ、大いに強く、雄々しくあれ。右にも左にもそれるな。御言葉に忠実なら、あなたはどこに行っても成功する。御言葉をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、書かれていることをすべて忠実に守りなさい。必ず、成功する!
すばらしい勝利の人生への招待ですね。

【メッセージのポイント】
1)、5 あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。6 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。    (5~6節)
⇒ 強く雄々しくあれ!      約束の地を継ぐために    
今日、わたしどもに語られる第1のメッセージは「強く雄々しくあれ!」です。「強く雄々しくあれ!」それが今日のメッセージ題でもあります。
「強く」とはヘブル語でハザクという言葉で、肉体的に強いことを意味し、「雄々しく」とは、エマツという言葉で、精神的に強く勇ましいことを表わす言葉だと言います。
「強く、雄々しくある」と言うことは、とても魅力的なことです。特に男性は昔から家族を外敵から守らねばなりませんから、強く雄々しい人は「カッコいい!」とあこがれて育ちます。「巨人・大鵬・卵焼き」が象徴的な言葉です。しかし、現実はなかなか厳しいものがあります。新しい歩みのはじめに、しばしばわたしたちは恐れにとらわれたり、不安に陥ったりします。それは自分の弱さや能力の限界を知っていたりすると、ふらふらと足元が揺らいでしまいます。
ここでヨシュアへの神様の「強く、雄々しくあれ!」という言葉は、約束の地を継ぐためにという内容が含まれます。確かにヨシュア達はモーセに導かれエジプトの奴隷の地から解放され、新しい生活を始めました。しかし、荒野で40年も足踏みをしてしまいました。それはせっかくエジプトを脱出したのにイスラエルの民の不信仰、不従順のために、約束の地に入ることができなかったという内容です。
ある青年の証し。「わたしのプロミスランドはどこなのか、祈っています。必ず主はそれを与えて下さると信じて歩みます」と語りました。「プロミス・ランドね・・・」とそのプロミス・ランドと言う言葉が印象に残りました。「約束の地(プロミス・ランド)」はどこにあるのでしょうか?それは「乳と蜜の流れるすばらしい土地」であると語られています。
「プロミス・ランドはどこにあるか?」その答えは、新約聖書まで来ると明瞭です。主イエスの十字架の贖いを受け、救いを得、聖霊なる神様の満た
しを受け、聖化の恵みに与ることです。それはちょうど、イスラエルの民の経験した紅海徒渉とヨルダン徒渉とよく似ています。霊的な愛と喜びと感謝に満ちた、乳と蜜の流れる地はその霊的な境地を示しているように思えます。
わたしどもは不十分な者ですが、主のすばらしい恵みの世界に強く、雄々しく、立ち上がり、主からの使命を全うしたいと思います。

2)7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命
じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはなら
ない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。8 この
律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちに
しるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうする
ならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。(7,8節)
⇒ 強く雄々しくあれ!       御言葉からそれるな
ここで、わたしどもに語られる第2の内容は「御言葉からそれるな!」ということです。もともとの言葉の意味としては、「律法をすべて忠実に守るために、ただ、強くあり、大いに、雄々しくあれ」という意味です。ここでは
「ただ」という言葉と「大いに(=非常に メオド)」という言葉が追加され、6節の「強く雄々しく」が強調されています。
そして更に「右にも左にもそれてはならない」と忠告されます。人間は右に左にと大きく揺れ動く存在だからです。御言葉に忠実ならば「あなたはどこに行っても成功する(タスキール=賢くなる、繁栄する、成功する)。だから、この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する」と記されます。「強く雄々しい生涯」。それは御言葉からずれない、「右や左にそれない」生涯です。
かつて渡辺暢雄師が「5本指で支える聖書信仰」という説教をされました。
まず、一本指で支える聖書信仰。先生は一本指の上に聖書を載せて、その不安定な状態を示した上でこのように語られました。「月1、2回ぐらいの礼拝出席、そこでたまに読む聖書の言葉という貧しい霊的な生活。それはどうにか救われてはいるけれども不安定極まりない歩みです」と。
そして二本指で支える聖書信仰。先生は親指と人差し指で聖書を挟んでそれを振って語られました。この状態は、毎週休まずに礼拝で聖書を読み、その生ける神の言葉の説教をしっかり聞く信仰生涯のことです。毎週の定期的な御言葉との出会いによって、信仰生涯はかなり安定してきます。
三本指で支える聖書信仰。親指、人差し指、中指で聖書を握って語られました。「これでかなり安定するでしょう?それは毎日聖書を読む歩みです」。聖書を自分で読み始めることです。毎日、自分で時間を決めて聖書をお読みになるなら、その人の生涯は潤った豊かなものになるでしょう。
四本指で握る聖書信仰。これは聖書を研究し、深く理解することです。これで信仰生涯は非常に安定します。旧新約聖書の構造や歴史を深く理解することです。聖書への深い洞察は信仰生涯の支えです。
五本指でがっちり握る聖書信仰。それは御言葉を暗唱し、御言葉を食べるように生きる生涯です。そこには安定感と勝利感があります。聖書の基本的な聖句は暗唱しましょう。更に聖書黙想の技術を身に付けるとすばらしい力を発揮することになります。これはQT 方式と言って、聖書の主題を的確に捉え、それを自分の生活に適用する技術のことです。これが、教会全体でできると小グループ活動などが可能になります。両手で聖書を握るような生涯。どんな試練の嵐も乗り越えることができるでしょう。ハレルヤ。

3)9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。     (9節) 
  ⇒ 強く雄々しくあれ!         主は共におられる!
第3のメッセージは「主が共におられる」ということです。それゆえにあなたはうろたえることなく、おののくことなく、大胆に勝利することができると言われています。主があなたと共におられるがゆえに、強く雄々しくあれと主は励まされるのです。「主が共におられる」という言葉は「インマヌ(われらと共に)・エル(神が)」という言葉です。少し難しい言葉で「臨在」と翻訳されます。この「臨在の信仰」が旧約聖書には非常に多く出てきます。
東京聖書学校の小林幸子姉が「インマヌエルの主」という証しを月報に書かれました。それは彼女の肺がんの手術をされた生々しい証しでした。「死の陰の谷」を通るような体験も、「げに汝我と共にいます」(詩編23:4)との信仰により、それは平安と恵みの証しとなったと告白しています。

【 祈り 】父なる御神。新しい週を感謝します。強く雄々しかれ!の御言葉をいただいてここから出発いたします。どうぞ、わたしどもの生涯、恵みであふれたプロミスランドをめざし、御言葉からそれることなく、主の臨在を深く体験しつつ勝利の中を歩み行かせてくださいますように!そして、鷲のように翼を張ってのぼる恵みの一年の締めくくりの月としてください。恵みの主、われらの救いの岩、主イエスの御名によって祈ります。アーメン