説教「新しい契約」 

2020年3月22日 主日礼拝
聖書箇所:エレミヤ記31:31~34
説教:深谷春男牧師

 新型コロナ・ウィルスのニュースが続いています。特にヨーロッパとアメリカ等に感染が拡大し、全世界で感染者、234,000人、死者約1万人という報道を聞きますと胸が痛みます。イタリヤでは死者数が中国を越えて多くなり、医師や看護師が必死で戦っている様子に、何かできないかと思わされます。春の到来と共に、気温も上がって、コロナ・ウィルスが終息することを祈りたいと思います。今日も受難節の半ば、わたしどもの人生の一番重い、罪と死の呪いを贖われた、主イエスの御苦しみを覚えて礼拝しましょう。

【聖書箇所の概説】
さて、今日の聖書箇所は、エレミヤ書の最も重要な個所であり、エレミヤ書のみならず、旧約聖書の中で最も大事な個所と言っても過言ではありません。この箇所で語られた「新しい契約」は、やがて数百年後に、主イエスの生涯において、特にその十字架と復活において、成就したのだと新約聖書は記しています。(Ⅱコリント3:5-18、ヘブル8:8-12)。主イエスは、十字架の上に御自身を捧げる前の、最後の晩餐の席でも「新しい契約」が始まることを告知されました(ルカ22:20)。このようにエレミヤ書に記録されている「新しい契約」は、新しい契約である「新約聖書」の理解の一番基本になっていますので、この受難節の時に、聖書の語る福音理解の学びとして取り上げ、皆様と一緒に主の深い御摂理の世界へと入って行きたいと願っております。

【メッセージのポイント】
1)31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。                           
⇒ 新しい契約!                (31、32節)
「わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る」という主なる神の宣言からこの記事は始まります。「新しい契約」を結ぶ!と主は言われるのです。
「新しい契約」というのですから、「古い契約」があるのです。この言葉の背景にあるのは、シナイ山で神とイスラエルとの間で始められた契約です。これは「シナイ契約」とよばれます。最近は教団の教師検定の旧約聖書のテストでも時々「シナイ契約とはなにか?」などという質問が出されます。イスラエルの民がモーセに導かれてエジプトを脱出した時の内容を御存じだと思います。そこは出エジプト記19-24に記され旧約聖書の語る最も大切な出来事でした。そこで神の救いを経験し、シナイ山で十戒を頂き、血の契約を結んで、神の民としての歩みを始めたのです。
しかし、一番、問題になったのは、イスラエルの民はこの律法を守れなかったということなのです。特に、偶像礼拝をしてはいけないというのに偶像の所に行く。聖い神の民として歩みなさいと言われているのに、聖く歩むことができない。ですから、よく引用されるように、エレミヤ11章のような出来事が起こります。

 3 彼らに言え、イスラエルの神、主はこう仰せられる、この契約の言葉に  従わない人は、のろわれる。4 この契約は、わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地、鉄のかまどの中から導き出した時に、彼らに命じたところのものである。すなわち、その時わたしは彼らに言った、わたしの声を聞き、あなたがたに命じるすべてのことを行うならば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。(エレミヤ11:2~4)

 この言葉において語られているのは、契約の律法に従う者に「祝福」が伴うこと。しかし、従わないなら「呪い」が伴うということです。その祝福と呪いの長いリストが申命記に記されています。特に申命記28章などを読むと祝福の項から始まりますが、恐ろしい呪いが続きます。申命記的歴史書(申命記から列王記下まで)は、イスラエルがいつの時代でも、神との契約を破ったことが記しています。そして、イスラエル王国とユダ王国がアッスリアとバビロンの捕囚を受けたのはその罪の故であると記しています。
イスラエルが神の選びの民として、常に問われた問題は、律法に対する服従の問題でした。しかしながら、それと並んで、あるいはそれよりも重要なことは、イスラエルの歴史を見る時、イスラエルの民が律法に従うことができない、罪にどっぷりとつかってそこから脱却できないという現実でした。

23 エチオピヤびとは
その皮膚を変えることができようか。
ひょうはその斑点を変えることができようか。
もしそれができるならば、
悪に慣れたあなたがたも、善を行うことができる。(エレミヤ13:23)

 エレミヤの示すこの認識は、エチオピア人がその皮膚の色を変えることができず、豹がまだらの皮の模様を自分で変えることができないように、悪に染まったイスラエルの民の心は罪の本性に満たされており、もはや正しい者として、律法を行うことができないというものでした。もしも、イスラエルが自ら心の腐敗というこの現状を変え得ないとするなら、神の恩寵によって、あらわされる以外に、彼らが再び正しい者として歩む可能性は全くないと言っています。

2)33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
⇒ わたしの律法を心に記す!             (33節)
ここには終末的な希望が述べられています。神御自身が、来るべき日、終末的なある日に、「新しい契約」を結び、罪に染んで、絶望的な状況になっているイスラエルの民を、変化させると記しています。それは、心に神の律法が記されることだというのです。
エレミヤと同じ時代を生きた預言者エゼキエルも、これと類似した新しい契約について次のように告げています。


 26 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。27 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。(エゼキエル36:26~27)


 神と民との関係は、神の御旨が「古い契約」では、石の板に、つまり十戒として書き記されました。しかし、イスラエルはこれにつまずき、神の民としては失敗してしまいました。そのことを神様は、深く受け止めて、人間の限界性を越えた恵みの業、「民の心の中に」刻み込む、という恵みを約束されたのでした。このように神の律法、神を愛し人を愛するという律法、に服従する意志と力の両方を授けられる。その結果、神の民のひとりひとが神を知るようになり、自由な意志によって、自発的に神を愛し、神に服従するようになる、と言われています。

3)34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。    (34節)
 ⇒ 悪を赦し、罪を心に留めない!
ここでは「罪の赦しの福音!」が語られています。
「わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」という驚くべき、赦しの言葉が告げられています。生涯、人間の罪と不真実を問題にし、真実に神に仕えよと語り続けたエレミヤは、その信仰の究極の世界へと導かれてゆきました。人間の内側に巣食うどす黒い罪の現実は、人間の努力や修行によって取り除かれるものではない。神御自身の、決定的な介入により、最も深く、人々の心の中に神の思いが刻印されることの必要性。また、深く罪に落ちてしまったその現実のゆえに、神から遠く離れ、みじめな敗北の中にある民を救うためには、罪の赦しを受けて神と和解するという神との和解の必要性を深く感じておりました。新しい契約に生きる人々が、神御自身を愛し、人を愛するという神の律法におのずから従う恵みの世界はどのようにして可能なのか。悔い改める心を持たない、否、持てないイスラエルの民に、新しい恵みの世界を作るには、彼らに、罪の赦しを宣言し、律法に服従する意志と能力を持つ心を彼らの中につくり出す神の恩恵の力によって、すべてのものが神を「知る」ように変えられる必要があるというのです。
 残念ながら、このすばらしい「新しい契約」の希望は、この後の捕囚後の民の歴史では後ろに退いてしまい、この約束と正反対のことが起きたことがわかります。石に書かれた律法は相変わらず、神と民の間に立ちはだかっており、律法を厳格に教え込むことが大きな地位を占めて行きました。そして主イエスの出現の直前の時代、後期ユダヤ教の時代には、律法学者、パリサイ人の活動の時代となり、新しい契約は影が薄くなってゆきました。
 時代は流れて、主イエスの時代になります。主イエスは、聖餐制定とこのエレミヤ書の言葉とを直接結び付けられました(Ⅰコリント11:25、ルカ22:20)。主イエスは、「新しい契約」をご自身の血による贖いによる恩恵に結び付けて示されます。この言葉は、シナイ契約の終わりを示し、神の歴史が新しい時代を迎えたことを告知しています。エレミヤ書31章34節が明らかにしているように、罪の赦しこそ、イエス・キリストの使命でした。
 わたしは旧約聖書はエレミヤ31:31から始まる「新しい契約」と、イザヤ書53章の「苦難の僕」の記事が、頂点だと信じております。それは主イエスの福音に受け継がれ、ロマ3:21~26に受け継がれるメッセージです。

【祈り】 主よ。受難節のさわやかな春の朝に、「新しい契約」の御言葉を与えて下さり、感謝します。罪と死の支配の中にある愚かなわたしどもに開示された驚くべき恵みの契約。主イエスの十字架の贖いを深く覚えると共に、聖霊の助けによって御旨に叶う喜びの日々を歩み行かせてください。主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン