説教「今は恵みの時」 

2020年3月29日 主日礼拝
聖書箇所:Ⅱコリント5:17,6:1,2
説教:深谷美歌子牧師

「鶴瓶の家族に乾杯」という番組をご存知ですか?落語家の笑福亭鶴瓶が有名なタレントと一緒に、突然いろんな地方を訪れて、その地の人々と交わり、思い出を作る番組です。色々な地方の人々の言葉、生活が見えて、そこに行ったような感覚が楽しくて、時間が取れれば見ます。お年寄りも、若者もみな善良です。善良で楽しく幸せに暮らしているように見えます。福音は全ての人のためにあるのですが、彼らは福音の必要を覚えますか?との思いが湧いて、祈りました。この答えはあとで。

聖書の概要
5章17節 コリント教会員は神の和解を受けて、新しく創造された者。
6章 1節 神と共に働く者として勧める。恵みを無駄にしないように。
   2節  今は救いを得、その恵みを味わう時。


 1)新しいものに創造された。 5: 17節
  パウロはこの手紙をコリントの教会宛に書きました。信仰者宛の手紙です。その人々に向かい、新しく創造された者、と呼びかけています。
「新しく創造された」ということは、イエスキリストを、わたしの罪のために神様が和解の御手を伸べてくださった方と信じ、父と子と聖霊の名によって洗礼を受けた者という意味です。
  ところで、この新創造は、全ての人が必要としているものでしょうか?最初に申し上げましたが、多くの人々は、善良で、罪意識などなく、なんで自分が神の和解を受けなければならないか、そもそも神がいるのか?と思っているのではないでしょうか?
  ここで、全ての人が救いを必要としているですか?と祈った時に神様が示してくださったことのを知らせします。その日、書類の整理をしていた私は、書類の間から、何気に挟まっていた、「子供のための」と書いた、小冊子を手に取りました。それには、日本軍が中国にした、蛮行が、イラスト入りで載っていました。そして、そのことに加わった方の証言がありました。「それまで、虫を殺してもバチが当たると思っていたこのおれが手柄を立てたいと思うようになって328人も殺してしまった。」との証言でした。もう一つ、この頃のできごとで、少年兵を使う、中東の手口で、少年をさらって、その出身の村に連れていき、肉親を殺させたりして、村に帰れなくするという記事でした。普段は善良な市民でもそのようになるのです。イエス様を十字架につけた人々も、二日前には「ダビデの子にホサナ」と歓迎した人々でした。「氷点」の陽子も、どんなに理不尽な目にあっても、自分はそれに負けないでまっすぐに生きようとしましたが、どんなに頑張っても、自分の血には殺人犯の血が混ざっていると知ったとき、潔癖な陽子は生きられなくなりました。全つかわしたての人は新しくされることを必要としています。
  生まれながらの人は、見えない神様を信じることができません。
その人間に神様が近づいて神様の臨在を教えてくださいました。
2千年前、イエスキリストはこの世界に、処女降誕、神の国到来の宣言、しるしの業、十字架、復活、昇天、聖霊降臨、信ずる者には、罪の赦しと永遠の命を与える、という全部神様の備えられた恵みで、神を知りました。
このイエスキリストを信じ、洗礼を受けた人、それが新創造で、今日まで、それを受け取った人々によって、伝えられてきました。


2)神から遣わされて働く者。 6章1節
  ここでパウロは、自分のことを「神と共に働く者」と言っています。5:18「和解の務めを」、19でも「和解の福音を委ねられた」と言っています。この言葉は、当時のローマ帝国が自国にした国に遣わした、全権大使を表す言葉だそうです。パウロの場合、神の国の条件を人々にもたらす使命を帯びたものでした。
  大使の勤めは、決定的なメッセージ、「あなた方はローマの国民なのです」を伝え、自国に代わって発言する者でした。新しい国のありようを伝えるものでした。自身は新しい国の素晴らしさの代表でした。ローマは完全ではありませんが、神の国は完全です。クリスチャンは皆その使命を帯びて、この世に遣わされているものです。


3) 今は恵みの時   2節
  最初に新しく造られるということをお伝えしました。全ての人は救いが必要で、救いは神様が全部準備して下さった。信じて、父と子と聖霊の名によって洗礼を受けると、新しい命が得られるとお伝えしました。 今は恵みの時とは、この命を受取ることができる恵みの時ということです。イエス様は、旧約時代に約束されていた救い主で、2000年前にこの世界に来られ、ひとつの約束は成就しました。そして、もう一つの約束は、ふたたび来られるという約束です。その日の前には、「戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」。それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。」ルカ21:9-11。このようなことが起こると語られます。

 終わりの時の来る前に、恵みの時に神様の和解を受けなさい。というのが今は恵みの時の意味です。この命は全ての人が受けられますが、意志を向けないものには、神様も与えることが出来ません。 習近平さんや、プーチンさん等、祈っていますが、なかなかそうされないのは、彼らが心を開かないからと思っています。でも、祈るたびに、神様が働きかけることが出来ると思って祈っています。どうぞまだイエス様を受け入れていらっしゃらない方は、心を開いて新しい命をいただいてください。
   次のファミリーデ―の御用ということで、長谷川さんに「どこからしますか」と聞かれたとき、まずこの言葉が浮かびました。その時は、これから信じて新しくされる人への言葉としてでした。でも、ここを今回学んでいて、この言葉は、クリスチャンにも向けられた言葉と分かりました。
    1節に「神の恵みをいたずらに受けてはならない」とあります。神の国の住民、新しく造られたものですが、この国の素晴らしさを味わい表す全権大使になるには、新しい命がどんなに素晴らしくても、前の命の生き方に固執していたら、その国の素晴らしさは判りませんし、伝えられません。それで、新しく造られたものの命を味わうように、その法則に生きることを、勧めています。わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。ガラ5:16
   イエス様の弟子たちも、どんなにイエス様についていことしても肉の力ではできませんでした。御霊によって歩きなさい。この言葉は、ペンテコステの日に聖霊が来られたとき、力を受けたように、今もこの
    世界で、それを味わって生きるのですよ。せっかくの命を無駄にしてはならない、と語っています。新しい神の国の法則は、イエス様が教えてくださった「神を愛し、互いに愛し合い、赦しあいなさい」です。聖霊により頼みつつこれを求めましょう。
    神を愛するのは、礼拝です。神の家族が集まり、心を合わせて讃美を捧げ、御言葉をいただき、自分を捧げるように捧げものをします。そして、家族の交わりをします。使徒行伝を礼拝で学んでいますが、そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。2:46,47と書かれています。ここを学んだとき、「食事した」にみんなの言葉がかかっていると学びました。
    私達クリスチャンは世界中どこにいても神の家族です。でも、一番身近な家族は、毎週一緒に礼拝を捧げる神の家族です。しばらく池田さんや、星山さんがいなくて、さみしいですね。
   ある方が、しばらく母教会を離れていました。何年かして帰って、もう自分の教会で、一生礼拝を守り続けると決心しました。赤羽で教会のすぐ前で、熱心な方がありました。早天から、半徹祈り会まで、全ての集会に集っておられました。若い時、青年たちで県庁に行き、知事に伝道した。という豪傑でした。何年も一緒に過ごし、赤羽の神の家族になってくださいましたが、その決断は大きなものでした。それほど最初に生まれた教会が家族だったのだと教えられました。今日はコロナ騒ぎで、教会に集まれない家族がいます。でも同じメッセージを聞き、同じ讃美を捧げ、心を合わせて祈れることを心から感謝します。
    私も赤羽で31年、一生家族でいたいと思いましたが、神様のご用で、吉川に9年、ここに招いていただいて2年が経ちます。献身者は神様の行けと言われたところに従います。でも家族として迎えてくださって、本当に感謝しています。あとどのくらい仕えられるか判りませんが、命をそそいで、神様を礼拝し、ここで愛し合い、共に食事し、天国の前味を今頂きながら、共に教会を建て上げてまいりましょう。ハレルヤ!