説教「主の復活」 

2020年4月12日 イースター礼拝
聖書箇所:ヨハネ福音書14:1~6
説教:深谷春男牧師

ハッピー・イースター!!  イースター おめでとうございます。
皆さん、いかがお過ごしですか?新宿歌舞伎町の教会から、それぞれの皆さんにイースターの喜びをお伝えします。今年の2月11日、当教会で開催された城北アシュラムの集会で、横山義孝先生が指導されて皆で信仰の告白をしました。それは
指導の横山先生が「主は、よみがえられた!」と言いますと
会衆が「主はよみがえられた!」と唱和し、更に
横山先生が「主は、実によみがえられた!」と宣言され、
会衆が「主は、実によみがえられた!」と唱和したことでした。
皆さん、ご一緒に、今日はこの唱和からはじめて行きましょう。

 今年は、新型コロナウィルスの災禍のために、教会堂でイースターの礼拝を守ることができず、それぞれのご家庭で、礼拝することとなりました。いつもの年ですと、恵みあふるる礼拝を守り、久しぶりの方々や、初めての出席者などを加えて楽しく昼食を頂き、そのあと、小平の教会墓地で墓前礼拝を守り、ご遺族と交わりの時を持つのですが、残念ながらことしはそれはかないません。午後の墓前礼拝も中止となりました。
しかし、考えてみますと、このような時だからこそ、より強く意識し、より強く信仰の導きを頂いて、主の御復活を確信し、主をほめたたえて、復活の生涯を歩み続けて行きたいと思います。ハレルヤ

【今日の聖書箇所の概説】
 今日の聖書箇所は、主イエス様の最後の晩餐でのお言葉です。この時は、とても、試練の黒雲が、最後の晩餐の空気を重苦しくおおっているような状況でした。主イエス様も、十字架にかかられる前日で緊張もあったでしょうし、イスカリオテのユダが主イエス様を裏切るために出て行き、更に、最後まで「わたしはついて行きます」と言ったペテロにも、「あなたはわたしの行くところに来ることはできない」と言われ、弟子たちも不安や恐れが満ちていたときであろうと思われます。その時、主イエスは弟子たちに言われました。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。・・・あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。・・・・6 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。


【メッセージのポイント】
1)1a 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。」
⇒ 心を騒がせるな!
主イエス様は、このユダの裏切りのこと、ペテロへの言葉、三度主イエスを知らないと言うなどの言葉を語られました。聞いていた弟子たちは、聞いて、「これからどうなるのだろう」との不安と恐れにとらわれていたに相違なかったのです。その時に、言われた言葉が、今日、まず第一に取り上げてみたい御言葉「心を騒がせないがよい」であります。
実は、このヨハネによる福音書では、「心を騒がせる」と言う言葉がしばしば語られてきました。その中でも、主イエス様が三度、「心を騒がせた」と語ります。
第一は、11:33です。愛するラザロが、死の力によって奪い去られた時に、主イエスは、その悪魔的な死の力と対抗しようとして、「心を騒がせ」ました。
第二は12:27です。一粒の麦が死んで豊かな実を結ぶと語られた時に、「今、わたしは心が騒いでいる」と語られました。
第三に、13:21で、サタンがイスカリオテのユダに主イエスを裏切る思いを入れた時に、主イエス様がその裏切りのことを語られましたが、その時に、やはり「心が騒いだ」と記してあります。
そのように見てくると、主イエスが心を騒ぐという経験をされたことは、いつも単なる人間の感情よりも、むしろサタンの力、超自然的な悪魔的な力と対抗しようとする時の緊張感を指し示しているような感じがします。
皆さん、いかがでしょうか?最近、心を騒がせるような不安を経験されたことはなかったでしょうか?
わたしも、今週、一つの経験をしました。この3年近く、赴任の教会も変わったことで忙しく、健康診断に行けませんでした。そして今回、やはり受けておこうと病院に行きましたら、バリウムの結果で引っ掛かり、「精密検査を受けてみてください」と言われたのです。「胃に影のようなものがあります。がんでなければよいのですが・・。胃カメラを飲んで、精密検査をしてみましょう。」わたしは、今までこのようなことを言われたことがありませんので、とても、不安を覚えました。「大したことはありませんよ」とお医者さんは言われましたが、よく眠れない日が続きました。4月8日に、胃カメラを飲んで精密検査をしていただきました。その結果は、「大丈夫のようです。胃が少し荒れています。ピロリ菌の除去などをしておきましょうか?」家族や教会の方々に祈っていただき、本当に感謝をささげました。
「恐れるな。わたしはあなたと共にいる!」との御言葉が支えでした。

2)1b 神を信じ、またわたしを信じなさい。
  ⇒ 神を信じ、主イエスを信じなさい!
 「これから自分たちはどうなるのだろうか?」と心配して、心揺れ動く弟子
たちに、主イエスは語られました。
「神を信じ、またわたしを信じなさい!」これはまた何という、力強いお言葉
でしょうか?不安や恐れにとらわれる時には、「神を信じ、主イエスを信じる
のだ」と語られたのでした。
わたしはすぐに、「神を信じる信仰‼」。旧約聖書の信仰者の言葉を思い出
しました。特に詩編の言葉などが、次ぎ次ぎと脳裏に浮かびました。
詩篇23篇 主はわが牧者乏しき事なし。死の陰を歩むとも災いを恐れじ。
詩篇27篇 主はわが光、わが救いの砦。わたしに恐れはありません。
詩篇46篇 神はわれらの避け所、また力。いと近き助け!
詩編62篇 民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。その御前にあなた方の心を注ぎだせ。神はわれらの避け所。
何と、聖書は全能なる神への信仰の言葉に満ちていることでしょう!
ここではさらに、主イエスへの信仰も語られています。
神を信じ、わたしを信じなさい!  主イエス様!あなたを信じます。
特にロマ8:32などには、「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたした
ちすべての者のために死に渡された方が、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか!」 強い平安と確信の言葉ですね。
キリスト教信仰の一番基礎になる内容は、十字架と復活です。十字架は罪の解決、復活は死の解決です。
「十字架」は、主イエス様がわたしどもの罪の身代わりとなられ、人間の一
番大きな「罪」という問題に、決定的な解決を与えて下さったことです。そして、「復活」は、「死」という問題に、決定的な解決を与えて下さったことを示しております。聖書の初めの書、創世記からこう記されます。人間は神の似姿に創造されたすばらしい存在だったのですが、食べてはならない禁断の木の実を食べてから、神と断絶し、「罪と死の支配」の中に落ちてしまった。創世記3章以来、いつでも人間の歴史は「罪と死の支配」という呪いがついてくることになります。
 旧約聖書は、人類世界が、罪と死の支配にあることを語ります。
その中で、救い主が来られるとの預言が語られます。そのお方は、罪と
死の呪いを打ち砕く、神から油注がれたお方であると待望が語られます。
新約聖書は、その御方が、十字架においてわれらの罪を全て身代わりに負い、
  復活をもって、死の根本的な力を打ち砕いたことを示しています。
イースターはキリストが人間の罪と死を打ち砕かれた勝利の日なのです。
わたしは、この個所を読むときに、滝元明先生が特別伝道会で語られた体験を思い起こします。幼い小学生のみち子さんが夜中に大声で泣き出した。驚いた滝元先生が、「みっちゃん、どうしたの?」と聞くと、「お父さんが死んじゃった!死んじゃった!!」と泣いていたというのです。滝元先生はみち子ちゃんの手をぎゅっと握り、「みっちゃん!お父さんは生きているよ!」と話したら、みち子さんは、お父さんをしっかりと見つめ、にこっとして、またぐっすりと眠りについた。という体験でした。

3) 2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わ
たしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行く
のだから。3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなた
がたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるた
めである。
  ⇒ 父の家には住まいがたくさんある!
皆さん、主イエスは天に上り、わたしどもの「住む場所」を用意しに行かれ
ました。「住む場所」は、KJV(欽定訳)ではここをマンションと訳しました。ラテン語のブルガダ訳が「マンショーネ」と訳されていたからです。キリストはわたしたちのために、マンション(!)を用意しておられるのです。

4)6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
⇒ 主イエスこそ、道、真理、命 !
更に、ここには、主イエスの有名な言葉が記されます。主イエスこそ天の父の恵み世界に導く、唯一の道であり、だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と語られました。
涙の谷のような人生。自分の愚かさを呪い、この世の冷酷さ、人生の不条理と虚無を呪う人生から、神の子供として、感謝と喜びに生きる人生が始まるのです。主イエスを心にお迎えする時、9回裏ツーアウトからの逆転満塁ホームランのような人生が始まります。罪と死に涙する悲しみに人生から、赦しと命の救いに与り、キリストの花嫁として歩みが始まるのですから。ハレルヤ!
 先に天に召された愛する方々を思い起こします。三室泰平さん、内村鑑三先生、湯沢七重先生、滝元明先生、藤井武先生、小渕しず姉など天国凱旋の先輩たちの勝利の笑顔が浮かんできます。ハレルヤ

【祈祷】 父なる御神。「主の復活」を感謝します。時として罪と死の支配する、涙の谷を歩むわたしどもですが、あなたの復活の命を受け入れ、恵みのうちに生きる者となりました。どうぞ、この一年、復活の主イエスと共に賛美しながら歩む一年としてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン