説教「福音により変容される生涯」ーメタモルフォーセーの恵みー

2020年4月19日 主日礼拝
聖書箇所:ローマ人への手紙12:1、2
説教:深谷春男牧師

 今日は、イースター礼拝を終えて一週間後、復活された主イエス様が弟子たちの集まっているところに現れた、記念の日です。ヨハネ福音書によれば、イースターの朝に集うことのできなかった懐疑論者のトマスに優しく語りかけ、その御傷を示して、「わたしの手にさわってみなさい。わたしの脇の傷に手を入れてごらんなさい」と示された日であると言われます。主イエスの復活を信じることのできなかったトマスも、「わが主よ、わが神よ」と告白し、「あなたわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は幸いである」と語られた記念の日であるというのです。その後、トマスは、最も深い信仰者の一人となったと言われます。彼の告白「わが主よ、わが神よ」は、2000年のキリスト教の歴史の中で告白された、信仰告白の原型であるというのです。わたしはトマスとパウロが少しダブって見えます。今日学ぶ聖書の個所は、パウロ先生の最も大事な、最も深い信仰告白の一つであろうかと思います。

【今日の聖書箇所の位置と概略】
 今日の聖書箇所は信仰生活の基礎の部分、信仰と実践の通路、教理と生活の橋渡しの部分であると言われます。
 ロマ書は以下のように5つに分けることができます。
    1: 1― 17 はじめのことば。挨拶、自己紹介、主題
主部Ⅰ 1:18― 8:39 個人の救い。「信仰による義」の展開。
主部Ⅱ 9:1― 11:36 全人類の救い。救済史とイスラエル民族の救い。
主部Ⅲ 12:1― 15:13 キリスト者の具体的な生活。
   15:14 ―16:27 結びの言葉。今後の伝道計画と26名への挨拶、頌栄。

【メッセージのポイント】
1)1兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。(1節a)
⇒ 立つべき「聖書の福音」を明確にしよう!
「そういうわけで」(1節)あなたがたにすすめる、と使徒パウロは言います。この「そういうわけで」との一語に無限の重さがあります。これはロマ書1~11章までのすべてを語り尽くしたので、という意味です。すなわち、
「人間の罪」のこと(1-3章)、
「十字架のあがない」のこと(3-4章)、
「主イエスの復活と共にわたしどもも復活のいのちの中を歩む」(4-5章)、「聖霊の内住による自我の潔めと勝利の生涯」(6-8章)、
「神の選びと不思議な全人類の神の歴史経綸」(9-11章)
というような重要な教えを理解した今、あなた方に勧める、の意味です。一言で言えばこれらは「神の献身」、主イエスが我らのために十字架にかかられ、罪と死の呪いから我らを救ってくださったことを語っています。この想像を絶する神の愛と救いを知り、その福音の恵みに応答し始めることが信仰生活の第一の基礎なのだ、と語っているのです。
今日は、そのような意味で、棕櫚の主日での「主の十字架」と言う説教、イースターで「主の復活」という説教を語らせていただきましたが、このロマ書12章で、「わたしたちの信仰」という内容になります。それは、さらに言えば今日の説教題「福音によって変容される生涯」を語っています。ここはよく聖会などで語られる代表的な聖書テキストです。しかしそれは、福音という基礎の上に立ったクリスチャンの変容する人生を熱く語る所です。
ある教会は会堂を作る時に基礎が弱かったので、基礎工事に、長さ10メ-トルの鉄の柱を100本以上打ち込んで土台を固めたということを聞きました。建物を作るときには基礎が何よりも大事です。信仰生活にも基礎は大切です。
二年前まで牧会をしておりました東京聖書学校吉川教会も、増築部分を建てあげる時に、わたしの記憶では、長さ24メートルの鉄の柱を6本打ちこまねば、建築許可が下りませんでした。人生には基礎が必要なのです。なぜなら、人間の精神的な土台は砂地のようなものだからです。砂地のようなところに高いビルを建てたら大変です。人間の歴史には地震が起きます。時には大地震が起こるのです。天地がひっくり返るような大地震が起こるのです。その時に、岩の上に建っていなければ、倒壊するのです。関東大震災のような、東日本大震災のような地震が起こるのです。確かなる岩を土台としなければすべては崩れてしまうのです。土台は福音です。福音が土台なのです。これ以外の土台は無いとパウロは言います。それは神の愛です。深い深い神の愛、われらのために身代わりとなられ、命を捨てられるほどの神の愛、あの十字架の贖いがその基礎なのです。人間の善意や人間の親切心などでは問題は解決しないのです。もちろん、やさしい心や親切心は大事です。でも、人生の岩は、神御自身の福音なのです。

2)あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
 ⇒ 自分の身体をささげよ!これが真の礼拝。
 信仰生活はある意味で単純です。それは命懸けで愛してくださった主イエスに命懸けで従ってゆく生活だからです。それを「献身」という表現でパウロは語りました。主イエスというお方に対する全人格的な応答こそ信仰の本質です。それは神の圧倒的な愛に対する人間の応答です。血潮の一滴まで注ぎだされた主イエスに、このからだを生きた、聖なる供え物として捧げて、従う生涯です。それが、自分の身体をささげて、全人生をもってする礼拝です。
「なすべき霊的な礼拝」とは、文語訳では「これ霊の祭なり」とありました。道理に適った(=ロギコスの)礼拝。それは主イエスの十字架の贖いの業をしっかりと中心に据えた礼拝なのです。
10年ほど前の横浜ラブソナタの集会で、韓国の女性の牧師が、「アメイジング・グレイス」を讃美しました。それはあまりに感情がこもりすぎて、ジョン・ニュートンのアメイジング・グレイスなのか、あるいは独自の歌か分かりませんでした。近くにいた家内が「あれ、詩吟で歌っているんじゃないの?」と言ったほどです。有賀喜一先生が聖会でも語られました。「アメイジング・グレイスの讃美は、楽譜どおりでなく、できるだけ、音程をはずしてやらねば、アメイジング・グレイスにはなりませんね~」。
神様の「恵みの御業」「福音」に心から応答することが、キリスト教信仰の具体的な生活の基礎なのです。そして、それはまた、自分の考えだけを捧げるのではありません。自分の心だけを捧げるのでもありません。ここではクリスチャン生涯の具体性が強調されて、自分の身体を捧げなさいと、具体的な勧めがなされています。

3)2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
⇒  心を新たにメタモルフォーセーさせられよ!
ここには、変身する生涯があります。献身の生涯の基礎は「心を新たにすることによって、造りかえられ、」(2節) ることだと語ります。この「造り変えられる」という言葉に注目しましょう。これは生物学用語で「変態」を意味する「メタモルフォ-セ-」という語です。英語で言えばtransformation  です。Form が trans されるのです。ヤゴがトンボになり、毛虫が蝶になるような変化を示す言葉です。生活の形態が変わる時の言葉なのです。
毛虫のような醜いものが美しく輝く蝶となり、水の中でうごめいていたヤゴが空を飛びまわるトンボとなるのです。身体も生態系も変化するのです。罪あるわたしどもも、主イエスと同じ姿にまでかえられることを教えています。アメリカの、ジョン・オズワルト先生が、聖化大会30回記念で、この聖書箇所から語られました。記念すべきすばらしい聖会でした。先生は「聖霊によって人は変えられる!」と語られました。これがとても印象的でした。主イエスの弟子のヨハネは、怒りやすい性格で主イエスから「ボアネルゲ」というあだ名をもらいました。これは「雷の子」という意味です。すぐに血が頭にのぼるのです。それを抑えることができません。悔い改めなかった村を、天国から火を降して焼き尽くしましょうか、とまで言って、主に叱られました。ですから、あちらにぶつかりこちらにぶつかりの傷だらけの性格だったのでしょう。しかし、彼は変えられてしまいました。聖霊に満たされ、恵みに満たされ、彼は晩年90歳以上になって、「何か御言葉を」とお願いされると「愛し合うことだよ、子供達、愛し合うことだよ。主がわたしたちを愛してくださったように愛し合うことだよ」とだけ語る器となりました。
わたし個人にとって、このジョン・オズワルト先生が、「キリスト教の信仰は十字架の贖いを信じて救われる、しかし、その後に、聖霊の内住により、愛の生涯へと変容されることが大切である」と語られたことが忘れられません。「全き愛への変容(メタモルフォーセー)」が大胆に語られました。ウガンダ内戦のことも話され、クリスチャンになっても、福音にしっかり立たないと、血と血で復讐し、憎しみと憎しみでぶつかり合うような愚かなことが起こると警告されました。今年の標語は「兄弟愛と尊敬」(ロマ12:10)です。それにアガペーの愛を加えられ、聖霊による「変容された(メタモルフォーセー)生涯」(ロマ12:2)ですね。ハレルヤ、その通りと思いました。
こちらは、昨年11月のヒューバート・ハリマン先生の説教の中で語られた内容です。
ある方が、趣味で、古い時代の飛行機に乗って楽しんでいました。しかしある時に、この飛行機が着陸する時にエンジンがストップしてしまったそうです。まあ、事故もなく、操縦室から降りて、少し困って、考えていたそうです。ところが、機械が古かったからでしょうか、今度は突然にエンジンンが動き出したそうです。彼は驚いて、この飛行機に乗り込もうとしたのですが、少しづつ動き出して、結局は乗り込めなかったそうです。操縦者がいないこの飛行機は、離陸し、ぐんぐんと高度を上げて3000メートルの高さまで上ってしまいました。しかし、操縦者のいない飛行機ですから、その後、落下を始め、最後には墜落してしまいました。◇ハリマン先生は、このように締めくくられました。「皆さん。わたしたちは主イエスさまの十字架の血潮によって、罪赦されて救われました。しかし、そのあと、心のうちに主をお迎えし、愛と信仰の霊である聖霊様に、その操縦を委ねないと、操縦者のいない無人飛行機になって、この世でどんなに立派に見えても、3000メートルの高さに上っても、墜落してしまうのです。」

【祈り】天の御父。4月第3の主日礼拝を感謝します。今日はロマ書12章より「福音により変容される生涯」を学びました。主よ、この一週間「主の福音の恵みを深く理解」し、「その恵みと恵みの主に自分の身体をささげ」、「聖霊の内住により大きく変えられ」、愛と恵みに輝いて生きる者とならせてください。コロナの災禍も終息せしめてください。医療従事者を支えてください。病の中にある方々に平安と癒しを! 主の御名によって祈ります。アーメン