説教「聖霊、その証印と保証」ー 聖霊は天国の手付金(アラボン)ー 深谷牧師

2020年5月24日 主日礼拝
聖書箇所:エペソ1:3~14
説教:深谷牧師

今週から来週にかけて、わたしたちは重要な記念の日を迎えます。その一つは5月31日のペンテコステ。もう一つは5月24日の「アルダスゲートの記念の日」です。第一のペンテコステの聖霊降臨の出来事は使徒行伝2章に記されます。2番目のアルダスゲートの体験は、1738年5月24日に、英国ロンドン郊外の町で、35歳のジョン・ウェスレーの生涯に起こりました。

 どちらも深い霊的な体験で、その後の歴史を大きく変えてゆきました。今日は5月24日であり、また、来週の日曜日にペンテコステ主日を迎えるに当たり、聖霊なる神様の圧倒的な体験、わたしどもの人生を変える恵みの体験を共に学びたいと思います。

【聖書テキストと区分】
エペソ1:3-14は、もとの言葉では実は、ほとんど一つの文章で、区切りがなく、代名詞や分詞で次々と文章がつながっているそうです。この手紙はローマの獄中で使徒パウロが口述筆記をさせて書いたものと思われますが、パウロは「ほむべきかな、わたしたちの主イエスキリストの父なる神!」と、語り出したら、神への賛美が止まらなくなってしまって、14節までを一気に語り出したような文章です。パウロらしい文章だと思います。
この箇所は、内容的には、はっきりとした区切りがあります。
3節~ 6節は 父なる神について   創造と選びの恩寵
7節~12節は 子なる神について 十字架の贖いによる神と人との和解
13節~14節は 聖霊なる神について  聖霊の内的確信と救いの完成
が、書かれてあり、それぞれの区切りには、「これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。」(6節)、「それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。」(12節)、「こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」(14節)とあり、区分ごとに、賛美が添えられていて、父なる神、子なる神、聖霊なる神への信仰と賛美がはっきりと示されております。

【メッセージのポイント】
3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
⇒ 父なる神の創造と選び
 3節から6節は、父なる神様の創造と豊かなる選びの恩寵が記されています。4節に「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び」と記されます。わたしたちの救いは、今から二千年前、キリストがこの世界に来てくださった時からはじまったのではなく、それ以前から、それこそアダムやエバの時からはじまつており、いや、ここでは、それよりももっと前、天地創造の前からはじまっていたとあります。人類が生まれる前、世界が始まる前から、神はわたしたちのために救いの計画を立て、その救いの中にわたしたちを選んでいてくださいました。驚きです。
これを「選び」や「予定」と言います。福音を聞き、それを信じるのです。

2) 7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、9 御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。10 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。11 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。12 それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。
⇒ 子なる神の贖罪と救済
 7節から12節には、神の計画がキリストによって実行されたことが書かれています。御子キリストは、今から二千年前、この地上に生まれ、十字架で死に、三日日に復活して、救いを成就してくださったのです。その救いの結果、「天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのです。」神から遠くはなれていた者が神に近づけられることを意味しています。残念ながら、人類の歴史は争いの歴史であり、いつの時代も、どこの国でも、また、家族や友人の間でも、争いが絶えません。7節に「その血によって贖われ、罪を赦されました」という言葉がありますが、キリストが十字架で死なれたのは、私たちを罪から贖い出すため、愛し合うことができるようになるのです。キリストは、神と人とを結びわけるため、また、人と人とを結びつけるため、ご自分の命を十字架にささげ、贖いを完成してくださったのです。

3) 13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。     (13,14節)
⇒ 聖霊なる神の与える証印と保証
 父なる神は、この世界を創造し、救いの歴史を導かれました。そして神の独り子主イエスが十字架においてわたしどもの罪をすべて負ってくださり、罪の赦しと永遠の命を与えてくださいました。そして、聖霊は、御子が実現した救いをわたしどもに明確に、魂の内側から、救いの確証を与えてくださるのです。御子イエスキリストによって救いは成就しています。しかし、わたしどもはその救いの福音を聞き、それを信じるのです。聖霊なる神様は、わたしどもの内側に内住されるお方です。聖霊がわたしどもの魂に住まわれる時、救いもわたしどもの内側に深い確信を持ってやって来るのです。13節では、「約束された聖霊で証印を押された」と表現しています。聖霊は、救いの証印なのです。
 カナダの霊的なリーダーのオズワルド・スミス博士の「聖霊の満たし」などはすばらしい本です。スミス先生はこう言います。「聖書は多くの命令がある。『主イエスを信じなさい』、『バプテスマを受けなさい』、『戒めを守りなさい』、『隣人を愛しなさい』・・・等々。しかし、一番大切な戒めは「聖霊の満たし」、すなわち『聖霊に満たされなさい』と言う命令である」と。なぜなら、罪の中に生き、罪の力に影響されているわたしどもは、自分の力で良き業をしようとしても、なかなかできない。わたしどもの肉の性質のままでの行動には多くの不純物や、不安とストレスが伴うのです。われらは肉の力では伝道をすることも、隣人を愛することも難しいのです。愛するどころか、その人の弱さや醜さに触れて、自分のどうしようもなさは棚に上げて、人を批判したり、憎んだりしてしまうのです。なんと人間は弱い、愚かな存在なのでしょうか?
 しかし、聖書は言います。聖霊なる神様を心に歓迎し、明け渡し、満たされてゆくときに、天から注がれる霊的な力を経験するのである、と。働かれるのは聖霊なる神様です。「聖霊によるところの力、高き所からの力を受けるまでは都に留まれ」と主は語られたのです。
 韓国のキャンパスクルセードのリーダー、金俊坤先生が、その違いを、リヤカーと自動車の違いであると語られました。長い坂道を汗をかきつつリヤカーを引きつつ歩むのと、天来のエンジンである聖霊様の愛と力に軽々と運ばれる生涯は大きく異なります。まず、聖霊の満たしと力を求めて歩みましょう!
 さらに14節で、「聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証」と語ります。この「保証」という言葉は「アラボン」という語で、もともとアラビアの商業用語であったと注解書には解説されます。これは「手付金」とか「頭金」というような内容の言葉です。つまり、羊を千匹買う契約をする場合、購入者は手付金として百匹分を支払うというような内容を示す言葉です。神様はわたしたちを主イエスの十字架と復活の信仰のゆえに、最終的な救いである天国を下さる。この地上を去って、やがて父なる神様の天国の恵みに入りますが、この聖書箇所では、この地上生涯を終えてからの天国ではなくて、この地上にあって、天国の恵みの一端に与ることを「天国の保証(アラボン)」だと言っているのです。この地上で歩む信仰の生涯の中で、神様の深い恵みの世界、祈りの中で経験する神ご自身の愛の深さや神様の歴史経綸の驚くべき祝福、その栄光の輝きに打たれてパウロは、まるで生きながら天国のような恵みと充足をいただいた!と叫んでいるのです。
 そのような意味で、聖霊に満たされた体験は救いの確信へと、導く体験であり、それはあたかも小天国のようだ!という告白なのです。
 聖霊に満たされる体験は、神様から天国が与えられることの手付金。
 聖霊に満たされる体験は、神様から与えられる天国の前味。
 それは三越本店が日本橋にあるが、池袋にも支店があるように、天国の本店は天にありますが、天国の支店がわたしの内にあるという確信。
天国の人知を超えた喜びと祝福の世界の手付金、前味として聖霊の満たしをいただいたと言うのです。
 主イエスの証し人として立つために、わたしどもは福音を理解し、救いに与り、恵みに満たされ、天国の前味を味わって、主の証し人となるのです。ローマ書やガラテヤ書は、十字架の贖いの恵みの後に、聖霊に満たされた勝利の生涯について記します。ロマ書などはその典型で、6-7章は霊的葛藤、8章で、聖霊による勝利、「圧倒的な勝利者」を語ります。

 時は1738年。5月24日(水)。夕方、35歳のジョン・ウェスレーはロンドン郊外のアルダスゲートにあったモラビア兄弟団の人々が多く集まる集会に出席していました。そこで自分の心があやしく燃えるのを経験したのでした。それが有名なアルダスゲ―トの回心です。信仰の苦闘のどん底の彼自身の叫びを聞くようでもありました。米国ジョージア州での宣教師としての働きも失敗し、失意の最中にあったのです。彼が生涯書き続けた日記にはこう記してあります。
「夕刻、私はひどく気が進まなかったけれども、アルダスゲイト街でのソサエティーの集会に行ったところ、そこである人がルターの『ローマ人への手紙』の序文を読んでいた。9時15分前ごろであった。彼がキリストを信じる信仰を通して神が心の内に働いてくださる変化について説明していたとき、私は自分の心が不思議に熱くなるのを覚えた。私は、救われるためにキリストに、ただキリストのみに信頼した、と感じた。神がこの私の罪を、このわたしの罪さえも取り去ってくださり、罪と死の律法から救ってくださったという確証が、私に与えられた。」(藤本満訳)
 彼はようやくこの時、「キリストに、キリストのみに信頼し、私の罪を、このわたしの罪さえ取り去りたもうと信じることができた」のでした。ここで彼は「救いの確証」を得たのです。集会が終ると彼は弟チャールズのもとに行き、輝いた顔で『わたしは信じる』と叫びました。これが大きなリバイバルの原点となったアルダスゲートの体験です。
 今日は、その5月24日の「アルダスゲート」の記念の日です。あなたの人生に神様の圧倒的な恵みの御業を期待します! ハレルヤ

【 祈 祷 】 天のお父様。今日は、エペソ書一章から、父なる神の恵み、主イエス様の救い、聖霊なる神様の救いの完成についてメッセージを聞きました。特に今日は、ペンテコステを前にして、今日5月24日のアルダスゲートの記念の日に、「聖霊の圧倒的臨在の業」「聖霊の内的な確証の業」を学びました。「聖霊の証印を押された生涯」「天国の保証(アラボン)なる聖霊なる神様について」学びました。「天国の前味」「神の国の手付金」「天国の出張所」であるというあなたの御働きにわたしどもの生涯を整え、どうか、わたしどもの鈍い霊の目を開き、この聖書信仰の原点に立つ者として導いてください。来週のペンテコステの礼拝を、期待しつつ、祈りつつ待つ一週間としてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン