奨励「天を想う生涯:細川ガラシャの真実」ー ヨハネ福音書14:1~6   ジャーナリスト守部喜雅氏

2020年7月26日 夏の特別礼拝
聖書箇所:ヨハネ14:1~6
奨励:守部喜雅氏氏

 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀です。明智光秀と言えば、戦国時代に、天下統一を目指していた織田信長に謀反を起こし、本能寺の変で、信長を打ち取った悪臣として歴史に名をとどめています。「麒麟がくる」では、そのような悪いイメージではなく、16世紀の混迷の時代の中で、懸命に希望の光を追い求めた戦国武将として、光秀の真実な姿を描こうとしているようです。残念ながら、コロナウイルス禍のため、大河ドラマの撮影が一時ストップし、再放映は、8月30日からとのこと、期待をして待ちたいと思います。

 さて、光秀や織田信長、豊臣秀吉などの武将が活躍した戦国時代は、16世紀の半ばから17世紀の前半の約80年ほどの時代を指すと言われています。実は、この戦国時代は、驚くことに、日本にキリスト教が伝えられ、その教えがまたたく間に全国に広がり多くのキリシタンが生まれた「キリシタンの世紀」でもありました。

  戦国時代には、全国に300近い領主が支配する国があったと言われていますが、なんと、その内の、83人の領主がキリシタン大名となったのです。そして、当時の日本の人口は約1500万人と言われていますが、そこに、約70万人のキリシタンが生まれたのです。

 

 日本におけるキリスト教伝来は、1549年にスペインの宣教師・フランシスコ・ザビエルが来日したことから始まったとは、中学の歴史の授業で学んだことですが、ザビエルを始め、多くの宣教師が来日し、16世紀の終り頃には、大名を始め、庶民の間にもキリスト教の愛の教えは驚く勢いで広がり、独裁者・織田信長さえもキリスト教に興味を示し、それが普及することを喜び、各地に教会や神学校を建てることも積極的に許可したのです。

 しかし、どうして、戦乱の日本でキリスト教がそれほどに広がり、影響を与えたのでしょうか。作家の遠藤周作は、その著「切支丹時代・殉教と棄教の歴史」の中で、次のように書いています。

「戦国時代という戦乱の時代、人は家を焼かれ、財を失い、肉親と別れねばならなかった。昨日まで富と名を誇っていた者が今日は殺され、追放された。世のはかなさ、生きていることの心細さは観念でなく実感をもって当時の日本人には感じられていたのであろう。 そのような状況下にあって、宣教師たちの伝えてきた基督教は確かに渇いた者にとっては砂漠の水のようにみえた。仏教がただ、世の無常をとき煩悩からの離脱を奨めるのにたいして、基督教は変わらざるもの、裏切らざるもの、たのむに足りるものは神のみであり、幸福とはこの神に依存することだと確信をもって説いたからである」。

 

 しかし、天正十(1582)年、京都の本能寺で起こった、明智光秀の織田信長に対する謀反「本能寺の変」を境に、人々の運命は大きく変わっていきます。「本能寺の変」については、日本史最大のミステリー、と言う学者もいますが、なぜ、光秀が信長に反逆したかについては、その動機については様々な説があり決定打はありません。光秀が自分で天下を取るために謀反を起こしたという説もありますが信ぴょう性が薄く、むしろ、自分を神のようにふるまう信長の傲慢不遜な姿に絶望した光秀が、新しい時代の指導者の到来を求めて事を起こしたのではという説が、今では、有力になっています。その証拠に、光秀は、事を起こす前に、娘婿の細川忠興に手紙で、忠興と光秀の嫡男・光慶に新しい時代の指導者になってくれと懇願しているのです。

 しかし、細川忠興は、この舅である明智光秀の要望を無視して信長の死後、喪に服したのです。この細川忠興こそ細川ガラシャの夫です。

 本能寺の変の11日後、明智光秀は、敗走する途次、野盗と化した農民の集団に襲われ、その命を落とします。当時は戦国時代です。謀反を起こした者が敗北した時、その家族、親類縁者はことごとく死罪を免れません。当然、謀反者・明智光秀の次女であった細川玉も死罪です。忠興は窮地に追い込まれます。どうしても殺すには忍びない。出た結論は、京都の山奥の味土野(みどの)に玉を人知れず幽閉することでした。

 

 細川玉は熱心な禅宗の信徒でした。生きる意味を知るため、心の平安を得るため、玉は、毎日のように京都の禅寺にかよったと言われています。しかし、辺境の地・味土野に追いやられた玉の窮地を禅宗は救い出してはくれなかったのです。

 「後に彼女自ら言っていたように、当時、彼女が禅の修行によって会得したことは、彼女をして精神をまったく落ち着かせたり、良心の呵責を消却せしめるほど強くも厳しくもなかった。それどころか、彼女に生じた躊躇や疑問は後を絶たなかったので、彼女の霊魂は深い疑惑と暗闇に陥っていた」。

 これは、細川ガラシャの生涯を詳述したルイス・フロイスの「日本史」に出てくる一節です。味土野に幽閉された細川玉は絶望のどん底にありました。

 しかし、その闇の中にも光があったのです。それは、幽閉先に、玉のお世話をするために同行した侍女・清原イトの存在でした。イトの父親は熱心なキリシタンでした。イトもその信仰を受け継ぎ、絶望していた玉の心にそっと寄り添い求められるままにキリスト教の愛の教えを伝えたのです。大切なことは玉の救いのためにイトがずっと祈り続けていたことです。やがて、玉の心に救い主についてもっと知りたいとの飢え乾きが起こったのです。

 味土野に幽閉されてから二年後、豊臣秀吉の赦しを得て、玉は、大坂・玉造にあった細川家の屋敷に戻ってきます。しかし、忠興は、玉をその屋敷に監禁状態にしたのです。

 大坂に戻ってからの玉の一番の願いは、キリスト教の教会に行きたいということでした。当時、大阪城の近くに、キリスト教の教会があったのです。

 

 1587(天正十五)年三月、玉は、忠興が九州遠征に出て留守の時、厳しい監視の目を潜り抜けて、清原イトの導きで、遂に教会にたどり着きます。その日は、ちょうど、イースターでした。玉は、イエス・キリストが、人類の罪を救うためにこの世に来られ、多くの愛のわざを行い、しかし、十字架につけられ、三日目に復活し、今も生きておられる、という歴史的事実を人々が祝っている姿に触れたのです。

 玉は、これまでの人生で味わったことのない教会の荘厳さと清さに感動します。そして、修道士に、禅宗とキリスト教との違いなどを次々に質問し、遂には、「洗礼を授けてください」と懇願したのです。

 しかし、身分を明かさない婦人に対し洗礼を授けることはできません。その日は、屋敷を脱出したことに気づかれる前に屋敷に戻らざるをえませんでした。

 その後の玉は、侍女たちを密かに教会に送り、彼女たちの口からキリスト教の教えを受けたのです。そして、教会の司祭の決断で、教会には来れない玉のために屋敷内で密かに清原イトの手で洗礼を授けることに決定、忠興が戦に出て不在の日に、玉がいつも祈りの場としていた小部屋で、イエス・キリストの御名によって洗礼を受けたのです。

 

 キリストを罪から救い出して下さる救い主として信じ、その主イエスに生涯のすべてをゆだねた時、玉に、罪と死からの解放が与えられたのです。それは、自分が修行し善行を行った結果、与えられたものではありませんでした。

 「あなた方は心を騒がせてはなりません。神を信じ、また、わたし(キリスト)を信じなさい」との神様からの呼びかけに対し、「はい、信じます」と応答した時に与えられた神の恵みでもありました。ですから、洗礼を受けた後に出した手紙の中に、玉は「私が信仰に入ったのは人に勧められたからではなく、ただ、神様の恵みによるのです」という意味のことを書いています。細川玉は細川ガラシャという新しい名前が与えられました。

「ガラシャ」とは「神の恵み」という意味です。 本来の玉は、まじめな性格だったのでしょう。それだけに人には厳しく筋を曲げない頑固なところもあったようです。しかし、自分の中にある、罪の性質にも気づいていました。「彼女は、良心の呵責に苦しんでいた」と宣教師フロイスは書いています。だから、何とかその罪の縄目から解放されたいと禅宗の修行に励んだのです。しかし、そこには解決はありませんでした。

 

 イエスは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも、父なる神のみもとへ行くことはできません」。生きる意味を求めていた玉にとって、道であり真理でありいのちであられるお方に出会うことができたのです。

 

「キリシタンになることに決めて後の彼女の変わり方はきわめて顕著で、当初は、たびたびうつ病に悩まされ、時には、一日中室内に閉じこもって外出せず、自分の子供の顔さえ見ようとしないことがあったが、今では顔に喜びをたたえ、家人に対しても快活さを示した。怒りやすかったのが、忍耐強く、かつ、人格者となり、気位が高かったのが、謙虚で温順となって、彼女の側近たちも、そのような、異常な変貌に接して驚くほどであった」。これは、宣教師フロイスがガラシャの生涯を描いた記事の一節です。

 1600年、関ヶ原の戦いの三か月前、徳川家康側についた細川忠興に対する処罰として、豊臣側の石田三成はガラシャを人質に取ろうと、忠興の屋敷に兵を送ります。そこで、ガラシャは、人質になることを拒み、小笠原少斎の手で斬首され、38年の生涯を閉じたのです。

 

散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ

 

 このガラシャの辞世の句には、この地上の生涯にも終わりがある。それを決めるのは、歴史を支配される神様である。だから、このお方の御心に生きてこそ、人は人として輝く人生を送れるのだ、という意味をくみ取ることができるのではないでしょうか。

 

【祈り】 主よ、わたしたちは、神の恵みによって、罪許され、永遠の命に生きるものとされました。どうか、地上での生涯には限りがあることを憶え、へりくだって、一日一日、主が喜ばれる歩みをすることができますよう導いてください。聖霊を悲しませることがありませんように、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン