説教「山にむかいて目をあげる」ー都もうでの歌②ー 詩篇121篇 深谷牧師

2020年8月9日 主日礼拝
聖書箇所:詩篇121篇
説教者:深谷春男牧師

 先週から「人生巡礼の歌」「都もうでの歌」を読み始めました。先週は、詩篇120:7の「わたしは平安!」という言葉が、何回も心に浮かんできました。「わたしは平安(アニー・シャローム!)」。悩みと試練のただ中にあっても、神を信じ、神と共に生きる人生は、「わたしは平安!」と告白できる。「神その中にいませば都は動かじ」(詩46:5)ですね。ハレルヤ!

【テキストの解説】

 前回、詩篇120篇の学びをしたときに申しましたが、詩篇の中で「都詣での歌」と言われる一連の詩篇があります。120篇から134篇までの合計15の詩篇です。年数回のエルサレム上京の際の巡礼歌だったのでしょう。

今回学ぶ、詩篇121篇は「都もうでの歌」の2つ目の歌です。この詩は印象的な冒頭の聖句によって、多くの聖徒に愛されてきました。特に日本は美しい山々が至る所に広がっており、万葉集の初めから、山を歌う歌が沢山あったので、日本人にはぴったりと言うところでしょうか。この「人生巡礼の歌」は、神様ヘの深い信仰を歌っています。今日、説教の後で歌う、讃美歌301番は「山辺に向かいて我、目をあぐ。助けはいずかたより来たるか?」という有名な別所梅之助先生の作られた讃美歌があります。神への信頼を格調高く歌っています。

この作品の構造上の著しい特徴は、前の句のキーワードを次の句が「尻取り風」に受け継いで行くところにあります。

まず1節の最後で「わたしの助け」と歌われると、2節には「わたしの助け」で始まる句が来る。3節で「まどろむ」が来ると、4節で「まどろむ」、3節の「守る」は、4節でも使用されますが、さらに5、7、7、8節でもでてきます。また、「主」という言葉が、反復されていることも注目されます。5節(2回)、7節、8節でも出てきます。

 

 この詩人は今、巡礼の旅に出ようとしています。ある方は、お父さんが息子の巡礼の旅への出発を心配して、出発の備えをしているような姿です。息子がサンダルのひもを締めるところで、心配しながらその行く手を見ている状況だというのです。彼は今、目の前にある「山」を見上げています。その「山」は、これからの巡礼の出発や、旅の途上で起こってくるさまざまな危険や障害をも思い浮べて、旅の平安を祈っているのだと言います。

 そして、山に向かって祈りつつ、山のみに目を向けることで終わってはおりません。この山に向かってわたしは祈るけれども、わたしの助け、わたしの救いの業はどこから来るのだろうか?そうだ!わたしの救いはこの山を創造されたお方、また山を越えて天と地とを造られた方、全知全能の愛の父が、これからの旅路を守って下さるのだ!と信仰の告白をしています。 

  1節2節にはこのように記されます。

1 わたしは山にむかって目をあげる。

わが助けは、どこから来るであろうか。

2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。(1、2節)

巡礼の旅が、わたしどもの人生に例えられるならば、人生巡礼の旅で一番大切なのは、信仰です。「神様への信仰」が、人生を導く支えの杖なのです。

ある方が、ここには神様の守りの3つの主題があると語られています。

第一は、2~4節で「神の守りの不変性」

第二は、5~6節で「神の守りの十全性」

第三は、7~8節で「神の守りの永遠性」と語っています。

 

【メッセージのポイント】 

 1) 2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。

3 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。

あなたを守る者はまどろむことがない。

4 見よ、イスラエルを守る者は

まどろむこともなく、眠ることもない。(2~4節)

⇒ 「神の守りの不変性!」

3節からは詩人は「神の守り(シャーマール)」という主題を歌います。

この詩には、6回も「主は守ってくださる!」「守って下さる」と記されています。「神の守りの不変性」が歌われます。神様は、全能の方、この世界の造り主、天の父様、愛の父なのです。「あなたの足の動くのをゆるされない」、「まどろむことなく、眠ることなく」あなたを守ってくださるお方なのです。何という深い信頼がそこにあることでしょう。

2) 5 主はあなたを守る者、  

主はあなたの右の手をおおう陰である。

6 昼は太陽があなたを撃つことなく、

夜は月があなたを撃つことはない。(5、6節)

⇒ 「神の守りの十全性!」

 5節、7節に「主はあなたを守る者」という御言葉があります。これは、「イシマル アドナイ」という言葉で、とても印象的でした。いつも、朝祷会などでお交わりを持っている先生に「石丸」先生がおられますが、「守る者」という言葉が「イシマル」というのです。

 更に「6 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。」と歌われます。太陽に炎天下、当たると日射病になります。最近は日本でも、温暖化が進み、あまりもの暑さに熱中症になり、病院に運ばれたというニュースをよく聞きます。神様が、共に歩んでくださり、炎熱の砂漠を通過する時には、陰となり、我らの右手を歩んでくださると歌います。

 また、アラビアの方では、月の青白い光にあまりに長く打たれると精神的な病気になると信じられたそうです。ここには、昼と夜、太陽と月、活動と睡眠、出ると入る。「神の守りの十全性」が歌われます。

3)7 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、

またあなたの命を守られる。

8 主は今からとこしえに至るまで、

あなたの出ると入るとを守られるであろう。 (7、8節)

⇒ 「神の守りの永遠性!」

 この詩の最後は、主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られる!と祈っています。特に、「あなたの出ると入るとを守られる」との言葉でこの賛美は閉じられます。グループ旅行の際は、本田弘慈先生等が羽田から出発する時に「出ると入るとを守り給わん!」と祈られました。

 ここには「神の守りの永遠性」が歌われます。生まれてから死を迎える時まで、主は守って下さる。永遠の命まで主は約束して下さる。ハレルヤ

 先週は、とてもすばらしい体験をいたしました。

 小学校2年生からの友人、仁井田義政牧師から、自叙伝「砂漠に靴」を頂きました。水曜日に頂いたのですが、感動して、一日で読み終えました。

 彼が一歳の時にお母さんが離婚され、暗い田舎の夜道を、3人の子供を連れて夜逃げしました。彼が1歳の時だったので、なにも覚えてはいなかったそうです。彼はお母さんのやさしい愛で育まれ成長しましたが、彼が小学校2年生の時に癌で亡くなりました。彼は行くところがなくて、再びそのお父さんの許に帰されました。それからお父さんから受ける児童虐待の中で、殴られたり、蹴られたりで成長し、小学校も中学校も、朝の仕事をしてから登校、朝の10時頃に教室に入ってきました。勉強どころではなかったのです。そのひどいお父さんに復讐するために、ヤスリで小刀を作ったりしていました。しかし、彼が中学校二年生の時にお父さんも亡くなり、中学卒業と共に上京し、小岩の鋳物工場で働き、18歳で、悪の道に引き込まれそうになる直前に、わたしが「教会に来ないか」と誘いました。彼は、見事に、救われ、教会献身に導かれ、神学校にゆき、牧師になり、悪戦苦闘の中で、歩んできた70年の生涯の体験でした。読み終え、ハレルヤと主を崇めました。

 彼が始めて教会を訪ねた時に、神学生に祈りを教えてもらいました。「天のお父様と呼びかけて、お願い事を何でも言いなさい。そして最後にイエス様の御名によって祈ります。アーメンというのです。」彼は、一緒に生活している同僚が寝静まってから、布団をかぶってお祈りしました。「天のお父様・・・」そう祈ったときに、彼は雷に打たれたようなショックを覚えた。「え・・!天のお父様?天の神様が僕のお父様!?そうか、本当のお父様はあの、ひどい親父ではなく、天の神様だった!」この、瞬間に、彼の人生の分岐点を経験した。本当にすべてが分った。こうして彼は、天のお父様に対する信仰を持ち、やがて主エス様の十字架と復活の意味も知った。彼は、教会に住み込み、献身者の歩みを始めて行った。人生に革命が起こった!

 1840年11月17日の朝まだき、父と共にこの詩篇121篇と135篇を朗読し、祈った青年がおりました。彼はその朝、グラスゴーを出発し、当時、暗黒大陸と恐れられていたアフリカに福音をもたらすべく出発しました。27歳のリビングストンでした。彼はその出発の際にこの詩篇を読んで神に熱き祈りを捧げて雄々しく立ち上がりました。主が彼と共にいて彼の生涯を祝福し、多くの実りを彼に与えたのでした。今、アフリカはキリストの季節です。

 

【祈り】 天地の造り主である全能の父なる御神よ。すばらしい詩篇121篇を感謝します。この詩篇のように、わたしどもは目の前にある山々を見上げます。そして、人生の幾山河を越えて、天地の造り主、わたしどもの愛の御父、眠ることなくまどろむことなくわれらを守られる主に深く信頼し、一週間の出発をいたします。人生の初めから終わりまで、あなたの臨在の中に歩み行かせ、信仰の生涯を全うさせて下さい。この詩人のように、仁井田先生のように、リビングストンのように、自分の馳せ場を雄々しく走り、主の栄冠を得る者と導いて下さい。主イエスの聖名によって祈ります。アーメン