説教「あなたの自由になる」使徒行伝5:1~11 深谷美歌子牧師

2020年9月27日 主日礼拝説教
聖書箇所:使徒行伝5:1~11
説教者:深谷美歌子 牧師
 

 前回まで、教会が、外からの迫害にもかかわらず、救われるものが加えられ、救われたものたちは一つになって、持ち物を共有し、貧しい者はなく、祈りとみ言葉を頂きつつ、愛し合う神の国を形成していたことを見てきました。

 しかし、今日の箇所はその姿とは違うような、悲しい出来事が書かれています。ルカは正直にこの地上にある教会の姿を書きしるし、神の子とされても、 地上にある教会は、誘惑もあることを知らせています。

 ドキドキするできごとでしたが、アナニヤとサッピラのことは、今の私たちの教会でもありえることではないでしょうか?

 心を静めて、聞いて行きましょう。

 

本日の個所の概略】

1,2節 アナニヤとサッピラ、資産を売り、代金をごまかし使徒の足元に置く。

3-6節 アナニヤへのペテロの叱責、神を欺いた。息絶えて葬られた。

7-11節 サッピラへの促し、ウソの証言、息絶えて葬られた。

 

【メッセージのポイント】

1)自由の選択―資産の売却

1 ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、2 共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。             1、2節

 初代教会は、目覚ましい勢いで、救われる人が起こされました。この前学んだところでは、周りからも非常に好意をもたれ、持ち物を共有にし、貧しいものが一人もないという喜びに満ちた、理想的な神の国ができでいたように思いました。「ところが」とこの一致が壊されるような出来事が起こったことが本日の個所に記されています。

 これまで私は、この出来事は、二人は、最初からこの計画を持って臨んだと思っていました。ですが、今回、もしかしてこれは、アナニヤとサッピラの最初からの思いではなかったのかもしれないと気付かされました。

 アナニヤという名前は「ヤハウェは憐れみ深い」との意味があり、サッピラは「美しい」との意味があるのです。本来神の祝福を証しする器であるべきだったという解説を読みました。そして順序的に「資産を売った」のが初めに記されています。最初から、代金をごまかして捧げようと共謀してから資産を売った、とは書いてないことに気付きました。

 最初の動機は、自分たちの資産を、神の家族のために捧げようとの他の兄弟姉妹と同じように喜んで売ったのかもしれません。

しかし、その代金がたくさんなのを見て、惜しくなったか、一部をもってきて使徒たちの足元に置いたのでした。足元に持ってきたのは、人間的な、人前に皆と同じにしなくてはとか、全部と言っても信じられる額で、人の称賛を受けられるとかの思いがあったかもしれません。神様に喜んで捧げるというものでなくなっていたのは確かでした。そうなった原因を次に見てみましょう

 

2)自由の選択―サタンに心を奪われるな

3 そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。4 売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。5 アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。6 それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。

恵まれた教会に、なぜこのようなできごとが起きたのかと思います。ペテロは。「アナニヤよ、なぜ、あなたはサタンに心を奪われたのか」と言います。

 「サタンに心を奪われる」この言葉は、「サタンに満たされる」という意味だそうです。サタンの思いに同意してしまった状態でしょうか。

マタイ4章には、イエス様も荒野で40日間の断食の祈りの後、サタンに試みられたことが記されています。 

  • 神の力で食欲を満たすこと。 (石をパンに変えよ。)

石をパンにして食欲を満たし、力を示せと誘いました。

これに対して「人はパンのみで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と退けられました。

  • 宮から飛び降りて神からのメシヤであることを見せよと誘いました。

これに対して「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と答えられました。

奇跡を見たら、あなたをメシヤと認め従うだろうというサタンの言葉です。 しかし、先週のマタイの学びでも考察しましたが、奇跡の癒しを頂いても、その群衆が十字架に付けてしまったことを見ました。

  • 全世界の繁栄と引き換えにサタンを拝せば、この統治権をゆずるという誘惑。

そのときも、イエスさまはみ言葉をもって退けられました。

「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主にのえよ』と書いてあ

る」でした。代々のクリスチャンは、時の権力者と真の神様をこそ拝するということの戦いでした。近くは韓国の「たといそうでなくとも」の著者安利淑女史。

 十字架直前のゲッセマネの祈りでは、弟子たちが眠り込んでいた時、「誘惑に陥らないように目を覚まして祈っていなさい。と言われましたが、ご自分は「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」ルカ22:42と十字架を選び取ってくださったのでした。イエス様は全てのサタンの誘惑に勝利されました。

ペテロ第一の手紙5章:8節 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。

とあります。恵まれるとサタンがねたんで、何とかして神の子たちを恵みから落とそうと経巡ります。アナニヤとサッピラはこのサタンの試みに負けたのでした。

今日の個所では、強制ではないのに、全部と神様の前に偽ったとき、死が臨みま

した。確かに、神様を欺くことはできない、厳粛な神様を現しています。これは初代のころの特別な神様の介入であったと思います。

 

3)自由の選択―むしろ御霊に満たされて

7 三時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。8 そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。9 ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。10 すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。11 教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。

 でも、神様は厳しすぎるのでは?と思えます。偽ることは私達もあるのではないでしょうか?サッピラは3時間という時間に、思い返す時間があった。「あなた方はこれこれの値段で売ったのか?」というペテロの問いは、悔い改めるチャンスであった、と書かれている方があり、そうだったと思いました。

 このことを黙想していて、最初のアダムとエバにも、神様は「園の善悪を知る木からは取って食べるな、食べると死ぬ」と言われたのでした。蛇が「決して死ぬことはない。神は賢くなることを知っておられるのです」と誘惑した時、エバは負けたのでした。今回のようにすぐ死ねば、アダムは食べなかったかもしれませんが、すぐには死ななかったのでした。しかし、確実に人間は死ぬものとなりました。私達も「今は恵みの時」神様に立ち帰ることができる恵みの時です。すぐでなくとも、イエス様の勝利した命に繋がって永遠の命を頂かなければ必ず死にます。

 ただ、これは私見ですが、アナニヤとサッピラは肉の命は死にましたが、イエス様を信じて、教会に加わっていたのですから、もしかしたら、天国には入れていただいたかもしれません。この世でサタンに心を奪われないためには、聖霊様に満たされることです。ここでは「聖霊を欺いて、」と言われています。ここでアナニヤとサッピラが聖霊に心を満たしていただいたら、このような結果にはならなかったことでしょう。私達がサタンに勝利するのは、心の王座にいつもイエス様をお迎えすることです。

 

 「雪のたから」というパトリシアMセントジョンの作品があります。主人公のアンネットは、弟ダニエルが崖から落ち、足が動かなくなるケガをしたのが、隣のルシェンの意地悪からだったことを知って、それ以来、ルシェンへの復讐の怒りに満たされます。素晴らしいできばえで、コンクールに出品したら、必ず優勝するであろうルシェンの作品を、誰もいないときに見つけ、風がいたずらしたように見せかけて壊してしまいます。それから心が暗くなります。おばあさんから「こころの中にイエス様を迎え入れることが、明るくなることですよ」と教えられます。しかしそれをしたら、ルシェンを赦さなければならないであろうことを思ってなかなかできませんでした。一方ルシェンも、自分のしたことを悔い、イエス様を信じるようになります。アンネットはある日、寒さの山道で、足をくじき、明かりのある家を目指して、たどりつきます。いくら叩いても人が出てきません。やがて泥棒除けの明かりで、中に誰もいないことが判りました。その時、心の戸を叩き続けているイエス様を立たせっぱなしにしている自分に気づき、心の戸をあけました。その時、誰かがスキーで通りかかります。助けを叫ぶと、それはルシェンだったのです。それから和解がはじまります。ルシェンは赦された喜びの命が始まり、アンネットも憎しみから解放され、心が通じ合う世界が始まりました。神の国が誕生したのです。

サタンの誘惑に満たされるのでなく、聖霊様を迎え入れ満たされましょう。

 

【祈り】 父なる神様、聖霊によって弟子たちのめざましい働きが、なされたことを感謝いたします。アナニヤとサッピラも同じ思いで、はじめたかもしれません。しかし、その時、サタンも働き、捕らえられたアナニヤとサッピラが滅びの道を刈り取ってしまった記事を読みました。悔改めの時を選び取ることができますように。どうぞいつもみ言葉と聖霊さまに心を向けるという選択をし続けて、満たされて、この誘惑を退けることができますようお助けください。          

主の聖名によって祈ります。アーメン。