説教「信仰による義人は生きる」ー聖書のみ・信仰のみ・恩寵のみーローマ人への手紙1:17 深谷春男牧師

2020年11月1日 宗教改革記念礼拝説教
聖書箇所:ローマ人への手紙1:17
説教者:深谷春男牧師

今日は「宗教改革記念礼拝」と銘打っての礼拝です。すなわち、1517年10月31日に起こったマルチン・ルッターによる宗教改革の記念礼拝と言う事になります。説教題は「信仰による義人は生きる」。副題は「聖書のみ・信仰のみ・恩寵のみ」という題をつけました。この副題は、プロテスタント教会の「三大原理」とも呼ばれたりします。 

【今日の聖書箇所の概略】

今日の聖書箇所は、1節だけです。この一節は、聖書の中心と言われるローマ人への手紙にあります。ローマ人への手紙の中心主題です。 

 1‐ 7節  手紙の序文1……・自己紹介と福音紹介

 8‐17節  手紙の序文2……・ローマ訪問計画・主題への導入

18‐32節  本題に入る…………神の怒りの啓示

  今回は、17節を通して、聖書の信仰の本質を学びます。この箇所は主題への導入と呼ばれます。ローマ人への手紙はよく大伽藍に喩えましす。ここは看板が掲げてある大聖堂の入り口で、その看板は「信仰による義人は生きる」という言葉であると述べています。そして大伽藍は、「信仰から信仰へ」という通路で貫かれているのだと語っています。

 

【メッセージのポイント】

1)17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。   (17節)

    ⇒ 信仰による義人は生きる!

愛する兄弟姉妹。

「信仰による義人は生きる!」。今日の説教は、このロマ1章17節の言葉、1節からの説教です。今日はこの言葉を暗唱しましょう。

ここでは「十字架の福音は、神の救いの本質を指し示し、それが今、神様によって、あらわにされました」という意味です。この言葉が、ローマ人への手紙の看板と言われます。「信仰によって義人は生きる」。これは旧約聖書のハバクク2:4からの引用の聖句です。「信仰による義人は生きる」とも「義人は信仰によって生きる」ともどちらにも訳せる言葉だと言われます。主によって信仰によって義とされた人は、信仰から信仰へと、進んでゆくと言われます。「信仰によって義とされた」という言葉は、もともと、創世記15:6のアブラハムの信仰を説明したときの有名な言葉です。アブラハムが神様に祈っていたときに、「アブラハム、外に出てご覧・・」と神様から声をかけられ、満天の星を見上げて、その壮大な光景に、神様を信じ、神様の天地創造と全能の力を信じた時からアブラハムのより深い、神様との信仰の歩みとなりました。神様との人格的な交わり、霊的な交流を、信仰と呼びます。プロテスタント教会の特徴を示す「三大原理」は

― 聖書のみ・信仰のみ・恩寵のみ ― 

と言われものでした。

  • 聖書のみ:プロテスタント教会は66巻の聖書だけを正典とします。

  正典が定まった後の外典等は正典(カノン)に入れない。

  • 信仰のみ:自分の功績や律法の行為によって救われるのではなく、

  主イエスを信じる信仰によって救われる。ロマ3:21~26

  • 恩寵のみ:救いは、人間の業によるのではなく、神の恩寵(恵み)に  

よる。実は、②と③は同じ性質のものです。エペソ2:8。

Sola scriptura : 形式原理。これらはラテン語の表記。聖書のみ

Sora fide :内容原理。第三の「恩寵のみ」と同じ。主体的表現。

Sola gratia :内容原理。第二の「信仰のみ」と同じ。客観的表現。

      グラチアは、細川ガラシャのガラシャと同じ。恵み

2)マルチン・ルターの生涯

 プロテスタント(新教)教会はマルチン・ルッター(1483-1546)の宗教改革から始まりました。彼の原点は「神の義の発見」であり、それは「福音の再発見」と呼ばれました。

わたしどもの信仰の原点であるマルティン・ルッター(1483-1546)その人とその信仰について学びましょう。

マルティン・ルッターはドイツの宗教改革者です。彼の父はハンス・ルッタ-といい坑夫から身を起した坑山の所有者で、息子のマルティンにだけは最高の教育を授けたいと願い、まず、マンスフェルトのラテン語学校に入れ、続いてマグデブルクの学校、アイゼナッハの聖ゲオルク学校、エルフルト大学の文学部に入れました。この父が極めて厳格な性格で後のルッタ-の裁き主なる神のイメージはこの父から来ているとも言われています。彼は大学卒業間近に大きな経験をしました。彼の同級生ヒエロニムス・ブンツが試験中に急性肋膜炎で急死したのです。若い友人の死は彼にとって大変なショックでした。後に彼は、今の一般教養に当たる文学部を終えて、専門の法学部に入学しました。しかし、その直後、再び深刻な体験をします。雷雨の中で雷に撃たれる危険にさらされて、死に直面させられたのです。そこで彼は、「もし命を助けてくれるならば修道士になります」と誓約してしまった。嵐は無事に去って行きました。彼は約束どうり修道士になる決心をし、同年エルフルトのアウグスチヌス修道院に入りました。

当時の修道院生活は、とてもきびしいものだったようです。起床は深夜2時。そこから修道僧は祈りの時を持ち、粗末な食事と厳しい訓練とで、必死になって訓練を受けました、アウグスチヌスの修道院は特に、詩篇の朗読の祈りの時があり、毎日詩篇を50篇づつ読み、3日で150篇を読み終えたそうです。真面目なルターは、自分の内側に起こる様々は罪と格闘しながら、霊的に成長してゆきました。1507年に24歳で司祭となり、初めて礼典を司式した時などは、緊張と罪意識でふらふらしながらの御用だったようです。しかし、翌年はヴィッテンベルク大学の講師となり、初め哲学と聖書の講義をし、アウグスチヌスの研究を始めました。自分自身の罪との戦いで彼は、ギリギリの状態で、自分を保っていたようです。それでも1512年神学博士となり、 ヴィテンベルク大学神学部の教授となり、このころに有名な《塔の体験》をしました。《塔の体験》とはルッターの研究室でもあった塔の中で与えられた霊的な一大転換のことです。それは『聖書の再発見』とも『福音の再発見』『神の義の再発見』とも言われています。この体験が歴史を覆すような宗教改革へとつながって行きます。ルッターは、詩編、ロマ書、ガラテヤ書、ヘブル書と大学での講義を続けながら聖書の教えている『救い』を再発見していったのでした。学びの結論は、『人は主イエスキリストを信じる信仰によって救われる。』という信仰義認の教えでした。

 ルッターの体験した《塔の体験》とは一体どう言うことだったのでしょうか?それはそれ以後の教会の歴史のみか、人類の歴史を深いところから造りかえる『福音信仰の鍵』ともいえる重要さを持っています。結論から言えば『信仰義認の発見』だったのです。ルッターは非常に優秀な人物であり、修道院に行っても24才で大学の講義を受け持ち、27才で修道会の命を受けてローマに旅し、29才で神学博士となり、その地方の11の修道院の監督となった程の人物です。多くの修道僧に自分自身の内面を厳密に観察することを教えていたルッターにとって、自分の内に打かちがたい欲求として『自己追及』があることを見出して、深く悩みました。この自己中心の思いの中に彼は人間の原罪を見ました。彼は何とかしてこの罪から逃れようと努力を重ねましたが、断食も徹夜も彼の心を満足させ得なかった。「主よ、あなたがもし、もろもろの罪に目を止めらるるのであれば、主よ 誰が立つことが出来るでしょうか」(詩篇130篇)。このような苦悶の中で彼が嫌った言葉は『義』という言葉でした。神様の正しい裁きの基準である『神の義』こそ、彼が極度に恐れ、呪縛された言葉でした。彼を攻める神の律法のムチのようにしか理解できなかったのです。しかし、彼が詩篇の研究から始まって、ロマ書へと研究が進むにつれて彼の『神の義』の理解が深まり、彼が最初に考えていたのとは全く逆であることが分かりました。即ち、神の義とは人を裁き罪人を罪あるものとする『義』ではなく、むしろ、罪あるどうしようもない人間を『義と認めてくれる』という神の与える『恵み』であることが分かったのです。この『神の義の発見』が世界の精神界に与えた影響は実に測りがたいものです。この発見は、更にガラテヤ書、ヘブル書の研究を通して確信へと導かれました。そして、1517年10月31日万聖節(聖徒の日)の直前、ヴィッテンベルクの城教会に行き95箇条からなる貼り紙を出し、免罪符を攻撃し、宗教改革の火蓋を切ったのでした。そこには深い罪の認識と、そのような自分への神の恩寵認識がありました。まさに「聖書的福音信仰」の出発でした。  更に今から約100年前、1917年(大正6年)10月31日に「宗教改革400年記念講演会」が、神田基督教青年会館で開催されました。午後7時から、内村鑑三主催の「ルーテル宗教改革四百年紀念講演会」が開催された。会場の両側の壁には、ルーテル、メランヒトン、カルヴァン、レンブラントの肖像画が掲げられ、司会は内村鑑三、講演は村田勤「ルーテルの性格」と佐藤繁彦「内なるルーテルの研究」。その後に内村鑑三が「宗教改革の精神」と題して講演。会衆は1300~1500名。階上、階下、満堂の人だった。その時、内村鑑三の「宗教改革の精神」の講演が満堂の会衆に感銘を与えました。内容は以下のよう。「新文明、または新世界、あるいは新時代は、1517年10月31日をもってうまれた。ベツレヘムに主イエスが生まれた日を除けば、この日は、世界的に、最も大いなる一日。近代史は、1453年の東ローマ帝国の滅亡をもってでなく、1492年のコロンブスの米国大陸の発見をもってでなく、1455年のグーテンベルクの印刷機械の発明もってでなく、1517年のルーテルの、ローマ法王庁発売の免罪符(贖宥券)反対をもっては始まった。この年この日をもって、わたしが今日、信じてやまないところのプロテスタントキリスト教は始まったのである。・・」

 

【祈祷】父なる神様。宗教改革記念礼拝を感謝します。わたしどもも、この朝、先達たちに習い「聖書のみ、信仰のみ、恩寵のみ」の福音に立ちます。どうぞ導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン