説教「主が家を建てる」ー臨在なき人生は空虚であるー 詩篇127篇 都もうでの歌8 深谷春男牧師

2020年11月8日 成長感謝礼拝説教
聖書箇所:詩篇127篇
説教者:深谷春男牧師

家庭を建てあげるというのは、とても勇気のいるものだと思います。配偶者と一緒に人生行路を歩み、子どもたちを育て上げ、教育や、新しい家庭を築きながら歩めるように導く・・・・・。わたしは牧師としての仕事をしながら、結婚式の司式を何組もして参りました。若い、20代から30代の人達の結婚という門出!それはすばらしいお祝いの席ですが、また、厳粛な決断の時でもあります。家を建てる歩みの中には、試練もありますし、つまずきもあります。また病気をすることも、気力を失うような事もあります。今日は人生巡礼の詩篇15篇のちょうど真ん中の詩篇を学びたいと思います。その中心は「主を恐れることは知恵のはじめ」(箴言1:7)と言うことです。 

【今日の聖書箇所の解説】 

 詩篇127篇は都もうでの歌の8つ目の歌です。15篇ある人生巡礼の歌の中で、ちょうど真ん中の歌がこの詩篇になります。人生巡礼の核となる詩と言ってよいかと思います。この歌はソロモンの歌といわれます。詩篇の分類の中では、「知恵の詩篇」と言われるもの。聖書の中には「知恵の書」というのがあります。「箴言」「伝道の書」「雅歌」等です。それらの知恵の書物は、ソロモンが書いたと言われます。ソロモンの知恵はその基礎に教えるのは「主を恐れることは知恵のはじめ」(箴言1:7)ということです。神を畏れ、神の導きに従って、人生を歩むことです。

前半に二つ、後半に2つダビデの歌があります。

〈構造〉1ー2節 人生の基礎は、神への信仰にあり。

    3ー5節 子供たちは、神様からの賜物である。

 

【メッセージのポイント】

1)ソロモンがよんだ都もうでの歌

1 主が家を建てられるのでなければ、

建てる者の勤労はむなしい。

主が町を守られるのでなければ、

守る者のさめているのはむなしい。

2 あなたがたが早く起き、おそく休み、

辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。 (1-2節)

⇒ 主の臨在なき人生は空虚である!

 この詩は「主が家を建てられるのでなければ、建てる人の勤労はむなしい。」という句から始まります。そして「主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい」と続きます。ここには神の守りと祝福がなければ人生は家庭も都市も国家も空しいものであると歌われています。「むなしい」という言葉が3回も繰り返されています。これらのものを一言で表現するなら、「神様の臨在なくして、人生は空虚である」と言うことです。わたしたちの家庭を振り返っても、国を振り返っても「神様への恐れ(これは「信仰」という表現と同じ」なくして、すべては空しくなってしまうというのです。これは、ソロモンの書いたと言われる伝道の書1:2で「空の空、空の空、いっさいは空である」というのと同じです。

神様を礼拝することを忘れ、神様に感謝することを忘れ、悔い改めることもなく、自分の欲望のおもむくまま、傲慢に、人を傷つけ、周りの人々を憎み、憎み、憎まれて生活しているなら、人生は、動物の一生と同じになってしまう。神を畏れ、神ご自身の聖さと愛に触れ、人生に対して、自分の接する人格に対して、家庭に対して畏れを持つこと、真実な生き方を学ぶこと。この信仰なくしてすべては空しくなってしまうというのです。

 ある本を読みましたら、このようなことが書かれておりました。アメリカの大富豪ハワード・ヒューズ(1905~1976年)なる人物のことが記されていました。彼は、多才な人で、米国の実業家、映画制作者・飛行家で、「地球上の富の半分を持つ男」と呼ばれたりしていたと言われます。彼は20億ドル(2000億円―3000億円)もの財産を持っていましたが、あまり楽しく、有意義な人生ではなかったようです。特に、晩年の十年は孤独と不安のなかにドアを締め切りで、最上級のホテルのスイートルームで暮らしていましたが、淋しく死んでしまったと言われます。また、もう一人の有名な大富豪ジャン・ポール・ゲッテイ(1892~1976年)も米国の実業家、石油王として40億ドル(4000億円―5000億円)という気が遠くなるような財産を持った人物のことも書いてありました。「彼は世界最大の富を持った男」と呼ばれておりましたが、5回結婚し、皆破れてしまい、長男は彼の死ぬ1年前にアルコール中毒で死に、彼自身もさびしく死を迎えていったと記されておりました。彼のひ孫の言葉。「お金で幸せは買えない」。わたしは彼らを非難しようとしているのではありません。「神の臨在なき人生は空虚である」という聖書の言葉を語っているのです。

今日は、「成長感謝礼拝」です。わたしたちの信仰共同体、新宿西教会に与えられた、若い魂のために祝福を祈る日であります。高校三年生より年下の魂のために祈りを捧げましょう。若い魂のためにわたしたちは何よりも「主を恐れることは知恵のはじめ」という言葉を覚えたいと思います。また「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ!」とあります。幼い日に、神様への畏れを覚え、祈る習慣をつけて歩んで頂きたいと思います。魂の柔らかな、純真な時に、神様を信じて、主イエス様と共に生きて行くことを教え、共に歩んで行きたいと思います。

ルター訳のこの詩の表題は「万物は神の祝福に依存する」とあります。万物は神の祝福に依存する。まさに神の臨在なき人生は空虚なのです。

太宰治に「トカトントン」という短編があります。不思議な、そして、現代人向けの文章だと思います。軍国主義から解き放たれた戦後の26歳の男性が主人公。彼は小説家になろうと自分の軍隊生活の追憶を書きます。いよいよ、完成という秋の夕暮れ、電球を見上げた時、トカトントンと遠くから金づちの音が聞こえます。その時、すべてが空しくなってしまったというのです。その後、郵便局に起こった労働運動に首を突っ込んで、これこそ、本当に自由を求める生き方だと感動して、その運動に全力を傾けます。しかし、トカトントンという音が響くと、なにもする気が起こらなくなってしまう。人生の「むなしさ」。彼は「肉体を殺しても魂を殺す者どもを恐れるな。わたしどもを地獄の火で滅ぼす神を恐れよ」でこの小説を締めくくっています。

 

2) 主はその愛する者に、眠っている時にも、

なくてならぬものを与えられるからである。(2節d)

⇒ 主は愛するものに眠りを給う!

2節の終わりの直訳では「主はその愛する者に眠りを与え給う」という言葉です。新共同訳はそのまま訳して「主は愛する者に眠りをお与えになるのだから」とします。神の真実に支えられつつ歩む者に平安を与えられるのです。神の守りなくして休むこともできなくなってしまいます。「主は愛する者に眠りを給う!」これは素晴しい聖句です。ここでいう「愛する者」は幼いソロモンが預言者ナタンに名付けられた「主の愛するもの(エディディア)」と同じ句が使われ(サム下12:25)、それがソロモンの歌と呼ばれる端緒になったのではないかとまで言われます。主はわたしどもを赤子のように愛し、健やかな眠りを与えて疲れを回復し、その仕事を全うするために助けをお与えになると語っておられます。

東京聖書学校吉川教会は、1994年、新会堂の建築委員長は原田謙先生でしたが、建築委員会の時には、毎回、この詩篇127篇が朗読されました。でもこの詩篇は東京聖書学校や吉川教会だけではありません。わたしたちの教会も、わたしたちの家庭も、この詩篇と共に歩みたいと思います。主の臨在なく人生は空虚です!すべては神の恵みによるのである。先日、松本卓夫先生の自叙伝を読み感動しました。先生の最後の言葉は「すべては神の恵みによる。」でした。

 

3)3 見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、

胎の実は報いの賜物である。

4 壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。

5 矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。

彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

⇒ 家庭を祝福される神(3ー5節)。

  詩人は3節からは語調を変えて、家庭の祝福を歌います。「見よ、子どもたちは神から賜った嗣業。胎の実りは報いの賜物」。神様の祝福はまず、子供たちであるといいます。特に若いときに生んだ子供は、立派に成長し、勇士の手にある弓矢のようだと歌います。矢筒をこの力に満ちた若者たちで満たすのはいかに力強いことでしょう。「まされる宝、子にしかめやも」の日本の歌にもあるように次の世代を担う愛の結晶である子供たちへの思いは大きい。

かつて英国ですばらしい働きをされた救世軍のウイリアム・ブース師はこのように語りました。「わたしは8人の子宝に恵まれたけれども、皆、大変、

よい子であった。このような子供たちであるなら80人ぐらいほしかった」。師の背後には信仰の妻キャサリン・ブースが祈っていたといいます。

 関根正雄はこの箇所をこのように締めくくっています。

「・・・・捕囚後の困難な時代に神を中心としたこのような健全な生活がユダヤ民族の中にあったことが、この民族の真の力であった、というべきであろう。そしてこのことはいつの時代、いかなる民族の間にも当てはまる神からの智慧である。家庭は創造のはじめから神の置き給うた聖なる秩序だからである。」 「万物は神の祝福に依存する」。

 矢内原忠雄先生の言葉で、この詩篇の締めくくりましょう。

「家を建て、衣食を給し、子女を給う。ことごとくこれは神の恩恵。国を建て国民の生活を維持し、国民の数を増す。ことごとくこれは神の祝福。国を建てるも、その原則は一つにして二なし。即ち、神の恩恵の一語に尽きる。」

 

【祈り】 天の父よ。今日は「成長感謝礼拝」の日を感謝します。人生巡礼の歌の真ん中の詩篇127篇を読むことを得させてくださって感謝します。主よ。わたしどもの教会に与えてくださった宝であり、賜物である子どもたちに、豊かな祝福を与えてください。未来を担う大切な子どもたちです。あなたへの確かな信仰を与え、あなたの恵みと愛で健やかなる成長を与えてくださいますように。いつもあなたに祈り御言葉によってわたしたちの教会を、家庭を、地域を満たして下さい。子どもたちもわたしたち一人一人も、あなたの守りのうち導いて下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン