2020年11月29日 アドヴェント礼拝説教
聖書箇所:マタイ福音書1:1~17
説教者:深谷美歌子牧師
本日はアドベント第一主日です。教会暦では新年の始まりになります。
マタイによる福音書は、ユダヤ人向けに書かれたと言われます。「すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。」(マタイ1:22)と、神の選民として、預言者に導かれ、律法によって生きて、メシヤ(=キリスト)の到来を待ち望んできたユダヤ人に、その方が来られたと語っています。このメシヤは、ユダヤ人ばかりでなく、全人類の救い主でしたとも伝えています。この書からイエス様のご降誕の意味を教えられてまいりましょう。
「聖書の概観」
1:1節 アブラハム、ダビデの系譜に生まれた救い主。
2-6a節 アブラハムからダビデまで、14代
6bー11節ダビデからバビロン捕囚まで14代
12-16節 バビロン捕囚からイエスキリストまで、14代
17節 アブラハム以来の、14代の区切りを改めて述べる。
1)、待望のメシヤは神の国の創造者。
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。 1節
1節はこの書の表題です。 アブラハムとダビデ、この二人は、ユダヤ人にとって信仰の拠り所と成っている存在でした。
アブラハムは、神の民の信仰の父となった人です。彼を神様が「わたしの示す地に行きなさい。」と選ばれた時、神を信頼し立ち上がりました。「あなたの子孫から地を治める王が出る」と約束されました。創世記17:15
ダビデは、約束の地で、メシヤのひな型となった輝かしい王でした。
マタイによる福音書は、待ち望まれた王メシヤとして、イエスキリストは正当な流れの中に来られたお方であると伝えています。
ユダヤ人はこの系図からイエス様が確かに約束された「待ち望まれたキリスト」であると納得できたはずでした。
それと、「系図」と訳された言葉は、「創世記」Genesisとも訳され得る言葉が使われています。確かに約束のキリストであり、この方は、新しい創造によって世界を創りかえる方であるとも読めます。
そのことを現しているのが、イエス様が使命に立ち上がった時、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マル 1:15)と語られたことです。ユダヤ人の期待していたこの世の王国ではなく、「新しい神の国の創造のために来られた」というのは確かです。これが表題です。
2)、罪人を招く(救う)ために来た神。
タマル3節、 ラハブ、ルツ5節、 バテセバ6節、 マリヤ16節
系図に女性が載っています。当時は、女性は、一個の人格として認められない存在でした。が、マタイの系図には、歴史に存在した人格として記されています。しかし、この人々は、マリヤを除いて、姑と関係を持った嫁、遊女、異邦人、ダビデの姦淫の相手、でした。 神の民の歴史といいましても、ダビデですら、決して純潔ではない不義の結果を含んでいました。遊女という祝福の外にあった人も、モアブの女という異邦の民も混じっていて、罪の歴史を形造っていました。
それまで、神様の祝福からは漏れていると思われていた、これらの人々が、赦され、受け入れられ、愛し合う国がやってきた。これがアブラハムに約束された国ですとマタイによる福音書は伝えています。
ここで、著者マタイのことを見ておきましょう。9章9節にマタイが弟子となった出来事が記されています。彼は取税人でした。当時、取税人という仕事は、遊女、盗人と同等の罪人とされ、人々から毛嫌いされていました。 マタイは自分の町で中風の男が、イエス様に「あなたの罪は赦された」と宣言するのを聞いたと思われます。この時律法学者は「神のみが罪を赦す権威を持つのに、この男は神を冒涜している。」と、イエス様を人間と見て、心でつぶやきました。けれど、神であり、罪を赦す権威をもっている証拠のように、病が癒された出来事が起こりました。これもマタイは見ていたと思われます。彼は頭もよく、お金もありましたが、多くの人を苦しめ、自分も赦すことのできない罪の重荷を、取り除くことができる方を見つけました。「私がきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(9:13)「わたしに従ってきなさい」とイエス様から声をかけられた時、すぐ何もかも捨てて従ったのでした。その後、彼は自身が罪赦され、イエス様のもたらした神の国に生かされた証しを持ちながら、この福音書を記しました。
3)時至って、人間の歴史の中に神御自身が来られた。
だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。 17節
時代が14代ずつ区切られています。14は完全数7の2倍で、イエス様までの歴史が、完全であったと言っているのです。
まずは、アブラハムからダビデまで14代。これは国が最高峰まで上り詰めた時代。ダビデからバビロン捕囚まで14代。国の衰退期。バビロンからイエス様まで、14代。神の民と言われながら国もなく、希望も見えないその時に、イエスキリストがお生まれになったと言うのです。神様の導く救いの歴史は着々と進んでいたのだと。
クリスマスの夜、羊飼いたちを突然、天使たちが訪れ、語りかけられた時、その中の一人でも、今日メシヤが来られるかもしれない、と考えていたでしょうか?むしろ昔そんなことを言われていたが、ここまで落ちてしまったら王なる方が生まれて、国を復興させるなどあり得ないと絶望していたのではないでしょうか?しかし、時至って、永遠の救い主が来られたのでした。
ルカによる福音書では、イエス様の誕生の時を、「 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。ルカ2:1,2
と、歴史上の出来事が記されています。事実としてこの日、神が人間の世界に来られました。血筋としては王家でしたが、罪の歴史の血のつながりはなく、処女マリアを母とし、大工のせがれ、しかもこの時は宿屋すらなく、馬小屋に来てくださったのでした。人間の思いも及ばない神の降臨でした。
素晴らしい素性で、王宮に生まれ、優秀な教育を受けたエリートだとしたら、多くの庶民は自分とは違う存在として、近づきにくいことです。
しかし、世界の王が、このような決して美しいとは言えない系図の中に生まれてくださり、その罪の裁きを御自身が受け、十字架におかかりくださり、罪の赦しを与え、新しい神の国の命に招いてくださったのでした。神様はこのような方でした。来てくださって解りました。
心の中で、兄弟を憎んだら、殺したのと同じ、と聖なる神のレベルを示し、
病をことごとく癒し、嵐の海を静め、罪人の友となって食事されました。
今、この世界にこの恵みが受け取れる時が訪れ、続いています。
隣人を愛せず、傷つけたこんなわたしを赦して受け入れてくださる。しかも、新しい神の国の働きに招き、用いてくださる。何という恵みでしょう。
教会はこの命を頂いた、神の国です。神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。神が赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。これが神の国の掟です。教会には隔ての壁があってはなりません。サタンは神の国の拡大を恐れて、教会の中にも、恐れや、敵意、不信仰を入れようと経めぐっている。Ⅰペテロ5:8ことを、覚えましょう。
ユダヤ人とギリシャ人ほどの違いはないかもしれませんが、お互いは違いを持った存在です。一人として同じという人はいません。その価値観を超えて、受け入れあい、愛し合い、祈りあいましょう。新しい命を味わい、証し、伝えてまいりましょう。まず家族にこの命を注がせていただけますように。
今世界は、神様を信じない無神論、唯物論によって、生きている人々や国が大きな力を持っているように見えます。コロナや災害、国と国との緊張と、見えるところストレスがたまる時代です。自殺者が増えています。今こそ、イエス様の救いを必要としています。勇気を出しなさい。すでに勝利を取っておられる主がおられます。今聖霊様に依り頼んで、勝利をいただきましょう。神様につながり、生かされる人々が起こされますように。
そしてやがて、時が来て、主は再び来られると約束しておられます。目を覚ましていましょう。花婿の来るのが遅れたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
25:6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25:13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
あの羊飼いたちに突然その日が臨んだように主の日が臨むでしょう。
もし遅ければ待っておれ。それは必ず望む。滞ることはない。
ハバクク2:3
神様の時が来ることを信じ、たゆまず伝え続けましょう。 ハレルヤ!
祈り
神様、イエス様を約2020年前(正確にはずれがあるらしいですが、西暦はイエス様が来られた時から数えています)にこの世界にお送りくださり、あなたの御臨在と、あなたの聖なる方、全能なる方、愛なる方、父と子と聖霊なる方であることを知らせてくださったことを心から感謝しています。罪赦されて、いつもあなたと共に歩ませていただけることを感謝しています。
全ての人が救われて真理を悟ることを望んでおられる神様の思いが、世界の人々に悟られる日が来ますように、わたしたちを証し人としてお遣わし下さい。主の聖名によって。アーメン