説教「礼拝:神の臨在と愛と喜びの祭典」詩篇132篇ー都もうでの歌⑬ 深谷春男牧師

2021年2月14日(日)新宿西教会主日礼拝
聖書箇所:詩篇132篇
説教者:深谷春男牧師

 さる2月11日(木)は、城北アシュラムという恵みの時を持ち、池ノ上教会、更生教会、天門教会、新宿西教会の合同の霊的な集会を持ちました。コロナの最中なので、それぞれの教会を会場に集まり、パソコン駆使して、連携を取りながら、大変豊かな集会を持ちました。福音の時には、千代崎備道先生が、ヨブ記19:25節を中心に「嵐の中から語られる神」について語られ、深い導きを頂きました。そこでも語られましたが、人生の最大の出来事は、「神との出会い」です。今日は詩篇132篇を通して人生巡礼の絶頂の詩を学びます。

【詩篇132篇の概略】

 詩篇132篇は、15篇ある一連の「都もうでの歌」の中で、クライマックスに位置します。この詩篇は本来、祭の行列で使用されたもので、その内容を丁寧に探ると、祭りの最高の盛り上がりを見ることができます。大群衆が、神御自身の臨在、そしてその不思議な神様の愛、(それは選びと契約)、そして魂の内側から溢れる喜びを、心から賛美している印象深い詩篇です。

この詩篇の全体は大きく2つに分かれています。

 前半(1-10節) は信仰の先祖ダビデの神への熱い祈り。臨在を慕う姿。

 後半(11-18)はダビデの選びとシオンの選び。信仰者に対する神の祝福。

 この詩篇の主要な内容は、サムエル下7章の「ナタン預言」と深い関係にあります。この詩篇もナタン預言も「ダビデ王家の選びとシオンの選び」という主題を歌っています。サムエル記の中での「ナタン預言」は神様の歴史を導く中心主題が全部一点に集まった要(かなめ)の部分です。

即ち、神の聖所はシロという場所からエルサレムに落ち着き、イスラエル民族の王家はサウル家からダビデ家に定まり、神の箱はぺリシテに持ち去られておりましたがついにシオンの丘に帰り、ぺリシテはじめ異民族との戦争も集結しました。「神の箱」という神臨在の象徴を迎えて、イスラエル王国は今、歴史の画期的な時代を迎え、人々は大きな喜びを体験しているのです。ダビデが裸で狂ったように神の前で祈り賛美しつつシオンの丘に神の箱を迎えたようにわたしどもも心からの賛美と感謝と喜びをもって主なる神をお迎えして礼拝を捧げるのです。  

これは新約聖書風に言えば喜びに満ちたペンテコステの礼拝のできごとに比較することができます。つまり、神様は聖霊を下してわたしたちの霊の目を開き、主イエスの十字架と復活において人間世界の罪と死を砕き、永遠の勝利の世界を示してくださった。そして神の驚くべき救いの計画を明らかにしてくださった。エペソ書にあるように、神は、わたしたちクリスチャンを主イエスにあって世のはじめから選んでくださり、十字架の血潮によって罪と死の呪いを打ち砕き、神の永遠の祝福の契約をわれらに与え、聖霊による証印を押して、天国の希望に満たしてくださる。そして民は、信仰の目を開かれ、神御自身の温顔を拝して、聖臨在に満たされるのです。ハレルヤ

 

【メッセージのポイント】                    

1)3、4,5 「わたしは主のために所を捜し出し、

ヤコブの全能者のためにすまいを求め得るまでは、

わが家に入らず、わが寝台に上らず、

わが目に眠りを与えず、わがまぶたにまどろみを与えません」。

6 見よ、われらはエフラタでそれを聞き、ヤアルの野でそれを見とめた。

7 「われらはそのすまいへ行って、その足台のもとにひれ伏そう」。

8 主よ、起きて、あなたの力のはこと共に、

あなたの安息所におはいりください。(3~8節)

⇒ 礼拝:神の臨在こそ命!

 ここには神の臨在の箱を慕う、ダビデの姿が描かれます。この詩の熱狂的な魅力は、主が神の箱の上に臨在されること、その神の箱がシオンの神殿に安置されたというメッセ-ジによります。

6-8 節では「力の箱」に関して、17節では「角」について言及されています。それはイスラエルの民に与えられる力を意味しています。神御自身の臨在こそが、われら神の民の力であることを示しています。

「主の臨在こそわが救いなり」とはBFバックストン先生の愛唱句でした。神御自身の臨在するところ、この礼拝の場で、霊の目が開かれ、主の臨在を体験することこそわたしどもの力なのです。

出エジプト33:14にも同じような言葉があります。「わたしの顔が共に行く」とあります。「わが臨在汝と共に行くべし」とも訳されます。イスラエルの民がエジプトを脱出し、約束の地を目指しましたが、民は途中で不信仰に陥り、神につぶやき、ついに偶像礼拝を行い、恐ろしい破滅を経験しました。モーセは神様に、どうぞ共に行って下さいと願いました。しかし神様は怒って、「共には行かない。なぜなら、あなた方のように頑なな民と共に行くなら、わたしはあなたがたを滅ぼしてしまうから」と答えられたのです。神様の臨在を失ったらイスラエルの民は荒野で混乱して自滅するでしょう。モーセは必死で主に願います。「どうぞ共に歩んでください!」。モーセのとりなしの祈りのゆえに、神さまは答えます。「わたし自身が(=わたしの顔が)共に行く」と。

愛する兄弟姉妹!神が共におられること。これがわたしどもの命であり、力です。日々、主に祈りつつ、主の臨在と共に歩みましょう。

 

2)10 あなたのしもべダビデのために、

あなたの油そそがれた者の顔を、しりぞけないでください。

11 主はまことをもってダビデに誓われたので、それにそむくことはない。

すなわち言われた、

「わたしはあなたの身から出た子のひとりを、あなたの位につかせる。

12 もしあなたの子らがわたしの教える契約と、あかしとを守るならば、

その子らもまたとこしえにあなたの位に座するであろう」。(10~12節)

⇒ 礼拝:神の愛(選びと契約)の宣言!

ここでは、ダビデの選びが歌われています。「ダビデはあなたの僕、あなたが油注がれた人、あなたは決して彼をお見捨てになりません」(新共同訳)。

更に11節では「主はまことをもってダビデに誓われた」ことは、「それにそむくことはない」、それは「撤回されることはない」と言われます。

そして神様の「ダビデの子らの中から、王座を継ぐ者を定め」、「彼等がわたしの契約と、わたしが教える定めを守るなら、永遠に、王座につく者となる」(新共同訳)と歌われます。

 ダビデの選びと神の民の契約がここでは賛美の中心となっています。

 やがてこの「選びと契約」は主イエスを通して新約の神の民にまで及びます。

 ここには、「神の愛」が、選びと契約という形で歌われます。聖書の信仰は、「神の愛」すなわち「選びと契約」にあります。

サムエル記下7章にもダビデの祈りがあります。彼は「わたしのようなものが何故に、主に選ばれ神の民の王となったのか」。「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのだ。」(ヨハネ15:16)

岸義紘先生の名言。「大体の謎は天国に行けば分る。しかし、人生には天国に行っても分からない謎がある。その謎は、このような愚かで醜い者がキリストの花嫁と選ばれたことだ。この選びの秘儀だけは天国行っても解けない。」

 

3)13 主はシオンを選び、それをご自分のすみかにしようと望んで言われた、

14 「これはとこしえにわが安息所である。

わたしはこれを望んだゆえ、ここに住む。

15 わたしはシオンの糧食を豊かに祝福し、

食物をもってその貧しい者を飽かせる。

16 またわたしはその祭司たちに救を着せる。

その聖徒たちは声高らかに喜び呼ばわるであろう。(13~16節)

 ⇒ 礼拝:信仰者の祝福と喜び! 

 この詩篇132篇には、主の臨在、主の愛(選び、契約)、そして信仰者の祝福と喜びの世界が歌われます。主はシオンの食料を豊かに祝福し、救いの衣を着せ、喜びの叫びを高く上げさせると語ります。「祝福」については、クラウスベスターマンが創世記注解の中で、信仰の父アブラハムから始まる牧父達の祝福物語を「神の祝福によって苦難を乗りこえ、運命を切り開いてゆく」物語であり、「祝福とは生命力が拡大してゆく原理である」と説明しています。信仰は我等を、勝利に満たし、どんな苦難の中にあってもそれを乗り越え、愛と命で満たして行くのだと教えています。

 また、この詩にはあふれる喜びが満ちています。祝福された魂、神の命に満ちた魂の特徴は喜びです。信仰者はいつも「主にあって喜べ、絶えず祈れ、全てのことについて感謝せよ」というこの聖句につきるのです。ハレルヤ! 

                   

 最近よく歌います讃美歌54番の歌詞は特にすばらしい。特に、2節に

この日ひかりは  やみに照りぬ    これは創世記一章の光の創造を示し、

この日わが主は  よみがえりぬ    これは主イエスの復活の栄光を称え、

この日みたまは   世にくだりぬ   これはペンテコステの出来事を示します。

げにも栄えある  このあしたよ     日曜日になされた神様の「黄金の御業」

 

父なる神の「創造」    = その中の闇を貫く光の輝き、

子なるキリストの「和解」 =十字架と復活における福音の栄光の輝き、

聖霊なる神の「救いの完成」=ペンテコステに下された神ご自身の力の付与

が歌われています。ここには三位一体の恵みの業が栄光の輝きと共に歌われています。みごとな歌詞なので以前、調べてみましたら、詩の原作者はクリストファー・ワーズワース(1807-1885)という人で、英国詩人のウィリアム・ワーズワースの甥だそうです。彼は米国において活躍し、「近代讃美歌の父」と呼ばれる方だそうです。

「1年に52回めぐってくる春」(英国詩人コールリッジの言葉)のようなめぐりくる春、聖日を喜びの日、栄光の日として、心に刻みましょう。

 

【祈祷】天のお父様。今日は詩篇132篇、「人生巡礼の歌のクライマックス」を共に学ばせていただきました。あなたの聖なる臨在の前にある恵み、その豊かな愛(選びの不思議なる恩寵、契約の奥義の豊かさ)、深い魂の内から湧き上がる聖霊による喜びの世界。毎週の礼拝において、このような豊かな世界を体験しつつ、「礼拝という人生の最高の時間」を過ごすことができますように導いて下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン