説教「人生の最善・兄弟愛」詩篇133篇ー都もうでの歌⑭ 深谷春男牧師

2021年2月21日(日)新宿西教会主日礼拝
聖書箇所:詩篇133篇
説教者:深谷春男牧師

主にある交わりはすばらしい!

もしも、わたしどもの人生に、主にある教会の兄弟姉妹の交わりがなければ、なんと淋しく、人生の彩り、豊かな慰めと喜びとを失うことでしょうか。

 【テキストの解説】

 詩篇133篇は、詩篇の「都もうでの歌」といわれる15の詩篇のうち、後ろから2番目のものです。「都もうで」というのは新共同訳では「上りの歌」と記されており、だいたい3通りの解釈があります。

①年一回のエルサレム上京を歌った巡礼歌。

②異国バビロンの捕囚の民がエルサレムへ上る歌。

③エルサレムの神殿の婦人の庭から男性の庭への階段(15階段ある)で歌われた聖歌集。   詳細はよくわかりませんが、神様によって祝福された人生歌集とでも呼ぶべき愛唱詩篇です。

この人生巡礼の流れを見てきました。復習すると以下のようになります。

 

120篇 求道決心の歌 争いを好む異民族間に住む不幸 神の平安を求める

121篇 エルサレムへの出発の歌 巡礼の旅の安全を祈る 主は見守り給う

122篇 エルサレムに到着 その足が城壁の中に入った喜びと都の美しさ

123篇 エルサレムの礼拝堂での礼拝 神を仰ぎその憐みの御手に注目する

124篇 苦難の問題 試練を回顧 火の中水の中を通った 臨在こそ救い

125篇 不動の信仰歌 神の民を守る全能の神へのバタフの信頼を告白する

126篇 伝道の歌 過去の救い 現在の熱き祈り 将来への希望を歌う

127篇 家庭の歌  神なき人生、神なき家庭の空虚さ 信仰継承の子宝

128篇 家庭の歌  神を畏れ礼拝する家庭は豊かな祝福と充実を得る

129篇 苦難の問題 背中に受けた鞭の傷、義なる神の摂理に目覚めよ

130篇 深き淵より神を呼ぶ 人間の罪と死の深淵の希望は神の慈愛と贖い

131篇 母の胸にある幼子の如き信頼をもって、神の慈愛と贖いを待望する

132篇 エルサレム礼拝のクライマックス  臨在・選び・契約・喜悦

133篇 エルサレム礼拝・兄弟愛 神の恩寵天下る香油ヘルモンの露の如し

134篇 エルサレム礼拝の終了と帰路に就く挨拶 祭司たちへの祈祷依頼

 

 このように見るといにしえの信仰者の、人生への関心事が浮き彫りにされます。即ち、人生の主要な関心事は、「神礼拝」「人生の苦難、不条理への解決」「神の守り、慈しみ、贖い」「信仰の家庭」「神の民、兄弟愛」等・・・です。前回、詩篇132篇は、15篇ある「都もうでの歌」の中で、クライマックスに位置することを学びました。詩篇132篇が、祭りの最高の盛り上がり、そこに、神御自身の臨在、選び、契約、喜悦を、表現しておりました。

 今日取り上げる詩篇133篇は、これらの「人生巡礼の歌」の「人生巡礼のピーク」とでもいうべき、「兄弟愛の祝福と永遠の命」を美しく歌っている印象深い詩です。

 

【メッセージのポイント】

1)1 見よ、兄弟が和合して共におるのは

   いかに麗しく楽しいことであろう。

⇒ 兄弟愛は「最善」!               (1節)

 「見よ 何という善 なんという楽しさ 

兄弟たちが座っている 一緒に」(直訳)

  この詩の中心主題は「兄弟愛」が「最善」ということです。

 「見よ、何という最善なることよ!」とこの詩人は歌っています。ユダヤではこの詩は多くの人に愛され、「ヒネー・マー・トーブ」という名で呼ばれ、ダンスのできるメロディで歌われています。この「トーブ」という言葉は「善」という意味です。新共同訳では「なんという恵み」と訳されています。また同じ語が「善なる(最良なる)」油という意味で2節に使用されています。現行の訳では「かぐわしい油」と訳されています。「兄弟愛こそ、人生の最善!」という感嘆の声なのです。ユダヤのお祭りで各地からいろんな兄弟姉妹が巡礼のたびを続けてやってきました。祭りの最後の盛り上がりの夜に、この詩人は、皆が一堂に会している姿に感動して、感嘆の声を上げているのです。「ご覧なさい!なんいうすばらしいことでしょう!兄弟たちが、笑顔で一緒に座っていますよ!」

 主にある兄弟愛は、人生の最善なのです。主のお招きを受けて、共に座り、歌い、祈りあっている姿に、同じ思いを持ちました。

 しかし、もう一度、聖書をひもどきますと、イスラエルの歴史も人間の歴史も兄弟愛が、とても難しいことを語っています。旧約聖書の最初の兄弟アベルとカインは兄弟殺しをしてしまいます。双子のエサウとヤコブは祝福をめぐって争います。ヨセフと兄弟たちも恐ろしい人間の妬みや憎しみを描きながら、この「神の最善」が消えていることを指摘しています。

 

 2)2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、

    アロンのひげに流れ、

    その衣のえりにまで流れくだるようだ。

    またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。(2節、3A節)

 ⇒ 兄弟愛は神から滴り落ちる!

 この詩篇では、この人生の「最善である兄弟愛」は、「天から、すなわち神から滴り落ちる」ものなのだ、ということを歌います。

ここでは、ふたつの比喩で、天から、神様のもとからしたたる兄弟愛が語られます。

 一つは祭司アロンの頭に注がれた恵みの油が、髭に流れ、衣の衿にまで流れる様子に歌われます。また二つ目には高いヘルモン山の露が、それよりも少し低いシオンの山に流れ下る時のようだと歌われます。「滴り落ちる(ヤラド)」という語が3回も繰り返されます。これは神様の豊かな祝福の流れが、神のみもと、恵みの御座から流れ出て、わたしどもの世界にまで豊かに注がれる様を言い表わしていると理解することができます。2節には、祭司が任職の油を注がれるときに、そのかぐわしい油が頭に注がれ、髭にまで滴り落ちる姿が描かれます。2節に再び、衣の襟に垂れるアロンの髭にしたたると繰り返されます。そして3節では、ヘルモン山に落ちる露が、その前にあるシオンの山々に滴り落ちるように、神の恵みが背後にあって、わたしたち人間はようやく、真実な兄弟愛に目覚め始めるのです。 

 真の兄弟愛は人間の業ではありません。それは神に、源を持たねばなりません。人間の兄弟愛は不安定なのです。人間には自己中心という本質的な深い罪があって、人間と人間との間に問題を醸し出すのです。

 昔、ラジオ放送などでよく「やまあらしの理論」というようなことが語られました。うろ覚えですが、それはドイツの哲学者ショウペンハーウェルの言葉そうです。「やまらし」はひとりで住んでいると寒くて凍えてしまう。それで暖を求めてほかの山嵐に近づくとその体温で温かくはなるが、しばらくすると、「やまあらし」ですからとげが体中に生えている。何かの折にそのとげが相手を刺し、相手のとげが自分を刺すというのです。その痛みに耐えかねて、「やまあらし」はまた、孤独な寒い穴倉に入ってゆくというのです。ひとりでいると寒い。友といると温かい。しかし、友のとげで刺されて傷つき、血を流して、もとの孤独の巣に帰る。若い時に聞いた「やまあらしの論理」は、ああ自分のことだな…と感じておりました。特に若い時、1970年の安保闘争や、青春の恋愛や結婚のような問題、失恋やその痛手。絵描きの卵である友人との励まし合いや論争、いさかい・・・・・。まさに「やまあらし」はわたしでした。教会にきて、聖書の話を聞き、まさに創世記3章のアダムとエバ以来、人間の世界は、「全てがよかった」と言われる創世記1章の創造の世界とは別に、恐ろしい「呪いの世界」となってしまった。神との断絶をした人間は、罪と死の支配する、呪いの世界に落ちてしまったことを知らされたのです。

そして、アブラハムの子であるダビデの子、主イエスにより、特にその十字架と復活の福音により、神との和解が生じ、人と人との平和が到来したことを示され、主の御救いの中へと入れられたのです。ハレルヤ

人間と人間の歴史は決して簡単ではありません。それは恐ろしい罪と死の支配の歴史です。でもその呪われたような世界に主イエス様がきてくださり、祝福の世界が完成したのです。神の恵みは天からしたたりおちたのです。

 

3)これは主がかしこに祝福を命じ、

  とこしえに命を与えられたからである。(3節c)

⇒ 主にある兄弟愛こそ、祝福と永遠の命!            

 さて、詩人は最後に、主が愛し合う神の民に、豊かな祝福を命じられ、永遠の命を与えられたと言っています。愛し合うことは命に生きることなのです。

 使徒ヨハネはその手紙の中で繰り返し「神は愛である」と語ります。そしてこの愛のあるところには命がある、神の愛は神の永遠の命へとつながっていると強調しています。また、愛さないものは死のうちに留まっているのであり、兄弟を憎むものは人殺しなのだとまで言います。

 しかし、今や、呪いの中にあった人間の世界に、祝福がやってきたのです。主の十字架の許しと愛のゆえに共にいる恵みを受けているのです。主にあって「兄弟愛」に生きましょう!「最善の道」を共に歩み続けましょう。祝福ととこしえの命に生きましょう。それは神からの愛を受け、神への愛と、兄弟愛に生きる人生なのです。  ハレルヤ!

 

【祈り】

 天の父なる御神。祝福ととこしえの命に生きる道を感謝します。天からしたたる恵み、兄弟愛の交わりの中へと招いてくださいました。兄弟愛は人生巡礼における最善のプレゼントです。しかし、人間の破れの現実を深く思わされます。天地の創造以来、創造主との関係が崩れ、その結果、人間同士の交わりも崩れてしまいました。天からの御介入によって、わたしどもの罪が赦され神の子とせられ、回復の業が始まりました。どうぞ、あなたの愛を受け、あなたを愛し、兄弟姉妹を愛する祝福と永遠の命の中へと導いてください。新宿西教会を祝し、わたしどもの教会に、豊かな祝福、豊かな命、天来の聖霊の愛を注いでください。真の兄弟愛の源、主イエスの御名によって祈ります。アーメン