説教「神からの天使が」使徒行伝5:17~26ー命のことばを漏れなく語るためにー 深谷美歌子牧師

2021年2月28日(日)新宿西教会主日礼拝
聖書箇所:使徒行伝6:17~26
説教者:深谷美歌子牧師

 天使にあったことがありますか?赤羽で、ある方の洗礼式のとき、参列していた姉妹が、受洗した姉妹の頭上に天使がクルクル回っていた。と言いました。見たのはその方だけでした。みんな「いいな―見れて」とうらやましがったのでした。今日の聖書箇所には、捕えられた使徒たちに、天使が送られて、牢屋から連れ出されたと記されています。神様の介入があった出来事です。ここから学びましょう。 

【聖書箇所の概説】

前回12-16節 使徒たちによって一人残らず癒された事を見ました。

17-18節 大祭司たちが、嫉妬し、使徒たちを捕らえ、留置所に入れた。

19―22a節 天使が連れ出し、命の言葉を語ることを命じ、そうした。

22b-26節 議会が招集されたが獄は空で、宮で教えていた使徒達を連行したが、民数を恐れて手荒なことはしなかった。  

【メッセージのポイント】

1)素直な心で受け取りましょう。

 17 そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、18 使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。              17,18節

 前回の個所では、連れてこられた人々が、使徒達によって、一人残らず癒されたという出来事を見ました。肉体の癒しも伴ったと思いますが、主を信じて死に至る病、罪の赦しの永遠の命を頂き、仲間に加わりました。

 これを見ていた、大祭司とその仲間の者、そして、サドカイ派の人たちが嫉妬の念に満たされて立ちあがり、使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れたというのが本日の個所です。

 サドカイ派の人々は、いつもはパリサイ派などとは協力的ではなかったのですが、使徒達が、イエス様の復活を宣べ伝えていたので、彼らは、「復活はない」と主張している立場から、一緒になって使徒たちを捕えたと思われます。

 動機は嫉妬です。嫉妬の意味を調べました。

・「他人が自分より恵まれていたり、優れていることに対して、うらやみ、ねたむこと。

・自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと、とありました。

民衆の指導者として権威をふるってきたのに、民衆が使徒たちに付いていくことが赦せなかったのです。

 本当に良い在り方としては、弟子たちの証言の「主はよみがえられた」という言葉を聞き、そして、「今、聖霊が来てくださって、この命を頂いた」という証言とともに、イエス様の名によって、足のなえた人が癒されたことをはじめ、弟子たちの大胆な話す姿を見た時も、2人が無学なただの人だったので驚いたのでした。その後も、信じた人々が、皆癒されたのを見ていたのです。復活の現場にいなかったとしても、この一連の出来事は見てきたのでした。ですから、素直にこの出来事を見たら、弟子たちの言っていることが本当のことだと、認められたはずでした。それを認め、イエス様を信じたら、彼らも「一人残らず癒された」中にはいれたはずでした。

 しかしこのことができなかったのは、1つは、彼らがイエス様を十字架に附けたことを悔い改めることができなかったのでした。

もう1つは、そうすることは、民衆から受けてきた尊敬、自分たちの権威を失うことでした。

 これらの理由でできませんでした。26節には「民衆に石で撃ち殺されるのを恐れて、手荒なことはしなかった」とあります。彼らの生きている世界は、見えるところの世界でした。ある意味で、権威がありましたが、恐れに捕らわれた生き方でもありました。

 この生き方は、現代もほとんどの人々が生きている生き方です。自分のテリトリーを守ることを願い、プライドが傷つくことを恐れています。

 クリスチャン新聞に、ある講演の記事が載っていました。「心の傷がない人は一人もいない」と、ある方の言葉を紹介し、人から傷つけられたものも、自分を卑下し、傷つけている思いで生きている。キリストがそのすべての傷を受けて、わたしたちを癒してくださると伝えていました。

 もし、復活のイエス様に来て、赦され、癒されて、永遠の命をいただいたなら、彼らも「一人残らず癒された」中にはいれたはずでした。

 素直にイエス様の懐に飛び込んでまいりましょう。今は恵みの時です。

 

2)夜中に主の天使が牢の戸を開ける

 ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して  19節

 一方の弟子たちはどうなったでしょう。今回は使徒全員が捕えられたようです。彼らが何かしたとは書いてありませんが、夜中に、主の天使が牢の戸を開け、彼らを連れ出したのでした。

 弟子たちは捕らわれたのですが、何も動揺している様子は、見られません。彼らも、かつては、主のためならば命も捨てます。と思っていたにも関わらず、いざ、主が捕えられ、裁判にかけられ、十字架に附けられた時、雲の子を散らすように、逃げた者たちでした。ペテロなど「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言う」と言われた通りになって、心の傷がうずいていた者でした。その彼らに復活のイエス様が現れ、「わたしを愛するか」と赦しの声をかけられ、「わたしはすべての権能を授かった。」「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。5 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」ヨハネ1:4,5  ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。使徒1:8 との御言葉通り、彼らは聖霊に満たされ、癒されて、恐れから解放されていました。

 23日から、日本ケズイックコンベンションが、リモートで行われました。ロジャー・ウィルモア先生が「聖霊」についてのバイブルリーデイングで、「聖霊を受けることは、命令です」と語られました。確かにヨハネ20:22で、そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ・・・」と、復活のイエス様が、聖霊を受けよと命じられています。

使徒たちは、赦され、聖霊を受けて、癒されていました。その彼らに、神の目が注がれていて、要する助けが送られたのでした。

最初に、天使を見たことがありますか?と尋ねましたが、私も見たことはありません。でも、今回このところを学んでいて、振り返ってみました。

 去年、栄子さんと池田さんを訪問した時、階段を、たたた、と降りていて、足がつまずき、飛び上がったのです。後ろから来ていた栄子さんが「あっもう救急車だ。」と思ったそうです。が、なぜか足が少し広くなっていた階段にトンと降り立ったのでした。天使が守ってくれたのかな?と思いました。世界の片隅で生きている小さな私を、神様は共にいて必要な助けを送られることを思いました。(注意深く生活しなければいけないのは勿論ですが)神様の命の中を喜んで、感謝して生きましょう!

 

)命の言葉を漏れなく語りなさい

「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。21 彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。     20,21節

 今回特に解ったのは、私達は人を生かすために、生かされているということです。弟子たちは獄から連れ出されましたが、天使が言ったのは「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」でした。そして彼らはそのようにしました。

 朝早くから聞く人がいたのか?という疑問に、そこで信徒の皆さんが、捕えられた使徒たちのために祈っていたに違いない、と推察されている方があります。確かに、そこは救われた人々が集会していた場所ですから、それはあったかもしれません。

 その場所で、「命の言葉」を伝えました。まだ信じて間もない兄弟姉妹に。その周りにはまだ福音を知らない人々も集まって来たかもしれません。

 本当に人を生かすのは、命のみ言葉です。解放されたら、使徒たちは、この世界の常識では、逃げるのではないでしょうか?彼らは一時を惜しんで、み言葉を伝えました。人が本当に生かされる言葉をです。

 このことは、現代に生きている私達にとっても、同じです。それぞれしたいこともあるでしょう。それは開かれたら進んで行かれたら良いと思います。しかし、わたしたちが持っているもので、一番素晴らしいものは、永遠の命です。聖霊に満たされ、癒されつつ、この命の言葉を伝えて生きましょう。

 コロナで、教会の働きが制限されました。最後まで残ったのは、礼拝だった、と言った方がありました。礼拝で神様に出会い、真理の御言葉で生かされ続けましょう。コロナで教会に来れない時こそ、御言葉だけが頼りです。

毎日、御言葉を頂きましょう。早天祈祷会のラインで、毎朝生かされ、心を合わせて祈っていますが、力です。この命の御言葉を、愛する家族や、友人に伝えましょう。時が良くても悪くても。→岡田照子先生の証し。

 今も、伝道すると、迫害される国があります。伝道していたら、捕まえられて、25日間拘束され、解放された当日、84歳のお母さんとまた伝道に出て行って、そしてまた拘束されて、お母さんはその日23時に解放されたけれど、彼は15日間とどめられたというのです。私自身、えつ?と思いました。でも今回ここを学んでいて、それは自分が生かされて、伝えることができる今という時を惜しんで、伝える方が今もあったのだとわかりました。

【祈り】 父なる神様、今日は、外からの迫害、内側の傷も、全てイエス様に行くなら、全き癒しと、解放がいただけることを見ました。この世の栄誉を求めて、永遠の癒しを見失うことがありませんように。私達も毎日の生活の中で、聖霊様から来る助けを証しさせて下さい。この命の言葉を伝える者としてください。    主の聖名によって祈ります。アーメン。