説教「死者の中からの復活」マタイ28:1~10 深谷牧師

2021年4月4日(日)イースター礼拝
聖書箇所:マタイ28:1~10
説教者:深谷春男牧師

イースター・おめでとうございます!

 聖書は創世記3章のはじめから、人間の悩みの源は「罪と死」にあると語ります。アダムとエバの禁断の実を食べて、神と断絶し、おそろしい不信と死の世界を来たらせてしまいました。3章は神と人との断絶、4章は人と人との断絶、5章は死の到来です。ここからすべての悲惨は来ました。イースターのメッセージは、救い主、主イエスは十字架にかかり、人間の罪を身代わりに負ってくださり、死を打ち砕いて復活された。主イエスキリストの十字架と復活を信じ受け入れる者は救いを得るのです。

 キリスト教の象徴は十字架です。しかも、それは、主イエスがかかっておられるままの十字架ではなく、主イエスがそこから降ろされ、葬られ、復活された、エンプティ・クロス、「主イエスが復活されたあとの、空となった十字架」が、まさにその象徴なのです。

 イースターは人間の一番深い要請である、罪と死の解決メッセージです。それこそ、わたしどもにとって「決定的な喜びのメッセージ」なのです。

 【 今日の聖書の概略 】

 マタイ福音書28章は、1節の「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に」というくだりから始まっています。安息日はユダヤでは金曜日の日没から土曜日の日没までを言います。しかし、今、キリストの復活の出来事によって、「週の初めの日」(=日曜日)の礼拝が始まることを示しています。

1節      週の初めの日(日曜日)の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行く。

2-4節  大きな地震。天使が天から降る。石をわきへ転がし、その上に座った。 番兵は恐れ、震える。

5-7節  天使の婦人たちへのお告げ。「恐れるな。主は復活なさった。弟子たちに告げよ。『主は復活され、ガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」天使が「確かに伝えましたよ」と念を押す。

8-10節 婦人たちは、弟子たちに知らせるために走って行く。すると、イエスが現れ婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏す。主イエスの言葉「ガリラヤで会おう」。

 

【メッセージのポイント】

1)、1 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。2 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。            (1,2節)

 ⇒ 2回起こった地震! 天地をゆるがす神の震動、十字架と復活。

 今朝、わたしどもに語られる第1のメッセージは「地震は2回起こった」ということです。2節を読みますと、「大きな地震」が起こったとあります。そして、主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったと記されています。ここでは地震が2回記されます。マタイは先に十字架の箇所で(27:51)地震を語りましたが、ここで再び、地震について語ります。十字架と復活のできごとの箇所で、それぞれ地震があったことを告げます。しかし、これは大変、象徴的な表現ではないかと思います。はじめに語りましたように、人間の問題の根本、罪と死が、主イエスの十字架と復活において、解決してゆく姿を教えてくれるように感じるからです。

 天使の出現はわたしたちにこのように告げます。

 マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行きました。彼女たちは主イエスの十字架の出来事で、悲しみと失意の中にあったと思います。彼女たちは香油を塗ろうとして出かけました。ところが、彼女たちが墓についたころ、地震が起こったのです。この世の動くことのないと思われた地上世界が天からの衝撃で揺れ動いたのです。マタイは人間や被造物の世界を越えた、全能者の介入を語りたかったのでしょう。主の天使が天から降り、近寄り、石をわきに転がし、その石の上に座った。天から、全能の神から使命と力を受けた天使にとって、墓の穴をふさぐ大石をわきに転がすこともなんでもないことだったのでしょう。そして、不動の死の現実を表現するかのようなこの大石の上に、どんと座ったというのです。これは何ということでしょうか?悪魔のとげのような絶望的で冷酷な、死の現実を、やすやすとまたいでしまう、神の恵みの現実を、天使は示したのでしょう。しかもその姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった、と天使の清さと輝きを語っています。勝ち誇リ、威張りくさっていたあのローマの番兵すらも、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったと記されます。

 神ご自身の介入による新しい夜明けが象徴されています!

 1節の「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に」という箇所も見ておきましょう。ここも、非常に大切なことをわたしどもに告げています。この復活の朝の主イエスの顕現を機に、「週の初めの日」を、主イエスを礼拝する日と定めてゆきます。使徒行伝20:7にも、初代のクリスチャンたちが週の初めの日を礼拝の日として集まったことを示しています。「週の初めの日」とは日曜日のことです。全能の神は、モーセの律法遵守による救いから、主イエスの十字架と復活による救いへの信仰へと救済の方策を変換されました。それゆえ、土曜日の安息日から、日曜日の復活の日へと礼拝の日が自然に移っていったのです。神様は天地創造の時と同じように、大きな業をなされました。その独り子による世界の刷新。十字架と復活による救いです。そしてもう一つ聖霊の降臨がこの「週の初めの日」になされたのです。

 

2)5 この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜している・・・ (5節)

10 そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。・・・(10節)

  ⇒  2回語られる慰め「恐れるな!」 

  復活の朝、わたしどもに語られる第2のメッセージは「恐れるな!」ということです。5節では、復活という出来事に慌てふためく人間に対して「恐れるな」と天使が語ります。そして10節では、復活の主イエスご自身が語っています。人間は、多くの限界を持っており、罪意識を持っています。

 それゆえ、神のみ前に立つときに、わたしどもは恐れとおののきを持つのです。ここには更に番兵達が「恐れ」(4節)、婦人たちも「恐れながら」(8節)墓から去ったと記されます。人間の世界はさまざまな「恐れ」で満ちています。そして、恐れの一番源泉は、創造主なる神様との断絶です。いまやわたしどもは主イエスの十字架の出来事によって、神と和解し、全ての被造物と和解する道を発見したのです。それは、和解と平安の道です。それゆえ、恐れるな!と、主は語られたのです。

 聖書の中にはこの「恐れるな!」というメッセージは実に多い。クリスマスにも、イースターにも、主は語られました。ある方が数えたら、旧新約で365回あったというのです。つまり、一年中、毎日、わたしたちは主イエスの「恐れるな!」のメッセージを受けて、人生にチャレンジしてゆくのです。

 

3)7 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。(7節) 

  ⇒  2回の宣言「主は、復活された!」  = 確かに伝えましたよ!

 イースターの第3のメッセージは「主が復活なさった」ということです。それはここで2度繰り返される。

・主は「かねて言われていたとおり」よみがえられた(6節)、

・「イエスは死人の中から」よみがえられた(7節)。

 これはなんという驚きに満ちたメッセージでしょうか?主イエスはローマの暴力により、絶望的なあの十字架において殺害されました。世界の暴力、

悪の力には勝てないと思っていたわたしどもに、今日は素晴らしい福音が語られるのです。主イエスは十字架によって罪を滅ぼし、復活によって死を滅ぼされたのです。人生、死が終わりではない!天使は言います。「皆さん、確かに伝えましたよ!忘れたらあなたの責任ですからね。忘れないで下さいね!!」。メールの返事のように「重要案件、確実受信しました!ご安心を」とはっきり答えしましょう。

 死に勝利した先輩たちをいつも覚えましょう。田原勝太郎兄、西田正兄、三室泰平兄、藤井武先生、高山松枝先生・・・。数えきれません。ハレルヤ

 

4)10 そのとき、イエスは彼らに言われた。「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

2回の約束「ガリラヤに行け。そこで会おう」       (10節)

 この約束も2回、繰り返されます(7節、10節)。どうして、主イエスはこの「ガリラヤ」にこだわるのでしょうか?多くの学者は、ガリラヤこそ、弟子達が主イエスに会った神聖な場所であり、御業の原点であったからであろうと解説しています。主イエスを裏切り、御前から逃げた弟子達、多くの傷を受けた魂が、復活する場所はまさに、ガリラヤの海辺、緑の深い、野の花の咲き乱れるガリラヤがもっともふさわしいのでしょう。復活の朝、失意の中にいた弟子達へのメッセージは「ガリラヤに行け。そこでお目にかかれる」という言葉でした。今朝、わたしどもも、主イエスと出会った「初めの愛」に立ち返り、恐れから解放されて、復活の主と共に勝利の生涯を歩み通しましょう!

 そのガリラヤで「大宣教命令」を受けて、世界宣教が始まるのです。

 今日は特に礼拝の中で転入会式を行い、3人の姉妹方を、教会員としてお迎えします。本江園子姉、岩谷有希姉、本江咲紀姉の3人です。皆さん、日本基督教団の東京聖書学校吉川教会の教会員でしたが、お母様の園子姉が川口にお住い、岩谷(いわたに)有希姉、咲紀姉が東京都に越してこられ、岩谷有希姉のお嬢ちゃんたち、瑠花ちゃんと紫乃ちゃんの信仰継承という課題を理解して、母教会が3月28日臨時役員会を開いて教会籍を送って下さいました。感謝します。さあ、新しい人生への出発です。主イエスは生きておられるハレルヤ

 

【 祈り 】 父なる御神。イースター礼拝の朝を感謝します。人間の世界を暗くしている罪と死の支配を砕くためにあなたは来られ、主イエスご自身の十字架と復活によって、罪と死の呪いを取り除いてくださいました。人間の罪と死の涙の谷を越えて、今、新しい復活の命の道を感謝します!どうかわたしたちの人生を聖霊の御助けによって、すべての恐れを取り除き、復活の命に歩ませてください。いつもあなたの御顔を仰ぎ、あなたの愛を伝える証人として用いてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン