説教「モーセの母ヨケベデ」出エジプト記2:1~10 深谷春男牧師

2021年5月9日(日)母の日主日礼拝
聖書箇所:出エジプト記2:1~10
説教者:深谷春男牧師

 母の日と聞くとわたしは「揺り籠を動かす手が世界を動かす」という諺を思い出します。世界は偉大な人物のヴィジョンに大きく影響されながら変わって行きます。しかし、そのリーダーたちや社会を深いところで形作るのは母の祈りなのだという意味です。母親の愛と祈りは世界の歴史を変えるのです。

 5月第二日曜日は、母の日礼拝として守ります。神様の愛にいちばん近いと言われる母親の愛情に満ちた姿と共に、「ゆりかごを動かす手が世界を動かす」という言葉を思い起こしましょう。 

【テキストの概略】 

 今日の聖書箇所は、イスラエル民族の大変な苦しみの時代の描写です。彼らはエジプトで奴隷とされ、そのユダヤ人勢力が拡大することを恐れたエジプトのパロ王は、イスラエル民族の男の子の赤ちゃんは、皆、ナイル川に投げ捨てよ、との命令を下しました。何という恐ろしい命令、また悲しい時代のできごとでしょう。6章を読みますと、モーセはレビ族の家系で、お父さんはアムラム、お母さんはヨケベデという方でした。ヨケベデというお母さんの名前は日本語にはなじみのない発音ですが、「ヨ・ケベド」という意味で、ヨはヤハウェ、ケベデは栄光(カーボード)という意味で、「主の栄光」という名前です。日本語なら、「栄子」さんとか「光子」さんというところでしょうか。信仰深い両親から頂いた名前だったと想像できます。しかし、彼らは生まれてきた玉のような赤ちゃんを、ナイル川に捨てねばなりませんでした。

2:1-10 モーセの誕生物語。ナイル川に捨てられたのを皇女が拾う。

2:11-15 成人したモーセはエジプト人を撃ち、ミデアンの地に逃げる。

2:16-22 ミデアンに逃れたモーセは祭司の娘と結婚する。

 

【メッセージのポイント】

1)、1 さて、レビの家のひとりの人が行ってレビの娘をめとった。2 女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。                             (1,2節)

⇒ モーセの母ヨケベデ。(悲しみの歴史)

 モーセの時代は厳しい苦難の時代でした。エジプトの奴隷となったイスラエルの民はファラオの命令によって生まれてきた男の子はすべてナイル川に投げ捨てねばならなりませんでした。レビの家に生まれたモーセは殺される運命にありました。両親は赤ちゃんが殺されることに堪えられず隠していたが、ついに川に流すことになりました。姉のミリアムが籠の流れるのを見ていると何とパロの娘がモーセを引き上げ、育ててくれることになったのでした。しかも母ヨケベデに乳母として養育まで任されることになったのです。しかしこの時から母ヨケベデの真の戦いが始まったと言ってもいいでしょう。

 わたしどもの生涯には、いろんな問題課題が満ちています。ある人には生まれながらさまざまな問題を抱えている場合があります。また、あの出来事がなかったらよかったのに、と思われるような悲しい出来事があるものです。

ある時、カウンセリングの学びをしてきた兄弟が、作家の三浦綾子さんの言葉を引いてこのようなことを語られました。

「わたしたちの生涯にはいろんな悲しみや試練を経験してゆきます。わたしは病気の時に、病気がなかったらいいのに、と思っていました。でも今は、わたしにとって、病気や苦しみも宝物のように感じます」。

三浦綾子さんの愛唱句は詩篇119:71です。

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。

これによってわたしはあなたのおきてを、学ぶことができました。」

 わたしたちの生涯には、悲しみの歴史としか呼びようのないこの世の不条理があるのです。でも、それを嘆きそれを恨みそれを悔しがっているだけでは何も始まりません。神の恵みの計画、摂理の恩寵に目を開いて頂きましょう。

 

2)、7 そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」。8 パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。       (7-8節)

⇒ ヨケベデの祈り(祈りは歴史の歯車を動かす)

 モーセの母のヨケベデは何の知恵があるわけではありません。高等教育を受けたわけではありません。彼女にできることは祈りのみでした。彼女は学問はありませんでしたが、実に全能者に祈ることができたのです。ある方はヨケベデの賢さは「祈り」を知っていたことにあると言っています。すなわちヨケベデは「おっぱいに祈りを溶かして飲ませたのです」。昔から「三つ子の魂百まで」と言われますが、幼児に受ける教育はその子の将来を決めてしまうのです。ヨケベデは神に祈り、切なる信仰をもってわが子が苦難の民に救いをもたらす器となるようにと祈ったことでしょう。    

 わたしの関係します神学校、東京聖書学校の入り口には、石に掘り込まれた原登先生の書があります。「主を恐れることは知識の初めである」と記されています。神を恐れ、神のみ前に祈り、神と共に生きること、これが人生の初めであり、終わりです。ある保育園に行きましたら、「神を畏れることを忘れた教育は、賢い悪魔を作る」と記してありました。  モーセがある程度の年令に達したときにはエジプトの宮殿に送らなければならなかったし、そこでは王としての教育や厳しい訓練、また精神的な支柱としての宗教教育もなされたでしょう。しかし、モーセは、ヘブル書11章にしるされているように、

「24 信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、25 罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、26 キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。」(24~26節)。

 へブル書はモーセの信仰を通して聖書信仰の神髄を教えています。ハレルヤ

 

3)、10 その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。  (10節)

⇒ヨケベデの献身(最愛のものを神にささげよ)

 ヨケベデはついに息子を育て上げ、王女のもとに連れて行きました。彼女にとって、自分の息子を手渡すのは、大きな悲しみであったことでしょう。また、不安や恐れもあったに違いありません。しかし、彼女は歴史を導く神の全能のみ手に、わが子をゆだねました。彼はモーセと名づけられ立派に成長してゆきました。

 母親の愛はこの世で一番神の愛に近いと言われます。

 神様は人間を創造されるのにお母さんから人間が生まれるように計画されました。お母さんのお腹から全ての人は生まれるのです。お母さんのおなかの中で10ヶ月、無条件の愛を受けて、人はこの世に出てくるのです。

 息子が保育園に行っている時だったでしょうか。「子犬が産まれるよ」と言う絵本を読んだことがありました。その絵本には、犬の赤ちゃんがお母さんの胎盤に守られて出てくる絵が生々しく描いてありまして、何となくどきどきするような絵だったのですが、とても印象深いものがありました。ああ、そうか、子犬も人間も、お母さんの胎盤と言う袋に守られつつこの世に出てくるんだ。だから、母親を「お袋」って言うんだ!と妙に納得してしまいました。

 岸義紘先生の本の中に、息子さんの反抗期のころの話が載っていました。「お前が、もしも事故にあって血液を全部交換しなければならなかったら死ぬと言われたら、お父さんやお母さんは一瞬のためらいもなく、血液を全部、お前にあげるよ」。反抗期の息子は、横を向きながら、目に涙をためて「親の愛ってすげーなー!」とつぶやいたといいます。

 また、韓国の牧師の説教は忘れる事ができません。可愛い雛がとんびにさらわれたときに、鶏のお母さんは300メートルも飛び上がってとんびから雛を取り返したというのです。韓国の鶏はすごい!キムチパワーかと思った。しかし、この話を聖会で聞いたときに、深い感動がありました。愛は奇蹟を生むのです。皆さん、皆さんの愛する息子さん、娘さんは今どこにいますか?迷子のメーコのように暗い森の中にさまよっている子はいませんか?皆さんのお母さんやお父さんは救われていますか?自分の息子が、自分の娘が、悪魔にさらわれて餌食にされようとしているときに、わたしたちはのほほんとはしておれません。主の前に来て祈り、自分の罪を悔い改め、家族の救いのために祈りましょう。お母さんの愛と祈り。それは悲しみの歴史を栄光の歴史に変えるのです。

 お母さんの祈りと愛と献身が、地上の家庭を天国のようにするのです。

 

 母の日の由来。

 母の日の由来は次のようです。

この母の日はアメリカ・マサチューセッツ州のウエブスターのクララ・ジャービスの記念会から始まりました。彼女はサンデースクールの教師として26年間、熱心に奉仕しました。彼女が亡くなると、彼女の一周年記念の日に娘のアンナは母の大好きだったカーネーションで会場を飾りました。彼女の母の愛と祈りに感謝する姿に感動した、クリスチャン実業家ジョン・ワナメーカー氏(郵政大臣の時もサンデースクール校長)が自分のデパートで母の日を展開したことから、母の日は全世界に広まったのです。

 

 聖書の母親の幻は、「祈る母」です。それは「悲しみの歴史のただ中の母」であり、「その悲しみのただなかで祈る母」なのです。そして、「信仰を持って、自分の最愛の子供を主にささげて行く献身の姿」なのです。母親の祈りと涙は、人生で最も尊い愛と信仰の結晶体なのです。実に「ゆりかごを動かす祈りの手が、世界を動かす」のです。ハレルヤ。

 

【 祈り 】 天のお父様。今日は母の日で「モーセのお母さん、ヨケベデの生涯」について学びました。お母さんを与えてくださったことに感謝します。「悲しみの歴史のただ中」にあっても、「試練のただ中で祈る」者とならせてください。そして、「信仰を持って主にささげて行く献身の歩み」を全うさせてください。人間の罪と死の現実のただ中で苦しむわたしどものために、霊の目を開き、主イエス様の十字架と復活を通して、救いを成就されたあなたを知ることができますように。「善かつ忠なる僕、良くやった。わが愛する花嫁よ!」と言われますように。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン!