ペンテコステ礼拝説教「神の聖霊を悲しませてはならない」エペソ人への手紙4:30~32 深谷春男牧師

2021年5月23日(日)ペンテコステ礼拝
聖書箇所:エペソ人への手紙 4:30~32
説教者:深谷春男牧師

 教会の暦で大きな祭りは3つあります。クリスマス、イースター、そしてペンテコステです。ペンテコステはギリシャ語で「50」という意味です。これはユダヤの大きな祭り、『過越し祭』から数えて50日目の祭です。この日は出エジプトから50日目にシナイ山で十戒を授かった記念の日としても祝われておりました。そのような意味では、シナイ山での律法、石に書いた戒めを越えた、わたしどもの心に記される「新しい愛の律法」が与えられた記念の日ということになります。

さあ、今日は「聖霊なる神様」について、ご一緒に学びましょう。 

【メッセージのポイント】

1)1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒行伝1:1~4)

⇒ 聖霊の降臨の出来事!       

  それは120名の弟子達が心を一つにし、10日にわたる祈り会をした時から始まりました。10日目に『聖霊なる神様』が弟子達に臨み弟子達はまったく変えられてしまいました。

 「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こって」(2節) とあります。「天から」という言葉は象徴的です。聖霊なる神様が臨まれる時、人は天の世界が開けるのを経験する。この世がすべてであるかのように思い、あくせくとして、悩んだり、妬んだり、憎んだりの人生が、一変して、主イエスと共に歩む「天国の生涯」が始まるのです。「霊的な天が開かれる経験」です。聖霊の働きの第1はわたしどもの霊的な部分に「天の世界が開けること」です。それは聖書の世界、神の創造と歴史支配についての霊の目が開かれ、聖書の中心的なメッセージである、主イエスの十字架の意味が、はっきりとわかるということであり、自分の罪について良く理解でき、神の贖いの愛についてよくわかることです。神の救いの業は、人間の理解を超えている。それで「誰でも、聖霊によらなければ、イエスは主なりと言う事はできない」(Ⅰコリント12:3)のであり、「そのお方(=聖霊)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」(ヨハネ16:8)のです。

 

2)19 あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。 (マタイ28:19,20)

⇒ 聖霊は三位一体の神である。

 聖霊なる神を知るということは、三位一体ということを理解しなければ、正しく知ることはできません。人間の知力では、神様について知るということには、いろいろな限界があります。

 教会の歴史の中では、「三つにして一つなる神」への信仰ということが、語られております。聖書の中でも、ここに記したマタイ28章19節で、大宣教命令の中でも、洗礼は「父、子、聖霊の名によって施せ」と語られます。また、エペソ1:3~14では、パウロは神への頌栄の中で、「父なる神の創造、子なる神の和解、聖霊なる神の救い完成」という恵みの内に神様に感謝をささげています。 

 教会の歴史の中では、初代教会時代から、「使徒信条」が告白され、わたしどもは今朝も告白しましたが、これは、父なる神、子なる神、聖霊なる神への三位一体の告白が基礎になっております。日本基督教団の信仰告白も、「三位一体」への告白がなされます。父なる神は上なる神、子なる神は共なる神、聖霊なる神は内なる神として、わたしどもの全存在を愛と恵みに満たしてくださいます。

 

3)、8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。(使徒行伝1:8)

⇒ 聖霊はキリストの証人となる力を与えてくださる!

 ここで言われているのは、福音宣教の業は聖霊の力によると言うのです。それも、「エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、さらに地の果てまで」という風に地域が述べられています。最初はエルサレム。これは弟子たちの住んでいた首都、中心地です。そしてユダヤ地方。そしてさらにサマリヤ。これは北方に広がる遠い地域。最後は地の果てまでと、世界中が福音で満たされてゆくと語られます。これは新宿西教会で言えば、「福音は、新宿の地で語られ、東京で、関東、本州、日本全土で、更に全世界に向けて、キリストの証し人として遣わされてゆく」と言うことになります。

 またそれは、「あなたの身近な両親や子供達、兄弟姉妹、身近なものたちに愛と救いの最高のものを証しし伝えなさい。そして更に、おじいちゃんおばあちゃん、孫や曾孫、甥や姪や会社の同僚、学校の同級生、身近な者たちに福音を伝えなさい。」。「あなたも家族も救われる」。

 

4)16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。(ヨハネ福音書14:16~18)

⇒ 助け主なる聖霊!偉大なカウンセラー。

 かつて赤坂教会の井上金子牧師から聞いたお証し。あるおじいさんがどうしても信仰がわからない。その内に危篤状態になり、クリスチャンの娘もついにサジを投げ「おじいちゃんは、聖霊によらなくちゃわからないよ!」と突っ張ねた。ところがこのおじいちゃんは危篤状態になった時にず-っと「聖霊やらという方をお与え下さい、聖霊やらという方をお与え下さい」と祈り続けた。ある夜、深く眠った時に夢を見た。天国の夢。碧玉の城壁、純金の町、水晶のような川・・彼は教会に2回しか行ったことのがなかったのにはっきりと信仰がわかり、救われたとのことでした。聖霊なる神様により頼む謙遜さは「罪と義と裁きについて、世の人の目を開く」(ヨハネ16:8)のです。聖霊によらねば、イエスは主なりと言いうことはできません。(1コリ12:3)

 

5)30 神の聖霊を悲しませてはいけません。(エペソ4:30)

 ⇒ 「憂えしめざる臨在」に生きよ!

  パウロは、わたしたちの信仰の基本は「主の十字架の血潮による取られた罪人、聖霊の宮とされたキリストの証し人」です。パウロは実にここでその信仰生活の基本を語っています。罪人のままで主イエスの憐みのゆえにわたしたちは値なくして救われます。そして、洗礼を受けて新しい被造物として新創造されます。そして主イエスを心に迎え入れて、古き人を脱ぎ捨て、新しき人を着ることになります。別の言い方をすれば、自分の罪を認めて十字架の主イエスの血潮を自分の罪のためであると告白し、自己中心的な生き方をやめて、聖霊に心の王座を明け渡して生きる、これがクリスチャンの生涯であることが語られます。

 「聖霊の器」という言葉と共に心に思い浮かぶ人格はバックストン師です。宣教師嫌いの内村鑑三が「彼のようなすばらしい宣教師なら日本に来てほしい。彼は聖霊の器、人類の花だ」とまで絶賛したと言われます。バックストン先生の愛唱の言葉の一つは「憂えしめざる臨在」。この一句に先生の信仰がかかっているように思います。共にいて下さる聖霊なる神様を悲しませるなという意味です。BFバックストン師の説教集2の冒頭に、同師の挨拶の文章があります。

 「キリスト教信仰は、十字架と聖霊です」とあります。

 BFバックストン先生は1860年英国の貴族の家に生まれ、オックスフォード大学時代に、シカゴの伝道者ムーディ師の伝道集会で、献身を決意しました。日本宣教に召されて、明治23年、神戸に到着。それから山陰の松江に行かれました。若者達に多大の影響を与えて、松江バンドを形成されました。終始、笑顔が絶えず、温厚で、接する人々に、大きな霊的感化を与えました。現在の塩屋の神学校、関西聖書神学校を創設して、そこで教鞭をとられ、多くの伝道者を育成されました。「聖霊を受けよ。聖霊の満たしはクリスチャンの人生の戴冠式」と語られたことは有名です。教え子の中に、御牧碩太朗、小島伊助、森山諭、本田弘慈、等の伝道者が輩出しました。 横山義孝先生もそのおひとりです。

「十字架と聖霊の満たし」。

「罪の赦しと聖化の恵み」。

    これぞ、キリスト教の根幹をなすメッセージです。

 今日はペンテコステ。

 人の救いは主イエスの十字架の贖いにあります。そして、罪の中にとどまり続けるのではなく、「聖霊に満たされて」、恵みの中に、罪に勝利して歩むのです。パウロの「愛の章」といわれる1コリント13章の「愛」も、実は聖霊の賜物として語られているのです。聖霊の内住こそ、勝利の信仰の源なのです。ハレルヤ

 【祈り】

 主よ、ペンテコステの朝を感謝します。この朝、あなたの恵みに触れて、天が開け、救いの確信と天からの知恵と愛に満たされて歩めるような体験を与えてください。今日、もう一度、聖霊様を心の王座にお迎えします。聖き霊に満たして、クリスチャン人生の戴冠式をなして下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン