主日礼拝説教「愛され、召され、聖とされ」ー神の恵み平安に生きるー ロマ書連続講解⑤ローマ人への手紙1:7 深谷牧師

2021年6月13日(日)聖霊降臨節第四主日礼拝
聖書箇所:ローマ人への手紙1:7
説教者:深谷春男牧師

 先週は皆さんのご理解とお祈りを頂いて、赤羽教会に行って参りました。赤羽教会の創立70周年目の記念礼拝で、お招きを頂きました。その内容は週報のコラム「歌舞伎町の牧師館から」に美歌子牧師が書いてくれましたが、大変、恵みをいただいて帰って参りました。赤羽教会は、わたしが20歳の時、1970年10月に、様々な若いときの問題を抱えていたときに、特別伝道集会に導かれた教会でした。

練馬開進教会で洗礼を受けたのが10ヶ月前の出来事でした。しかし、いわゆる「70年安保闘争を巡る日本基督教団の紛争」のあおりの中で、わたしは教会から離れ、住居も赤羽に移転し、失意とむなしさの中にいたときのことでした。自分のアパートで油絵を描いていたときに、宣伝カーが回ってきました。「こちらは日本基督教団赤羽教会の宣伝カーです。今晩と明日の晩、日本基督教団の赤羽教会で、特別伝道会があります。皆さん、教会に是非お出かけ下さい。住所は、北区志茂2-56-4。電話は901-8939です。特別講師は、岩城幸策先生、船橋よりお招きいたしました。」わたしは教会の礼拝から離れて半年間ぐらいたっておりましたが、電話番号を近くの紙に書き写して、その夜に訪ねて行ったのでありました。そこから、新しい人生の出会いが始まったのです。わたしは赤羽で40年間、生活するとことなりました。教会員として9年間、そしてその9年間のうちには、神学校に入学して卒業し、そしてその後は、31年間、教職として招聘を受け、伝道師、牧師として奉職しました。そこで結婚をし、3人の子供が与えられ、会堂建築も2回もさせて頂きました。2009年、埼玉県吉川市の東京聖書学校の舎監として、また併設の東京聖書学校吉川教会の牧師として9年間、奉職、そこでもすばらしい恵みを経験しました。そして、2018年4月から、こちらの新宿西教会へと導かれるという神様の不思議な御計らいに感激しているものです。赤羽を離れて13年間。考えてみると、あっという間に時は過ぎて、多くの方々とのお交わりを頂いて、恵みの再会でした。当時10歳で、小学校3年生ぐらいの子供さんが、23,4歳の青年になって、「ふかやせんせー!!」とか、はにかみながらやってきて、話しかけるとなつかしい、「かおりちゃん」だったり、「そうた君」だったり、「たかのり君」だったり、本当に浦島太郎のような雰囲気でした。

 話したいことは山ほどあったのですが、エペソ人への手紙2:1~10の聖書箇所より、「恵みによる救い ―クリスチャンの過去、現在、未来 ― 」という内容を話してきました。ここは聖書の中心ですね。わたしたちは、過去は、罪と罪過のために 死んでいた者で、神の怒りの対象であった。そのようなところから、主イエス様の恵みに触れて、その十字架と復活に触れて、信仰によって現在は救われ、未来は神さまの作品として、聖霊の愛と恵みに導かれてすばらしい最高の人生へと導かれている!ハレルヤ。

 そして、この「恵み」に触れて回心した、ジョン・ニュートンの証しも紹介しました。奴隷船の船長という、驚くべき悪行に携わっていたジョン・ニュートンが悔い改め、新しい生涯に入り、やがてリバイバル運動で献身に導かれ、「アメイズィング・グレース」を作詞しました。「驚くべき恵み」、これは救いの代名詞ですね。

 

【今日の聖書箇所の概略と構造】

さて、わたしたちはローマ人への手紙1章1節から読み進んできました。今回は、7節を中心にパウロの語る「ローマ教会の信徒の皆さんの姿」を学んでみたいと思います。始めに話しましたが、赤羽教会の皆さんも新宿西教会の皆さんもローマ教会の皆さんも基本的には同じです。

「神に愛され、召され、聖とされた、ローマ教会の皆さんへ」という手紙の宛先になっているローマ教会の皆さんを説明している言葉と、「父なる神、および主イエスキリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように」にという祝福の言葉に今日は注目したいと思います。

始めに話しましたが、ローマ人への手紙は手紙文の形態を取っているので、最初に一節で発信者パウロ、そして、最後7節で受信者の名前、即ち、ローマ教会の皆さんへというのが一番の内容になっているわけです。その受信者であったローマ教会へのパウロの言葉を参考に、ローマ教会員の霊的な姿に迫りたいと思っているところです。 

【メッセージのポイント】

1)、7 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。(7a

  ⇒ 愛され、召され、聖とされ! 

さて、パウロ先生の、ローマ教会の皆様への言葉は、まず第一に「神に愛され」という言葉でした。パウロはローマの教会の兄弟姉妹のその形容の言葉に、「神の愛で愛されている(アガペー)」教会の皆様一同へ、と記しました。たとえば皆さん、わたしたちはニューヨークの教会の皆さんに手紙を書くときに、どのように表現されるでしょうか?

パウロ先生は、ローマの教会の皆さんに「神様に愛されている皆さん!」と呼び掛けています。これは単に挨拶上の言葉でなく、パウロ先生のホンネのなのだと思います。もしもパウロ先生が新宿西教会へ手紙を書くとしたら、わたしたちに、神様にアガペーの愛で愛されている新宿西教会の守部さん、とか長谷川さんとか語られるのでしょう。米国のTV伝道者、レックスハンバード先生からの手紙を頂きましたが、手紙の内容を抜き取ると、封筒の後ろ側に “you  are  loved” と印刷されていましたね。わたしたちは、まず、「神の愛、アガペーの愛で愛された者です。人類すべての必要は「神様の無償の愛」なのですね。

「召され」:これは「呼び出された(クレートイス)」という言葉。多くの人々の中から神に選ばれ、呼び出され、特別に召し出された者の意味。考えてみると聖書の中の人物はこの「神様の召し出し」によって神様の救いの御業へと召し出された者です。アブラハムも、ヤコブも、ヨセフも、モーセも、ダビデも、イザヤも、エレミヤも、ペテロも、パウロも、主のお召し出し(これを「召命」といいます)に与り、神の恩寵の証し人となりました。摂理の恩寵による神の召命」。

聖とされ」:「聖徒(ハギオス)へと召された」は日本の言葉の「聖人・君子」という意味ではありません。聖という言葉は、「神の所属となる」という意味です。神様によって聖別され、キリストの恵みの世界の一員として生きることを表現しています。

2)わたしたちの父なる神および主イエス・キリストからの恵みと平安とが、あなたがたにあるように。          (7節b)

神とキリストからの「恵みと平安」に満たされて歩め!

  あいさつの部分最後ので、パウロは「恵み」と「平和」が父なる神と主キリストからあるようにと祈っています。これもまた挨拶の言葉であるが、内容は福音としっかり結び合っています。

「恵み」:ギリシャ人の間では、手紙の始めの挨拶は「喜べ(カイレ)という言葉だったようです。日本では「拝啓」とか書きますが、ギリシャ人は「喜びがありますように」が、挨拶だったのはすばらしい。しかし、パウロは、それを少し変えて、「恵み(カリス)」という言葉にして、「恵み(カリス)があるように」という内容の言葉の挨拶でした。パウロが使うと、「恵み」とは「主イエスの十字架の贖い」という意味になります。先週、赤羽教会での説教で「恵みによる救い」という題で語ったエペソ2:5の内容と同じです。更にパウロは2:8でも、「実にあなた方の救われたのは恵みにより信仰による」と繰り返しています。聖書の言う救いとは、「主イエスの十字架のこと」で、「十字架の上に流された贖いの血潮」のことなのです。今年の3月に「ナルドの香油を注いだマリヤ」のことを語りました。300万円もするナルドの香油を十字架に架かられる主イエスに注ぎました。多くの弟子は「もったいない」。300万円あれば、貧しい者を救えるのに。しかし、主は「なすがままにさせておきなさい。」と静かに語られ、すっと十字架の道へと進まれました。マリヤのナルドは300万円、神のナルドは3000万円、3億円どころではありません。3兆円にも、3000兆円をも越えた、全宇宙よりも価値ある神の命によってわたしどもの罪と死を贖い取って下さった事です。驚くべき恵みによって、救いが成就しますように!

「平安」:この言葉のヘブライ語は「シャローム」です。ユダヤ人は挨拶にこの言葉を使いました。それゆえにパウロはギリシャの風習とユダヤの風習を使用した事になります.。しかし、これは単に、挨拶の言葉というよりも、深い実質のこもった祝福の言葉となっています。高橋三郎先生によれば、「豊かな含蓄に富むこの言葉を、一語で訳出することは困難である、『救い』『充溢』『福祉』などがこの内容に当たる言葉である。キッテルの神学事典参照のこと」とあり、「シャロームとは簡単に言えば、神の対して正しい関係に立つことによって満ちあふれるばかりに受ける命の祝福の意である。・・・ヘブライ的思惟によれば、平和を実現するためには、まず神の満ちあふれる生命に満ちあふれる事が先決問題であり、人間の相互の間の平和は自ずからなるのである。聖書は、神に対して正しい関係に立つことにより、愛の命を持って心を満たして頂くことこそ、平和への道であると教えるのである。・・・このように見るとき、我々はこのシャロームを、どのようにして神より受ける事ができるかと言うことが、大きな関心事とならざるを得ない。そして『神の義』を語るロマ書全体は、まさに神がその『義』を啓示し、貫徹したもう事によって、我々人間の夢想だにしなかった『シャローム』への新しい道を神の側から開きたもうと事を告げているのである。」

祈り】 天のお父様。わたしどもは「神に愛され、召され、聖とされ」神の民の一員となりました。その原点は、主イエス様、あなたの十字架の贖いと復活の信仰であることをロマ書から学びました。そしてこの福音の指し示す「恵みと平安」の中に生かされる者として、主のあなたの愛と聖霊に満たしの中にこの一週間の歩みを導かれますように。「驚くばかりの恵み」を感謝しつつ、主イエスの御名によって祈ります。アーメン