聖霊降臨節第十主日礼拝説教「天使の顔」使徒行伝6:8~15 深谷美歌子牧師

2021年7月25日(日)聖霊降臨節第十主日礼拝
聖書箇所:使徒行伝6:8~15
説教者:深谷美歌子牧師

 顔という言葉は、世間でも、会社の顔、学校の顔、国の顔、サークルの顔などと、その背後にあるものを表すものとして使われていますね。

 聖書にも顔という言葉は、何回も出てきます。「御顔を向けてください。」という祈りの訴えは、詩篇などに良く出てきますね。その場合の「顔」は、神を表すものとして用いられています。

 モーセも神と語ったあと、顔の皮が光を放っていたので、民と語るときは顔覆いをあてた(出エジブト34:29-35)とあります。

 ユダヤ教の文献には、「敬虔で聖なる男は天使に似ている」ということが、しばしば述べられているそうです。そのように人間に使われる場合は、神に近く在る者として、用いられています。

 今日の聖書箇所は、ステパノの顔が「天使の顔」のように見えたとあります。

【聖書箇所の概説】

8節   恵みと力に満ちてステパノが奇跡としるしを行った。

9-10節 リベルテンの会堂の人々と議論、ステパノに勝てなかった。

11-14節 リベルテンの人々が偽りの証人を立てて訴えた。

15節   ステパノの顔は天使の顔のように見えた。  

【メッセージのポイント】

1)恵みと力に満ちて同胞に伝えた。

8 さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。9 すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。 8-10節  

 前回の箇所では、ステパノは、やもめたちの世話をする執事(役員)として選ばれたことが記されていました。でも食事の世話ばかりしていたのでないことが今日の個所からわかります。これまでは、使徒たちがしていた、しるしと奇跡を行っていたとあり、議論になったとありますから、福音を語っていたに違いありません。救われたわたしたちクリスチャンは、いつでもどこでも福音の伝達者ですね。

 この時は、すぐ前に選ばれた、7人の執事の名前が、ギリシャ名で、ステファノも離散したユダヤ人の仲間だったと思われます。それで、救われたとき、この仲間のギリシャ語を使うユダヤ人に、つまり同郷の仲間たちに、喜びのあまり伝えたのでしょう。ですが、議論になってしまったのでした。

 この議論を仕掛けているのは、リベルテン(解放された奴隷の意)の会堂の人々です。イスラエルから奴隷として引いて行かれた地で、奴隷から解放された人々が、そこで信仰を守るために集っていた「会堂」がありました。エルサレムにも、この人々はその会堂をつくっていたようです。特にエルサレムに帰還するほどのこの人々は、律法に熱心な人々だったようです。

*パウロもこの人々の仲間であったろうと言われています。キリキア出身で生まれながらのローマの市民権を持ち、そしてガマリエルの門下生で熱心なパリサイ人だったと、パウロ自身が証言しています(使徒21:39 22:3)。

 そこで、議論が生じました。が、リベルテンの人々は議論に勝つことができませんでした。その理由を「彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった(10節)」と書かれています。 

 執事に選ばれた時から、信仰と聖霊とに満たされた人ステパノとありました。使徒に続く第二世代であったかもしれません。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(1:8)といわれた通り、第二世代であったとしても、聖霊を受けていた彼は、聖霊によって、知恵と力が働き、語ったので、抗弁できなかったのでしょう。

 今回ここを学ばせていただいて、議論の内容は、福音の本質をステパノが理解し、伝えたからだと教えられました。これまでは、イエス様の十字架、復活、召天、聖霊降臨の出来事を伝え、聞いた人々がイエス様を信じ、仲間に加えられました。しかし、生活の点では、午後三時の祈りの時に神殿の祈りに参加し、ユダヤ教の人々とそう変わらない生活をしていました。ですから、ユダヤ教の一派のように思われたかもしれません。でもこの時、ステパノは、主が成就して下さった福音を伝え、「神は手で造った宮にお住まいにならない」とか、「律法を行うことによっては救われない」と語ることで、ユダヤ教との違いが明らかになり、彼らは受け入れられなかったのです。

 

2)偽証は主も受けられたことでした。

11 そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと

神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。12 その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。13 それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。14 『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。 

 ステパノは、「解放奴隷の会堂(リベルテン)」の人々から、偽証人を立てられ、民衆を扇動され、長老、律法学者も扇動されて、最高法院に引き立てられました。

 イエス様が十字架に付けられたときもそうでした。偽証人が立てられ、訴えられました。主は全てを御存じで、十字架へ進んでくださいましたが。

 でも、やがて弟子達にもこの様な出来事が起こることを主はご存知で、まだ十字架につかれる前にこのように語られていました。人々はあなた方に手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。13 それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。14 だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。15 あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから(ルカ21:13-15)。

ステパノにこのことが起こりました。13 それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。14 『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。(13,14節)

これは悪意ある、事実と異なる告発です。ですが、彼らがこのように考えたのは確かです。エルサレム神殿こそ神に礼拝を捧げる絶対の場所。律法を守ってこそ、神の民として受け入れられると信じて生活してきたリベルテンの人々には、律法を守らない、取税人とか、異邦人など、すべて悔い改めてイエス様を信じる人々が救われるなど、承服できないメッセージでした。

本来、律法の目的は、神を愛し、隣人を自分の様に愛するものとなることを目指すものでした。だれもこの命に至れないので、イエス様が来られ、律法がなし得なかった義を打ち立ててくださったのでした。このごろ深谷牧師がロマ書を取り次いでくださっている主題ですね。が、当時のユダヤ人たちは、自分達は選ばれた神の民として律法を守っている。神殿は自分たちが、神に礼拝を捧げ、神に受け入れられる神聖な場所と信じていました。

 ステパノがイエス様の言葉として、「あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろうと言った」と訴えられています。イエス様自身「この宮を壊したら、三日のうちに起こすであろう」と語ったことがありましたが、それは、実際の神殿のことを語ったのではなく、ご自分の体で勝ち取る教会のことを指して言ったのでしたが、本当の意味を変えて告発しています。そして、今までは使徒たちの味方のようであった民衆や、長老たちや、律法学者を煽動してサンヒドリンの会議にステパノを引いて行ききました。福音が多くの同朋には受け入れられなかったことが分かります。福音の真実が明らかになって、本格的な迫害が始まりました。

3)天使の顔。

 15 議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた    15節

 一方訴えられた、ステパノの様子が書かれています。偽証人を立てた人々の勝手な言い分を聞きながら、最高法院にいた人々が、ステパノがこれに対してどんな反応を示すかと注目した時、天使のような顔をした、ステパノがいました。

 初めに、ユダヤ教の文献には、「敬虔で聖なる男は天使に似ている」ということが、しばしば述べられているそうですと話しましたが、このステパノの姿は、最高法院に集まった人々にもこの言葉を思い起こさせたことでしょう。

 この後、ステパノの答弁が長々と続きますが、議会が静まって聞いたのはこのステパノの姿がそうさせたのではないでしょうか?

 ステパノのイエス様のように輝いて、平安と喜びに溢れた姿は、永遠の救いの確かさを、言葉以上に雄弁に語ったことでしょう。彼がこの顔でいられたのは、 彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた(7:55)からです。

 それでも、この後、ステパノは殉教しますが、この一連のことを、ずっと見ていたサウロという若者がいました。このパリサイ人がイエスキリストに出会い、福音の真髄を悟り、ロマ書をはじめ多くの手紙を残し、何億もの人々の救いのための、一粒の麦となりました。

 私達は置かれている場所は違います。その意味では、それぞれの顔があることでしょう。お母さんの顔とか、日本代表選手の顔とか、商店レジの顔とか、教会の受付は、教会の顔とか言われますね。でも共通に持っていたい顔は、ステパノが持っていたような、「天使の顔」ですね。

 守部喜雅兄から聞いた証しですが、四国の老人ホームに入所しておられる姉妹で、幼い時から苦労を重ねて生きて来た方がありました。自分のスペースとしては、畳一畳ほどのベットのみ。でも本当に恵まれていたそうです。守部さんが「人生で一番幸せだった時はいつですか?」とお聞きした時、「今が一番幸せです」と即、返事が返ってきたそうです。歳を重ねると、若い美しさは変わっていくでしょう。しかし、聖霊に満たされた方は何歳になっても天使のように輝くことができます。        ハレルヤ!

 

祈り  イエス様、罪の全て引き受けて、聖霊様を送り、恵みと力に満たしてくださることを感謝いたします。愛する同胞が主の受入れを抵抗する姿は、この時のユダヤ人と同じです。でもどうぞわたしを、ステパノのように輝く顔で証しするものとしてください。  主の御名によって祈ります。アーメン