平和主日礼拝説教「義と平和が口づけす」詩篇85篇 深谷春男牧師

2021年8月1日(日)平和主日礼拝
聖書箇所:詩篇85篇
説教者:深谷春男牧師

 今日は平和主日という日です。1945(昭和20)年8月15日。日本はポツダム宣言を受諾し、1941(昭和16)年に始まった第二次世界大戦は終わりました。その時の反省として、日本基督教団は、8月最初の主日礼拝を、平和主日と定めて、主にある平和を祈る時と決めました。

【 詩篇第85篇の概略と区分 】 

  さて、今日は、詩篇85篇を共に読んでみたいと思います。この詩篇の背景は、以前、お読みしました、詩篇126篇とよく似ております。

 この詩篇の作者は、イスラエルがバビロンから帰還を許され、祖国に帰った後の詩であろうと言われています。祖国の復興、神殿の再建を求めて祈り、懸命に働きました。でも、思うように行かない事態が起こってきました。詩人は、それが神の怒りのように感じていたようです。国の復興作業の中における意見の違いや様々な齟齬の中で、神様御自身の臨在を祈り求めます。

 それに対して8節からは「神御自身の平和宣言」がなされます。そこでは主を恐れる者に「神の平安」が与えられ、「救いと栄光」が実現するとの約束が語られます。そして荒廃した国土が、今や主にあって復活し、癒される。その復興の姿を詩人は「慈しみとまこと」が出会い、「義と平和」がくちづけするようだ、という印象的な言葉で歌います。「まこと」は地から萌えいで、「神の義」は天から注がれるのです。地は「実り」をもたらし、「義」が行列して、主の臨在の前を行進します。

 この詩篇は神御自身の到来を歌い、究極的には受肉、降誕を示すので、古来、教会ではクリスマスの時期に朗唱されて用いられてきました。大変、美しい詩です。全体の構造は次のようです。

    表題:指揮者によって。コラの子の詩。

 1―  3節   救済の賛歌。バビロンからの解放を感謝、特に罪の赦しに焦点

  を当てている。6つの動詞が印象的。「・・タ」という表現。      

  日本語の直訳は「汝~したまえり」。「救いの時!」の確認。

 4―  7節   嘆きと祈り。祖国復興に労しても思うようにいかない現実があった  

  ようです。「怒りを下し給うことなく、魂に喜びを復興してください」と祈  

  っています。

 8― 9節   ここで神託がなされます。「神の平和の宣言」。

  その民、その聖徒、主に心を向ける者に「平和」を宣言。

  「救いは主を恐れる者に近い」「栄光は地に留まる」。

10―13節   神託をめぐる民の幻。「慈愛・真実・義・平和・最善・結実」。

  

 この詩では、効果的にキーワードが使用されています。以下のようです。

「帰る(シューブ)」が5回(1b、3b、4a、6a、8b)、

「地(エレツ)」が4回(1a,9b,11a,12b)、

「平和(シャーローム)」が2回(8b,10b,)、

「慈しみ(ヘセド)」が3回(7a,8b,10a)。

「救い(イシュア)」が3回(4,7,9)。

「義(ツェディク)」が3回(10,11,13)

 

【メッセージのポイント】           

1)聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子の歌

1 主よ、あなたはみ国にめぐみを示し、

ヤコブの繁栄を回復されました。

2 あなたはその民の不義をゆるし、

彼らの罪をことごとくおおわれました。〔セラ

3 あなたはすべての怒りを捨て、

激しい憤りを遠ざけられました。(1~3節)

 ⇒ 救いの原点を、いつも思い起こせ!

  この詩は126篇と時代背景が似ている。祖国復興の業が思うように進まない試練の中で、彼は自分たちの信仰の出発点、バビロン捕囚からの解放を歌っています。特に、罪の赦しと回復が取り上げられています。

この箇所は6つの動詞が印象的。「 ・・・ター」(二人称、完了形)となる。

下にその言葉を記します。日本語の直訳は「汝~したまえり」。

  • 汝は恵みを示された(ラツィタ)  あなたの土地を
  • 汝は繁栄を回復された(シャブッタ)ヤコブの囚われ人と
  • 汝は不義を赦された(ナサータ) あなたの民の咎を
  • 汝は覆われた (キスィータ)  彼らのすべての罪を
  • 汝は捨てられた(アサフタ) あなたのすべての激怒を
  • 汝はおさめられた(へシボッタ) あなたの憤りを

 この6つの言葉は、今や「神の怒りの時」が終わり「慰めの時」が来ていると告白しています。神の怒りは過ぎ去り、救いの時となったという神の救いの時の到来をまず確認しています。

 この「慰めの時」が来ている!というメッセージはとても大切です。わたしたちも、罪と悲しみの中に沈んでいた時は過ぎ去り、主イエスを信じて、復活の命に生きているという、救いの原点を思い起こすことはとても大切なことです。主イエスを信じた時の、「初めの愛に立ち返りなさい」との御声を聞きましょう。

 

2)4 われらの救の神よ、われらを回復し、

われらに対するあなたの憤りをおやめください。

5 あなたはとこしえにわれらを怒り、

よろずよまで、あなたの怒りを延ばされるのですか。

6 あなたの民が、あなたによって喜びを得るため、

われらを再び生かされないのですか。

7 主よ、あなたのいつくしみをわれらに示し、

あなたの救をわれらに与えてください。(4~7節)

 ⇒ 主よ、あなたの教会にリバイバルを!

 ここでは、詩人は約束の地を目指した帰って来たけれども、実際に帰ってみたら、多くの困難があり、霊的に落ち込んでしまったというような出来事にあったようです。彼は、5節で「あなたはとこしえにわれらを怒り、よろずよまで、あなたの怒りを延ばされるのですか。」と神様に祈っています。

 そして6節では「われらを再び、生かされないのですか?と祈ります。NKJVでは、ここを「リバイバルを起こさないのですか?」と訳しています。「リバイバル」とは素晴らしい言葉ですね。18世紀、19世紀には、アメリカやイギリスに霊的復興の時がありました。アメリカ合衆国の開拓民が、信仰の自由と真実を求めて、アメリカを目指してやってきたのですが、経済的困難、さまざまな異民族同士の争いや困難に直面し、霊的に落ち込んだ時代がありました。しかし、熱心なクリスチャンたちが祈り、すばらしいリバイバルの恵みを経験しました。、聖書を深く学びつつ、主に祈る愛のリバイバルを祈ってゆきたいですね。

 淀橋教会の小原十三司牧師も、1972年の召天の時、「リバイバル、リバイバル、リバイバル・・・」と、日本の教会が霊的に恵まれて、多くの方々が教会に出席され、主の十字架の前に自分自身の罪を悔いて、救いの恵みを受け、神の恵みの証人としてもちいられ、救われる方々が起こされるような、霊的祝福を祈りつつ息を引き取られました。

 

3)、8 わたしは主なる神の語られることを聞きましょう。

主はその民、その聖徒、ならびにその心を主に向ける者に、

平和を語られるからです。

9 まことに、その救は神を恐れる者に近く、

その栄光はわれらの国にとどまるでしょう。(8,9節)

 ⇒ 神の言葉、「神のシャローム」の宣言を聞け!

 わたしたちが生かされ、信仰のリバイバルを経験することはどこから始まるのでしょうか?この詩篇後半は「主なる神の語られることを聞こう」と言う告白から始まります。リバイバルは、み言葉を聞くところから始まります。神の言葉を聞く。その神の民、その神のいつくしみに生きる者たち、その心を主に向ける者たちから始まるのです。

 兄弟姉妹。わたしたちの中に神様が素晴らしい業をなしてくださると言う体験は御言葉に飢え渇き、熱心に御言葉を求めるところから始まります。

 ここでは、まず神さまの語られる宣言があります。「神の平和・神のシャローム」の宣言です。この神の「シャローム」は、ちょうどしばらく前にロマ書1:7から語らせて頂きました。

 「シャローム」は神の恵みの充満を表現する言葉です。ペーデルセンという方が、シャロームは、恵みがあふれることを説明しています。国と国の間で言うならそれは「平和」となります。個人の魂で言えば「平安」、経済の世界で言うと「繁栄」となり、建築家が使うと「家が完成」、身体のこと言うと「全き健康」、農夫が使うと「豊作」、機械工が使うと「油が切れない状態」、戦いで言うと「全き勝利」。新約では主イエス様御自身のこと。聖霊の満たしのこととなります。

 

4)10 いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互に口づけし、

11 まことは地からはえ、義は天から見おろすでしょう。

12 主が良い物を与えられるので、われらの国はその産物を出し、

13 義は主のみ前に行き、その足跡を道とするでしょう。  (10~13節)

 ⇒ 義と平和の口づけのような、救いと喜びの世界を!                                          10~13節には、神の平和の宣言がなされます。ここでは特に、主イエスに象徴される「慈しみ」「まこと」が共に会い、十字架の贖いに象徴される「神の義」が、わたしどもの生涯に「真の平和」を結実させると語り、聖書の指し示す、「運命の転換」が語られることになります。

 矢内原忠雄は、詩篇85篇の最も良き注解は、ロマ5:1―2であると言いました。それは「義と平和の口づけ」と言う表現に表れます。「信仰義認が神との平和」を生み、「キリストの義が、すべての良き物」を豊かに「実を結ぶ」ところとするというのです。これは新約聖書の神の民の有るべき姿です。

 われらの主イエスにおいて、この美しい詩は実現しました。「信仰義認」「神との平和」「神の栄光の出現」「聖霊による愛による真の希望」。ここに、わたしどもの求める最終的な、平和、神による平和の実現を見ます。ハレルヤ!

 平和主日には、私はいつも三室泰平兄を思い出します。戦後、南方の兵役から帰って時、身も心もボロボロ。特に上官の命令でなした南洋での残虐な出来事を思い出して、強度なノイローゼになり、眠れなくなりました。お寺に行ってもカウンセリングに行っても治りません。教会で十字架の贖いのメッセージを聞いた時、「子よ、心やすかれ、汝の罪許されたり!」の神の声を聴き、「罪の赦しと永遠の命」に目覚め、魂はいやされ、安眠することを得ました。救われた彼は、キリストの弟子となり、早稲田朝祷会を起こし、輝く神様の平和の証人となりました。わたしたちも、真の平和は、主イエスの恵みから始まることを証ししましょう。

 【 祈祷 】 天の父よ。詩篇85編を感謝します。今日は平和主日です。真の「平和」は、天から、キリストの十字架の贖いからきます。そこから「神との平和」「人との平和」が始まります。真の命の復興、リバイバルもそこから始まります。われらを平和の器として用いて下さい。御名によって祈ります。アーメン