聖霊降臨節第十二主日礼拝説教「信仰に始まり信仰に至らせる」ローマ1:17ロマ書講解⑨ 深谷春男牧師

2021年8月8日(日)主日礼拝
聖書箇所:ローマ人への手紙1:17
説教者:深谷春男牧師

 神学生時代に聞いた言葉などは、とても深い言葉で、わたしも71歳となり、時々、感銘深く思い出すときがあります。その中でも、「神の痛みの神学」をお書きになった北森嘉蔵先生の講義の中で聞いたひとつひとつが思い出されます。あるとき先生は言われました。「日本語の『信仰』という言葉はすばらしいですね。これは非常に聖書の言葉のイメージにぴったりします。「信仰」とは、信じて仰ぐと書きますね。これは英語やドイツ語などのbelief  Glaube  等には、信じると言う内容はあるけれども、仰ぐとイメージはありません。日本語の「信仰」という言葉は大変すばらしいと感じています。」天を見上げるように、遠くを見つめつつ語られた姿と共に思いだします。

【 ロマ書の緒論的問題 】

  今回は、ロマ書の学びの第9回目になりました。最初の方で何度か、ロマ書の全体の構造や神学的な主題について話しましたが、内村鑑三は「ロマ書の研究」で以下のような図でロマ書全体を紹介しています。これは大変分りやすいので、ご紹介をさせて頂きますね。

 

1) ロマ書の著書、年代、主題

 「ローマ信徒への手紙」は、AD57―58年ごろに、使徒パウロがローマのキリスト教会に送った手紙であり、回状です。それは使徒パウロの現存する手紙の中で最も長いものであり、16章からなっています。そして、パウロの神学思想が、最も組織的に展開されており、福音の本質を指し示しています。すなわち、

「全ての人間は、アダム以来の罪と死の支配(1:18~3:20)の中にあって、苦しみ、悩みの中にある。文明の先端にあるようなギリシャ人も、律法を行うことによって救われると信じているユダヤ人も、未開に住む人も、すべて、罪と死の支配の中にあり、神の怒りのもとにある。しかし、今や、神は、旧約聖書で預言していた通り、救い主を送ってくださった。このお方はイエス・キリストである。もしも、主イエスの十字架と復活の福音(1:3,4)を信じて受け入れるなら、その信仰によって義とせられ(3:21~26)、古き人との戦いを経験するが(6,7章)、聖霊によって潔められ、罪と死の法則から解放され(8:2)、摂理の力と圧倒的聖霊の恵みによって栄化の恵み(8:29~39)を与えられる。人はこのイエス・キリストを信じる信仰、特にその十字架と復活を信じる深奥により、神の一方的な恩寵によって、救われ、神の子となる。

神は、福音を拒んでいる現在のイスラエルの民(ユダヤ人)をも、導いてくださり、やがて全人類が神の摂理のもとに救われる。(9~11章)

クリスチャンはいつも聖霊に満たされ、教会生活を送り、信仰と希望と愛の中に証しの歩みをする。世の終わりに至るまで、再臨の主イエスにお会いするまで信仰生涯を全うする。最後は頌栄。イエスキリストにより、永遠の神に栄光がとこしえに帰せられるように!(12~16章) 

 

2)ロマ書の構造、内容区分、歴史的影響

  ロマ書は以下のように5つに分けることができる。

  1: 1―  17     はじめのことば。挨拶、自己紹介、主題

  1:18―  8:39  個人の救い。「信仰による義」の展開。

  9:1―  11:36  全人類の救い。救済史とイスラエル民族の問題。

 12:1―  15:13  キリスト者の具体的な生活。

 15:14 ―16:27  結び。今後の伝道計画と26名への挨拶と頌栄。

 

(ロマ書のチャートが入らないので、お許し下さい。)

 

教会の歴史においては、教会が福音の本質から逸脱した時に、この手紙の深い研究によって福音の本質に触れて、信仰が回復しました。有名な出来事として古代最大の教父と言われたアウグスチヌス(354-430年)の回心、ドイツの宗教改革者マルチン・ルター、フランスの宗教改革者ジャン・カルヴァン、18世紀のイギリスの信仰復興を成し遂げたメソジストの創始者、ジョン・ウェスレー、前世紀の偉大な神学者カール・バルトなど、ロマ書は多くの方々に大きな影響を及ぼしました。また、わが国でも内村鑑三、植村正久はじめ、多くの先達たちがロマ書の研究にとりくんできました。わたしどももまた、このロマ書の信仰を理解し、自分自身のものとし、信仰の継承者となりたいと思います。

 

3)17「神の義は、その福音のなかに啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。」                   (1:17)

 ⇒ 信仰に始まり信仰に至らせる!

 使徒パウロは、16節で「わたしは福音を恥としない。それはユダヤ人を初め、ギリシャ人にも、すべて信じる者に救いを得させる神の力である。」と語りました。ここでも「福音は神の力」そして「すべて信じる者に」救いを得させる力であると語りました。人が福音によって救われますが、それは「信じる者」という言葉がついているのです。「信仰がなくては神に喜ばれる事はできない。」(ヘブル11:6)

 そして17節に「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる」というのです。

16節も、17節も「信仰」が強調されます。

今朝は、ご一緒に、「信仰」と言うことを考えて見たいと思います。

ここではまず、口語訳の「信仰に始まり信仰に至らせる!」を見ます。

この言葉のもともとの言葉は「信仰より信仰へ(エク ピステオース 

エイス ピスティン)」という短い言葉です。前置詞 エク(起因、原

因)とエイス(目的、方向)という言葉、英語だとfrom faith to

faith  という言葉です。松木治三郎の「ローマ人への手紙」によると

この聖句の意味は明瞭ではなく、種々の解釈があるとして、詳細がある。

・信仰に信仰を進歩発展せしめる。

・神の真実、またはイエスの信仰から人間の信仰へ

・信仰の宣教から、聞く人間の信仰へ

と言う理解があるがどれもしっくりしない、とある。また、註記の中で更に細かく、教会の歴史の中で理解された考え方をイあのように宣べる。

また「旧約の信仰から新約の信仰へ」(オリゲネス等)

「口で告白する信仰から服従する信仰へ」(アウグスチヌス)

「fides informata  から fides formataへ」(トマス・アキナス)

「信仰の確信と明澄さへの不断の成長」(ルター、カルヴァン等)

「信仰は全て、ただすべてである」(ゴデー)

「福音は信仰の基礎と目標とをつくる」(ミヘル)

「福音は信仰に奇跡から奇跡を生み出す。義とされた者として信者は、究極的救いの確かさを得る。福音は常に深く、救いの全現実の中に導く、信仰の義から永遠の生命へと導く」(H・W・シュミット)

「これは修辞的用法で信仰を強調したものと解した」(松木治三郎)

 

内村鑑三は、「パウロは、この句において、神の義は信仰によって受け、信仰によって保ち、信仰によって完成する」と意味したのであろう。」「すなわち、義を維持する道は、そしてきよめられ進む道は、ただ、信仰を保つのみである。換言すれば、信仰によって義とせられし後の生涯は信仰によって潔められるのである。」

そしてこの箇所の講演の終わりに、こう記します。「第一の本館は、

第一 義とせらるること 1:18~5章

第二 聖とせらるること 6,7章

第三 栄化せらるること 8章    」です。

 

 前回、初めに、内村鑑三先生が、座古愛子さんに送った短冊に、「仰瞻(ぎょうせん)」と「待望」という字を書かれたと話しました。主イエスの十字架を仰いで人は救われ、神の国に入るのです。「天国の鍵」は「主イエスの十字架を仰ぐ」ことです。「仰瞻」です。スポルジョンの回心はイザヤ45:22、「我を仰ぎ瞻(み)て、救いを得よ」との御言葉によって救いを得ました。わたしたちも、主を仰ぎ、義とせられ、聖化せられ、栄化されるのです。

 

【 祈 り 】恵みの主よ。ロマ1:17を感謝します。あなたの十字架の福音の中に、「神の義」すなわち「神様の救いの計画」を見ることができますように。そして、ロマ書にあるように、義とせらるる恵み、聖化される恵み、栄化される恵みへと「信仰から信仰へ」と引きあげられますように整えて下さい。そして御言葉のように、「命から命へ」「力から力へ」「勝利から勝利へ」「栄光から栄光へ」と、今日から始まる一週間、朝ごとに、あなた御自身の愛の窮みである主イエスの贖いの十字架を「仰瞻」し、主イエスの再臨を「待望」し、罪と死に勝利した主の栄光の臨在の日々となし給え。主の御名によって祈ります。アーメン