聖霊降臨節第十三主日礼拝説教「信仰による義人は生きる」ローマ1:17ロマ書講解⑩ 深谷春男牧師

2021年8月15日(日)主日礼拝
聖書箇所:ローマ人への手紙1:17
説教者:深谷春男牧師

 一ヶ月ほど前に新型コロナワクチンの2回目の接種に出かけました。2回目は副作用が起こる人もいるとか聞かされていたので、緊張しながら接種の会場に向かいました。接種会場の若いお医者さんがわたしの資料を調べながら。「深谷春男さんですね。お誕生日は2月4日ですね。立春の日ですね。ことしは珍しく立春ではありませんでしたね・・。」とか語りかけてくれました。ずいぶん詳しいな、と思って聞いていたのですが、向こうの方から「実は・・・わたしも誕生日2月4日なんです・・・」。とても,暖かい雰囲気で、激しい大雨の日だったのですが,とても、幸せな気分になりました。 

【今日の聖書箇所の概略】

今日の聖書箇所は、一節だけ。しかも、この一節は、聖書の中心と言われるローマ人への手紙の看板に当たるところです。パウロは「信仰から信仰へ」という言葉の聖書一句を引いてハバクク2:4、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりであると語っています。 

 前回は、す。ローマ人への手紙は、大伽藍に喩えられるとして、内村鑑三の「ロマ書の研究」の中にある、チャートの紹介をしました。

 

第一の聖堂は「人間の魂の救いの主題」 (1章18節~8章)

第二の聖堂は「全人類の救いの歴史経綸」(9章~11章)

第三の聖堂は「キリスト教の倫理的実践」(12章~15章)。

 

ここは大聖堂の入り口で、その看板。その文字は「信仰による義人は生きる」という聖句で、そして3つの大伽藍の真ん中の通路は「信仰から信仰へ」という大理石の通路で貫かれています。

今日は皆さんと、この看板の「信仰による義人は生きる」という聖句を中心に見てゆきたいと思います。

 特にこの1~17節では繰り返して、「福音」「神の義」「信仰」といった,このロマ書の主題となる聖句がたくさん出てきます。

「福音」は6回使用されます。1,2,10,15,16,17節

「神の義」は2回使用されます。17,17 節

「信仰」は7回使用されます。4,8,12,16,17,17,17節

すなわち、「福音」の中に、「神の義」は啓示され、この義を「信仰」をもって受け入れることが強調されています。

 

【メッセージのポイント】

1)神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。   (17節)

    ⇒ 信仰による義人は生きる!

「信仰による義人は生きる!」。今日の説教は、このロマ1章17節の言葉からの説教です。まず、この言葉を暗唱してしまいましょう。

ここでは「神の義は、その福音のなかに啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである。」という大変、重要な言葉が語られます。

 

もう少し丁寧に言い換えるとこうなります。

「神様が旧約時代から持たれていた、救いの計画(=義)は、救い主なる主イエスが、人間の世界にわたしたちを贖うために来られたことに始まり、罪と汚れの多いわたしたちを贖い取ってくださるための十字架の出来事を通して、頂点に達しました。主イエス御自身が、肉を裂き、血を流してくださり、わたしたちの罪の代価を完全に支払ってくださり、死まで体験してくださいました。そして3日目に死の世界を打ち破って復活され、永遠に命を証しされました。この罪と死の内に捕らえられ、惨めな敗北の中を歩んでいたわたしたちに、救いの福音を伝えてくださいました。この十字架と復活の福音は、神の救いの本質を指し示し、それが今、神様によって、あらわにされました。それはハバクク書2:4にある聖句「信仰によって義とされ、救われた者は、神様との霊的な交わりである信仰によって、いよいよ豊かな恵みに導かれ、聖霊の助けによって、圧倒的勝利者にまで成長するという所まで、約束されているのです。」という意味です。

この言葉が、ローマ人への手紙の看板と言われます。「信仰によって義人は生きる」。これは旧約聖書のハバクク2:4からの引用の聖句です。「信仰による義人は生きる」とも「義人は信仰によって生きる」ともどちらにも訳せる言葉です。主によって信仰によって義とされた人は、信仰から信仰へと、進んでゆくと言われます。「徹頭徹尾、信仰によって生きる」とも解説されます。

 

2) 4 見よ、その魂の正しくない者は衰える。

しかし義人はその信仰によって生きる。(ハバクク2:2)

 旧約聖書のハバクク書などはあまり多くの人は親しみを感じません。しかし、このような機会ですので、ご一緒に読んでみましょう。ハバクク書の口語訳。まず、1章5節から、読んでみましょう。。

5 諸国民のうちを望み見て、驚け、そして怪しめ。

わたしはあなたがたの日に一つの事をする。

人がこの事を知らせても、あなたがたはとうてい信じまい。

6 見よ、わたしはカルデヤびとを興す

これはたけく、激しい国民であって、

地を縦横に行きめぐり、自分たちのものでないすみかを奪う。

7 これはきびしく、恐ろしく、

そのさばきと威厳とは彼ら自身から出る。

8 その馬はひょうよりも速く、夜のおおかみよりも荒い。

その騎兵は威勢よく進む。

すなわち、その騎兵は遠い所から来る。

彼らは物を食おうと急ぐわしのように飛ぶ。

9 彼らはみな暴虐のために来る。

彼らを恐れる恐れが彼らの前を行く。

彼らはとりこを砂のように集める。

 

 ハバクク書理解の鍵の聖句

  • 第一は1:6「カルデア人」を起こすとの言及。

カルデア人とは、バビロン帝国のこと。これで、ハバクク書の時代が分った。これはバビロン捕囚の時代のこと。すなわち、紀元前586年のしばらく前のことであるとの推測がつく。バビロン軍が、驚くべき軍隊が、怒濤のように襲いかかる。

  • 第二は2:2 走りながらでも読める究極の預言!

2 主はわたしに答えて言われた、

「この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、

走りながらも、これを読みうるようにせよ。

  • 第三は、2:4「信仰による義人は生きる」これぞ最短メッセージ!

バビロン軍の前に恐怖感に襲われ、命を守ることで精一杯。

走りながらでも読むことのできるほど、究極的メッセージ。

ある本にこのようなことが書いてありました。

「この時代にハバクク2:4を読んだのはパウロだけではありません。当時の旧約学者たちはこの箇所をこのように理解しました。

モーセはシナイ山で613の誡命を受けた。

ダビデはそれを11にまとめ(詩篇15編)、

イザヤはそれを6つにまとめ(33:15,16)

ミカは4つにまとめ、公義を行い,慈しみを愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩むこと(6:8)

そしてハバククは「信仰による義人は生きる」とまとめた。

危機に当たって、神を信じ抜いて生きるのを勧めたのに対して、神に対する忠実さとすり替えていたようです。しかし、預言者に語られた神の言葉を、パウロはハバクク以上に正しく理解して、信仰とは神の救いを受け入れることであると知り、神に救われて,義人とされる福音の真理を表わすのに用いたのであります。(竹森満佐一)」。

 

3)「信仰よる義」と「われらを生かす信仰」とは何か?

 「信仰による義人」は、「信仰によって生きる」のです。

*「信仰による義人」は、ロマ3:23~24の御言葉。

23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

救いは罪の赦しを得ることです。十字架の罪の贖いを信じることです。

*「義人は信仰によって生きる」の方は、ロマ6:23の御言葉

23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 罪の報酬は死。しかし、神の賜物は「キリストの永遠の命」です。

 

【祈り】 全能の父なる御神。この朝は、愛する兄弟姉妹とロマ1:17、「信仰による義人は生きる」の聖句を共に受けここから、自分の場へと遣わされて行きます。わたしたちの信仰の一番の原点は「信仰による義認」であり、また「信仰による喜びの生活」です。今日もこのところから、信仰第一の一週間を歩みゆかせてください。主イエスの御名によって。アーメン