新宿西教会主日礼拝説教「顔を向けてごらん」イザヤ45:22 深谷春男牧師

2021年10月31日(日)主日礼拝
聖書箇所:イザヤ45:22                        
説教者:深谷春男牧師

 今年のオープンチャーチ(伝道月間)は、9月26日の夕方から始まりました。JTJ神学校の学長を勤められた岸義紘先生の「サクソフォン・コンサート」が皮切りでした。心に染み渡るようなサックスの音色にしびれました。また、説教がすばらしかった!第2週目、3週目、第4週と祝され、今日は5週目、「永眠者記念礼拝」と兼ねて行われます。主がどのように臨まれるか楽しみにしています。 

【聖書箇所の概略】

 さて、今日の聖書箇所、イザヤ40~55章の背景はイスラエルの歴史の中では最も厳しい時代でした。紀元前586年、小国イスラエルは怒涛のように襲ってくるバビロン軍によって飲み込まれ、滅ぼされてしまいました。エルサレムは焼かれ、神殿は崩壊し、人々は虐殺され、生き残った人々は奴隷として売られ、おもだった人々は遠くバビロン帝国の捕囚となったのです。いわゆる「バビロン捕囚」と言われるできごとです。預言者イザヤは異国に捕囚となって生きる希望を失っているイスラエルの民に対する幻(ヴィジョン)を与えられ、大胆にそれを語って、多くの民を励ましていたのでした。

【メッセージのポイント】

地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、

そうすれば救われる。

わたしは神であって、ほかに神はないからだ。 (イザヤ45:22)

 今日は皆さんと共に、この有名な聖書の一句に集中して御言葉を聞きたいと思います。ここにすばらしい聖書の言葉があります。これは預言者イザヤの語った言葉の1節です。内容は以下の通りです。

  • 全世界の、あらゆる所に住んでいる人々よ。わたしを仰ぎ望め。
  • そうすれば救われる。
  • わたしが神。他に神はない!と大胆に宣言しています。

 

 今日は、「永眠者記念礼拝」という特別な日でもあります。

 わたしどもの教会は、1954(昭和29)年12月18日に日本基督教団から、「日本基督教団新宿西教会」として認可されました。この日が教会の創立日です。今年、2021年12月18日を迎えますと、教会創立67周年。2024年に創立70周年を迎えることになります。

 しかし、新宿西教会の歴史を遡りますと、1910年(明治43年)日本基督同胞教会の任命を受けた27歳の大内文平牧師が開拓伝道を始め、やがて「大久保教会」が設立されました。その時からの歴史で数えると111年以上の歴史を持つことになります。

 111年の長きにわたる歴史の中で、多くの兄弟姉妹が救いに導かれました。父なる神様を信じて新しい生涯に入り、御子主イエスの十字架を仰いで自分の罪の贖いの業をなして下さったことを信じ、内なる聖霊様の助けによって、神の子となり、天国を目指していった沢山の先輩方を持つ、この新宿西教会の一員とさせて頂いているのであります。

わたしどもの教会の先輩方には、すばらしい方々がおられます。

大内文平牧師:1881年(明14)~1918年(大7)兵庫県生れ。神童と呼ばれる。上京し陸軍の士官学校へ。卒業後、日露戦争が勃発。乃木将軍の指揮下の第三軍に従軍、旅順攻撃に参戦し白兵戦で指揮刀に手榴弾を受け、その破片で右目右腕を失う。伊豆の陸軍病院で2年間療養。看護婦の勧めで聖書を読む。マタイ5章29節「右の目をえぐり出して捨てよ。右の手を切り捨てよ。全身そろったままで地獄に行くよりもよい」との言葉により、自ら除隊を決意し青山学院神学部に。卒業後、1910年(明43)日本基督同胞教会の決議により、大久保地区伝道の任を受け大久保教会創立に力を注ぐ。27歳。1917年(大6)、日本基督同胞教会から脱会。一年後召天。35歳。

◇柳田文吾牧師:1872年(明5)~1945年(昭20)。宮城県生れ。上京して英語を習得し、教師となり、彦根、神戸等の中学校で教える。日露戦争終了後、一念発起して渡米。米国にてクリスチャンとなる。二六新聞社の招聘で帰国。後に早稲田に英語塾を開き、青学神学部の大内文平神学生と友人となり、後に、大久保教会を創設時、共に労することとなった。1918年に大内文平牧師の急逝後牧師となる。1940年(昭15)高齢で引退。小田原教会から広沢勝彦牧師が赴任。1941年(昭16)6月、日本基督教団に加盟、12月、太平洋戦争に突入。のち敗戦に至る。

◇岡田實牧師:1905年(明治38年)~1991年(平成3年)。滋賀県大津市で誕生。同志社中学1年生の時に賀川豊彦先生の「死線を越えて」を読み感動。父の反対を押して1921年(大正10年)膳所同胞教会(矢部喜好牧師)で洗礼を受ける。16歳の時だった。父の怒りに触れて勘当となった彼は、矢部牧師やニップ宣教師の励ましを受けて献身。一時東京神学社(後の東京神学大学)に入ったが、後同志社神学部に移り、卒業と共に1930年(昭和5年)沼津同胞教会に伝道師として赴任。翌年、水上花江姉と結婚。1933年(昭和8年)岡田伝道師は29歳の時に本所同胞教会に赴任した。そこで按手を受け、牧師となった。そして10年間牧会。1943年(昭和18年)召集を受けてフィリッピンへ。マラリヤにかかったり、マニラ南方の米軍捕虜収容施設での生活等辛酸をなめた。戦後奇蹟的に帰国。焼け跡で本所緑町教会と松戸教会を牧会。そのあと、幾多の苦難を経ながら新宿の地で牧会伝道、1954年(昭和29年)12月18日に日本基督教団から「日本基督教団新宿西教会」の認可を受ける。その後も多くの苦しみがありましたが、後を有馬歳弘牧師に委ねて1991年3月27日、86歳。福島県、石川の地で天に召されました。

 主にある聖徒たち!献身の途中で召されたポール・シード神学生や須藤信志神学生、中村四郎兄、中村京子姉、柳田研一兄、柳田信子姉、饗場節夫兄、山下久美子姉、田原和子姉、鈴木律子姉、小杉和兄、関悦子姉、岡田多鶴子先生、名島武子姉、田原勝太郎兄、西田正兄、佐々木寿和兄、堀口壽賀子姉、加藤輝夫兄・・・・(全ての方々を挙げることはできません。おゆるしください。)

 最後に、このイザヤ45:22の聖句に思いを寄せたいと思います。英国19世紀のすばらしい説教者、C.H.スポルジョンの回心の記録です。    

 「わたしは、16歳の冬の日、ある日曜日の朝、教会に向かったがひどい吹雪で、一歩も進めなくなり、途中にあった小さなメソジスト会堂に入って行った。その会堂には12人から15人位しかいなかった。私は、どうすれば救われるのか知りたかった。しかし、その朝は、牧師が来れなかった。おそらく雪のためでしょう。するとやせた体つきの、靴屋さんか仕立屋さんと思われる信徒説教者が講壇に立って説教を始めた。彼は聖書を開き、「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ」(イザ45:22)と読んだ。それから、「みなさん。これは実に単純きわまりない聖句です。これは『見よ』と云っています。さて、見ることにさほど苦労はいりません。足を上げたり指を上げたりすることとは違います。『見る』だけのことです。見る勉強をしに大学へ行く必要はありません。どんな者でも見ることはできます。見る力を得るため一千歳の老人になる必要もありません。だれでも見ることはできます。子どもでもできます。しかし、この聖句は云います。『わたしを仰ぎ見よ』、と。そうです!」、と彼は強い訛があった。「あなたがたの多くは自分を見ていますが、そこを見ても何の役にも立ちません。あなたがたは決して自分自身の中に慰めを見いだすことはないでしょう。イエス・キリストは、『わたしを仰ぎ見よ』、と云われます。キリストを仰ぎ見なさい。この聖句は云います。『わたしを仰ぎ見よ』、と」。

 そしてこの方は、「わたしを仰ぎ見よ。わたしは、血の汗のしずくを流した。わたしを仰ぎ見よ。わたしは十字架にかけられた。わたしを仰ぎ見よ。わたしは死んで葬られた。わたしを仰ぎ見よ。わたしはよみがえった。わたしを仰ぎ見よ。わたしは天に昇った。わたしを仰ぎ見よ。わたしは御父の右の座についている。おゝ、あわれな罪人よ。わたしを仰ぎ見よ! わたしを仰ぎ見よ!」。しばらくして、彼は階廊の下にいた私に気づいた。「そこの少年。きみは大そうみじめなようすだが」。それはその通りであった。「君はこれからもずっとみじめなままだろう。この聖句に従わない限り、生きている間も、死んでからも、みじめなままだろう。しかし今従うなら、きみは救われるのだ」。そして彼は、両腕を高く上げると、彼はこう叫んだ。「少年よ。イエス・キリストを仰ぎ見よ。見よ! 見よ! 見よ! 仰ぎ見さえすれば生きるのだ」。

 その瞬間、私は救いの道を理解した。他に何を云われたかは覚えていない。救われるためならどんなことでも行なうつもりでいた私にとって、「見よ!」との言葉は何と甘美に響いたことであろう。おゝ、私は目もかすめとばかりに仰ぎ見た。そのときたちまち黒雲は散り去り、暗闇は消え失せ、その瞬間に太陽が射し出た。私は、その場で立ち上がり、キリストの尊い血と、キリストだけを仰ぎ見る単純な信仰とを、ありったけの熱情をこめて高らかにほめ歌いたい思いであった。……私の魂は自分を縛っていた鎖が粉々に砕け散ったのを知った。奴隷であった私が解放され、赦しを受け、キリストに受け入れられ、ねばつく泥地とぞっとするような穴ぐらから引き出され、堅い岩の上に立たされ、確かな歩みが保証されたのを感じた。・・後は省略・・・・

この体験からすばらしい主の器、スポルジョンが生まれました。皆さん。主イエスを仰ぎ見ましょう。まさに、キリストを仰瞻するのです!

【祈り】全能の主よ。わたしどもは今日、永眠者記念礼拝をしています。雲のような証人に囲まれつつ、現在、わたしどもに与えられた指定走路を走ります。あなたを見上げつつ、天国までの道を歩ませて下さい。「わたしを仰ぎ、救いを得よ」。主イエスの御名によって。アーメン