新宿西教会宗教改革記念主日礼拝説教「聖書のみ・信仰のみ・恩寵のみ」ーすべては信仰により、恵みによるー ロマ4:16,17 深谷春男牧師

2021年11月7日(日)主日礼拝
聖書箇所:ロマ4:16,17                        
説教者:深谷春男牧師

 今日は11月7日です。11月10日が、マルチン・ルッターの誕生日。即ち、1483年11月10日に、父ハンス・ルター、母マルガリータの間に、次男として産声を上げました。洗礼を受けたのが、トールのマルチヌスの祝日だったのでマルチンと名づけられたのでした。このマルチン・ルターが成長し、1517年10月31日にウィッテンベルグの城教会の扉に「95箇条の提題」を貼り付けて、宗教改革が始まったのでした。

 明治期、多くの人に影響を与えた内村鑑三は1917年(大正6年)10月31日に「宗教改革400年記念講演会」で、このように話しました。

 新文明、または新世界、あるいは新時代は、1517年10月31日をもって生まれたのである。1920年前に、ユダヤのベツレヘムにナザレのイエスが生まれた日を除いて、この日は世界的に、最も偉大なる一日である。」(内村鑑三著「宗教改革の精神」から)。 内村によれば、宗教改革は、主イエスの誕生の日を除いては、人類歴史最大の日であると言うのです。この日の意義を皆さんで再確認したいと思うのです。

【 今日の聖書箇所の概略 】

パウロは、ロマ書は3章21―26節の「信仰義認」の主題の提示の後に、この信仰の内容は旧約聖書の中心主題だったと、アブラハムとダビデの例を引き合いに出します。それは、ユダヤ人からの反論を想定していたからです。パウロはユダヤ人にとって、信仰の模範であるアブラハムの信仰を語ることによって、「信仰義認」は旧約聖書の中心的主題なのだと語りました。4章は以下の構造となります。

 1- 5 信仰義認 アブラハムの例 創世記15:6

 6- 8 信仰義認 ダビデの例   詩篇32篇

 9-16 信仰によるアブラハムの子孫が世継ぎの約束を受けた

17-22 神の約束を確信するアブラハム。神に不可能はない。

23-25 アブラハムは信仰者の模範となった

【 メッセージのポイント 】

1)16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証される。 (16節)

⇒ 「すべては信仰による」という信仰!

今日の、この個所の翻訳では、わたしたちが使っている1955年翻訳の聖書協会訳口語訳聖書が、一番わかりやすいと思いました。

「すべては信仰によるのである。それはめぐみによるのである」という。アブラハムに神が約束されたように、神の約束は信仰によるのです。 わたしは6年前に、65歳の誕生日を迎えたときに、神様はどのような御言葉を与えて下さるのか、大変、期待があり、2月4日の早天祈祷会に出席しました。この朝の聖書箇所がロマ書4章13~16節でした。ここを読んで黙想している時、最初はあまりぱっとしなくて、3章の記事とか、後の方がすばらしいのに…など思っていました。しかし、読み進む中で、「アブラハムの信仰」へと導かれてゆきました。そして、「信仰こそより始源である」という有名な神学者の言葉を思い起こし、神様との深い人格的交わりである信仰を思い起こさせていただきました。16節の「すべては信仰によるのである。それは恵みによる・・」(口語訳)という御言葉へと導かれて行きました。「救いは信仰により、恵みによる」とはエフェソ2:8と共に、ウェスレーが愛した言葉であり、彼の「標準説教53」の冒頭の説教の聖句です。神様との深い人格的な交わり!としての「信仰」、この世界の造り主であり、救い主である主との人格的交わりとしての信仰こそ、すべての始まりであることをしっかりと覚えたいと思います。

 2)、17 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。         (17 節)

⇒ 「死者を生かし、無から有を呼び出す神を信じる」信仰!    ここは大変興味の深い箇所です。世界の歴史を何度も塗り替えたと言われる「ローマ書」。このローマ書の中で、新約聖書の13巻の手紙を書くほどのキリスト教の歴史に決定的な影響を与えたパウロが、ユダヤ民族の父、信仰の父と言われるアブラハムの信仰について解説しているからです。いわば、新約聖書の代表者による、旧約聖書の代表者の最も大切な内容に関する説明なのです。「 彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じた。」(17節)。ここにはアブラハムの信仰を見る事ができます。ひとつは「死者に命を与える神」。この告白は、申命記32:39、サムエル上2:6、列王下5:7、Ⅱコリント1:9、Ⅰテモテ6:13などに現れてきます。  もうひとつは「無から有を呼び出す神」。この「無からの創造」はマカベヤ下7:28、またフィロンの言葉に神を「無から有を呼び出されるお方」という表現があります。「呼び出す」は、イザヤ48:13や詩篇33:9。この神が「光あれ!」と言えば光あり、神が「海出でよ!」と命ずれば海があらわれ、神が命じれば天空には鳥が飛びかい、大海には魚が群がるというのです。神様は全能の力をもって、奇跡を行なわれるのです。ハレルヤ! わたしどもの信仰も、このアブラハムの信仰に倣うものです。

 改めて考えてみると111年前には、この新宿西教会の建物はここにありませんでした。しかし、主がこのところに教会を建て上げてくださり、ここから伝道者、牧師を輩出し、恵まれた教会を形作られたのです。まさに、神様は無から有を呼び出されるのです。暗闇の世界から光の世界を、死の世界から命の世界を創造されるのです。

 先ほど「『宗教改革』人間歴史の中では最も大事な出来事だ!」と語った内村の、『宗教改革の精神』一緒に、読んでみましょう。

・・・第16世紀の大改革は実に宗教的改革であった。そうして、宗教的大改革でありしがゆえに、ヨーロッパをその根底より改めたのである。まことに、宗教は人生の一方面ではない。その根底であって、その全般である。宗教においてすべてが改まる。政治において宗教が改まるのではない。宗教が改まりて政治が改まるのである。その他、文学、科学、芸術ことごとく然りである。制度、文明、ことごとく結果である。そうして宗教のみ、一人その原因である。そうしてそれはそのはずである。宗教は人の霊魂に関する事柄だからである。宗教は霊的生命である。すべての活動の根本である。「神と正しき関係に入るべし。さらば万事において正しかるべし」。神との関係すなわち、宗教がただされて、万事が正されざるを得ないのである。

 そうして第16世紀の大改革は特に宗教的改革なりしがゆえに、その感化は全般的であって、その結果は永久的であるのである。ルーテルは特に宗教家なりしがゆえに、この大改革の原動力となることができたのである。もし人文の改革なりしならんかルーテル以外にも人はあったのである。エラスムスは彼に勝るギリシャ哲学者であった。ロイクリンは彼に勝ってヘブライ学者であった。されども改革は彼らによっては始まらなかった。もし芸術の改革ならんかラファエロあり、ミケランジェロあり、レオナルド・ダ・ビンチありて、永久不滅の傑作を世界に供したのである。されども改革は彼らをもって始まらなかった。第16世紀は傑物輩出の時代であった。いずれの方面においても、英雄、天才現れて、歴史の舞台を飾った。しかるに特に信仰家ルーテルを待って、大改革は始まったのである。人類はやはり宗教的動物である。宗教はやはり人生の最大問題である。野人ルーテルひとりその心霊の奥深き所に宗教上の大問題を解決して、全世界は彼によりて改まったのである。偉大なるかな宗教!

 ここから、内村は、マルチン・ルッターの信仰は何であったのかを語るが、紙面がそれを許さないので、要点のみをここに記す。

 ① ルターの信仰は、まず聖書への信仰であった。

 ② ルターの信仰は聖書の中でも、キリストの十字架の贖いへの信仰だった。

    特にロマ3:21~28と ガラテヤ2:16~19など

 ③ 救いは、人間の律法の行為ではなく、神の一方的な恵み(恩寵)を仰ぎ、     

    受け入れることによってなされる。ロマ11:5,

そして最後の要約。

 ルーテルの信仰の如くに、人類をその根底において、全般的にかつ永久的に改革せし、文学的思想、哲学的真理はいずこにあるや。キリストの十字架と、これを仰ぎ見て救われるという。これは思想ではない。実験である。理論ではない生命である。宇宙と人生の中心はここにある。

  博士フェヤベーンが言いし如く、

  「キリストは、その血潮したたる掌(て)の中に、

     万物の秘訣を握り給うのである」。

 人はこの中心点に触れて初めて自覚する。国民もまたこの中心点に触れて、真の自己存在に入るのである。人の真の誕生日は、彼が母の胎内を出し時ではない。彼がキリストに接した日である。十字架上のイエスをその救い主として受けし日に、その日に、人も新たに生まれ、国も新たに興る。かくして近代哲学、近代科学、そのほかの近代の大産地は、ルーテルの信仰をもって始まりたりと言うことができる。ヨーロッパの新文明はルーテルの単純なる福音信仰をもって始まったのである。・・・・しかり、今もなお、しかりである。霊が肉に勝ち、愛が武力に勝ち、全人類が再び再生の実を挙げんためには、イエスを神の子と信じる必要があるのである。

【祈祷】主よ、宗教改革記念礼拝を感謝します。この朝わたし共が「聖書のみ」「信仰のみ」「恩寵のみ」の信仰へとしっかり立つことができますように。

「すべてのことの始原となる霊的交わりとしての信仰、

 無から有を呼び出す神への信仰、

 望み得ないのになおも望みつつ信じる信仰」へと導き給え。

            主イエスの御名によって祈ります。アーメン