アドベント第三主日礼拝「マリヤの賛歌」ルカ1:46~56 深谷春男牧師

2021年12月12日(日)アドベント第三主日礼拝
聖書箇所:ルカによる福音書1:46~56                        
説教者:深谷春男牧師

 アドベント・クランツのろうそくも一本づつ火が灯って今日は3本目となりました。今年はアドベントろうそくの伝統に従って、守り方を意識しました。

第1週は「希望のろうそく」     

第2週は「平和のろうそく」

第3週は「喜びのろうそく」     

第4週は「愛のろうそく」

クリスマス・イブは「キリストの光のろうそく」。 

 皆さん、いかがだったでしょうか?第1週「キリストこそわたしたちの希望」第2週は「キリストこそ、わたしたちの平和!」と告白できましたでしょうか?先週は特に、12月8日が「太平洋戦争80周年記念日」で、TVなどで特別番組が組まれ、真珠湾攻撃、玉砕を経験した南洋での地獄のような体験などを伺い、改めて、戦争の狂気と平和の大切さを覚えました。そして、この第3週、魂の深みから湧き出る喜びのクリスマスの備えをしたいと思います。

 アドベント第3週目は「わが魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。」という日々を送りたいですね。

 

【テキストの概略】 

 さて、ルカによる福音書のクリスマス記事を読むと、その喜びに満ちたクリスマスが良く表現されていると思います。第一章の中に示される、バプテスマのヨハネの誕生の記事も、先週の「受胎告知」を受けたマリヤの姿も、そして今日読む「マリヤの賛歌」も、内側から喜びが湧いてくるような記録です。この箇所はマリヤが故郷のナザレから、ユダの祭司ザカリヤの妻エリサベツを訪ねる箇所です。エリサベツのお腹にいた洗礼者ヨハネは、主イエスの母マリヤの挨拶を聞いて喜び、胎内で踊りました。マリヤは喜びに満ちて賛美の歌を歌いました。それが有名な「マリヤの賛歌」です。W.バークレイはクリスマスの象徴であるこの「マリヤの賛歌」は実に「革命の歌」であると紹介しています。神はこの世の貧しい者を選び、この世で軽んじられている者を選ばれ、この世で富んでいる者が斥けられるからです。この詩の原型は、旧約聖書のサムエル記上2章にある「ハンナの祈り」であると言われます。矢内原忠雄先生などは、これはマリヤが「ハンナの祈り」を歌ったのだと言っています。あるいはそうかもしれません。しかし、わたしは、この「マリヤの賛歌」を「人生の革命歌」として読んでみたいと思うのです。それは、心に主イエスをお迎えするクリスマスが実は人生の革命を意味するからです。

47-49b節  マリヤは「心からなる賛美」を主にささげる。

49c-53節  神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを給う。

54- 55節  神の約束、先祖への誓い、神の言葉は成就する。

 

【メッセージのポイント】

1)46 するとマリヤは言った、

「わたしの魂は主をあがめ、

47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。

48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。

今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、

49 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。

(46-49節b)  

⇒ 心の中に、神様への賛美を大きくせよ!

 この「マリヤの賛歌」は「マグニフィカート(Magnificat) 」と呼ばれています。これは 「崇める」というラテン語から来ています。もともとの意味は「大きくする」という語です。賛美の本質は心の中を、神の恵みを大きくすること、神様への賛美で心が一杯になる事を意味しています。

神様への賛美が、感謝が、恵みがいっぱいになる事、ここにクリスマスの本質が示されていると思います。

 以前、教会のクリスマス祝会で、楽しいゲームやクイズの時がありましたが、その時の正解者へのプレゼントがありました。壮年会の用意したプレゼントは、マグカップでした。その時の、壮年会の解説では「皆さん、クイズの正解者には、マグカップを差し上げます。マグは、「マリヤの賛歌」、マグニフィカートのマグと同じで、「大きい」という意味です。神様を、ここから讃美するこころは、もう神様の恵みで一杯でした。このマグカップで、コーヒーを飲むときには、こころが神様ヘの愛で一杯になる事を思い起こして下さい。マグカップで~す。」

 ですから、聖書の中のクリスマスに関する記事は讃美や詩歌で満ちています。神の御子の誕生です。天でも地でも讃美がわきあがるのです。実にクリスマスは讃美の時です。マグニフィカートはクリスマスの代表的な聖書箇所ですが、クリスチャン生涯を示す典型的な箇所であると思います。

 クリスマスの時期は大変忙しい時です。以前、この時期に、夜中、遅くまで仕事をしていて疲れてしまい、些細なことで家内と言い争いをしてしまったことがありました。気まずい思いの中で黙々と仕事を続けておりましたが、しばらくすると隣の部屋から、クリスマスの讃美歌が流れてきました。彼女の方でもこれではいけないと心を主に向けたのだと思います。マリヤさんがマグニフィカートを歌っているように感じました。

 

2)、そのみ名はきよく、

50 そのあわれみは、代々限りなく

主をかしこみ恐れる者に及びます。

51 主はみ腕をもって力をふるい、

心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

52 権力ある者を王座から引きおろし、

卑しい者を引き上げ、

53 飢えている者を良いもので飽かせ、

富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。(49c-53節)

 ⇒ 主は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを給う!

 この「マリヤの賛歌」で歌われる第二の主題は「主の御前に深くへりくだること」です。「主は高ぶる者を退け、へり下る者に恵みを給う」の一語につきると言えます。神の恵みの性質は水の自然の法則と共に、低い方に流れて行くのです。ピリピ2章にあるように、キリストの降誕は、神ご自身の「謙卑(ケノーシス)の奥義」を示します。

  以前、首都圏キリスト教大会という集会で滝元明という先生をお招きしました。本田弘慈先生と同じくすばらしいエバンジェリストでした。この先生のメッセージはとても分かりやすいものでした。「幸福になる道」という説教でした。開口一番先生は「皆さん。幸せになりたいと思いますか?もしも幸せになりたいのなら、必ず幸せになる道があります。それは『へりくだる』ことです。・・・」と語られました。

 

3)、54 主は、あわれみをお忘れにならず、

その僕イスラエルを助けてくださいました、

55 わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを

とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。(54,55節)

  ⇒ とこしえにあわれむと約束なさったとおり!

 神の民は、旧約も新約も、「聖書信仰」の民です。55節に「先祖に約束なさったとおり」とは、預言者たちの語った神の言葉、聖書の言葉への信仰告白です。クリスマスとはまさに旧約聖書の中で約束されていた事が実現したということ、すなわち、メシヤ、キリストが約束通りわたしどもの世界に来られたということ。マリヤの賛歌は神の御言葉への深い信頼なのです。

 佐藤敏夫先生の体験した喜びのクリスマス。

 牧師であり神学者であった佐藤敏夫先生は20代のはじめ太平洋戦争で南方に派遣されるという体験をされました。ある日の夕方、厳しい軍事訓練の毎日で心身ともにへとへとに疲れ果てていた。その日も一日の厳しい訓練を経て、その後、上官の革靴を磨いていました。その時ふと、「あ、明日はもうクリスマスだ!」と思い出しました。緊張の毎日でクリスマスのことも忘れていたのでした。「明日はクリスマスだ。そうだ、主イエスがこの世に来てくださったのだ。」クリスチャンの彼には、クリスマスの意味がよくわかっていました。その時、今まで生きてゆくことの苦悩や不条理、悲しみや苦しみといったもので心がいっぱいだったのに、それらの越えて不思議な喜びが起こってきました。その「クリスマスの喜び」は、まさに魂の深みから起って来る、すべてをつつむ喜びでした。そして、敗戦。命かながら生き延びて日本に帰って来られました。戦後、平和な、豊かな時代がやってきました。神学校を卒業して、牧師となった彼は教会でクリスマスの礼拝と共に祝会も守るようになりました。しかし、楽しいクリスマスはしっくりゆかなかったと言います。「クリスマス、本当のクリスマスはこのように浮かれたものではない。南方で経験した苦しみの中で、絶望的な状況の中でのクリスマスだった。罪と死に支配されているかに見える人間の存在そのものを、もっとも深いところで支える深い喜びそのものであったあのクリスマスの告知・・・」。でも、楽しそうにしている子供たちや教会員の姿を見て、彼はこのように語ったと言います。

「魂の深みから湧き上がる喜びのクリスマス。楽しみさえもある、喜びのクリスマス」と。


【祈祷】  慈しみの御神。このアドベントの時、「マリヤの賛歌」を学びました。心一杯の讃美と、深いへりくだり、そして御言葉への堅実な信仰をしっかりと持たせて下さい。神様の愛に満たされ、喜びに満たされ、人生に革命を起こす本当のクリスマスを迎えさせて下さい。わたしたちの救いの源、喜びの源である、主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン