アドベント第二主日礼拝「お言葉どおりこの身になりますように」ルカ1:26~38 深谷春男牧師

2021年12月5日(日)アドベント第二主日礼拝
聖書箇所:ルカによる福音書1:26~38                        
説教者:深谷春男牧師

 教会暦で言いますと、1年は「アドベント」から始まります。これは、新しい1年は、心の中にキリストをお迎えする「備え」をするところからだ、という信仰の表現でもあります。わたしたちの人生は、ほんとうに新しくなるのは、心の中にキリストを迎える時です。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(Ⅱコリ5:17)とある通りです。先週の礼拝は、アドベント特別礼拝で、世界的なチェリストであり、また宣教師でもあるベアンテ・ボーマン先生とルリ子先生をお招きしました。まさにアドベント、元旦にあたる日に、素晴らしいメッセージと驚くべきチェロの響きの霊的なコンサートとなりました。今も妙なる賛美が心の中に響いています。

 ある説明によるとアドベントろうそくは、第一週目は「希望」のろうそく。第2週目は「平和」のろうそく、3週目は「喜び」のろうそく。第4週目は「愛」のろうそく。クリスマスイブの12月24日が、ついに「キリストの光」のろうそくと呼ばれるとありました。(アパ・ルーム38、39ページ)。11月28日のろうそくは「希望」のろうそくでした。そして今日は「平安」「平和」のろうそくであります。なんとすばらしい恵みでしょうか。今日は共に、マリヤへの天使ガブリエルの「受胎告知」の内容を読みますが、ここから深い「平安の祝福」を読み取りたいと思います。

 【今日の聖書個所の概説】 

 今日与えられた聖書箇所は、乙女マリヤに天使ガブリエルが、受胎告知をする場面です。詩人であり画家でもあったといわれるルカは主イエス誕生の恵みの物語を美しい一幅の絵画のように描いています。可憐な花の咲き乱れるナザレ(春の意)の村の清楚な乙女のもとに現われる天使。そしてその受胎告知を従順に受け入れるマリヤの姿にクリスチャン生涯の「聖寵満ち満てる」救いの到来を見る事が出来るのです。

 【メッセージのポイント】

1)、26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。(26~28節)

 ⇒ よろこべ!愛されている者よ。主が共にいます!

 天使ガブリエルがマリヤに語りかけた言葉「おめでとう、恵まれた女よ、おめでとう。主があなたと共におられる」は、今日、あなたにも語られています。このアドベント第二週は「平和」のろうそくを灯したいと思います。新宿西教会はこの教会ビルを「シャロームビル」と呼んでいます。ユダヤ人は、戦火の絶えない地域に住んでいてこの「平和」を愛し、挨拶は、朝も昼も夜も、いつも「シャローム」でした。聖書の「平和(シャローム)には二つの意味があります。一つは神との平和。二つ目は人との平和です。まず人間は、「神との平和」を獲得しなければなりません。聖書によれば、人間は神と離反しているのです。「神の顔をさけて」逃げ続けているのです。キリストの十字架によって「罪」という神との平和の妨げている物を取り去っていただき、神と和解して、本当の自由を得ることになります。その時、人との和解も始まるのです。

「おめでとう!」という言葉は「カイレ」( kaire )という言葉で、もともとの意味は「喜べ」という言葉です。英語のNKJVは”Rejoice”と訳しています。「喜びなさい」と天使はマリヤに語ったのです。「恵まれた方よ!」これは「愛されている者よ」という意味です。文語訳では「めでたし、恵まれし者」となっておりまして、クリスマスのたびに、恵まれた高山師が声を張り上げて語った懐かしい句です。「あなたは神から恵みを頂いた」(30節)と続きます。めぐみとは神の愛、神の恩寵の満ち充てる状態を意味する言葉です。主の救いに預かった経験を持つわたしどもにとって、これはわたしに語られたみ言葉であると確信します。クリスマスのメッセージの第一は「神の聖なる恩寵の充満!」です。そして、それは神の圧倒的な介入、神ご自身の深い臨在からおこってくる、恩寵の充満の姿です。 

 

 わたしは、キリスト教とはまったく無縁の世界で生まれ、育ちました。小学3年生のころに神主の息子、かつのり君が僕に言いました。「あのね、うちのお父ちゃんが言ってたんだけど、クリスマスって、キリストの誕生日なんだって」。僕は「え~?まさか・・。サンタクロースがプレゼントを持ってくる日だよ・・・」。「うちの父ちゃんは何でも知っているから、間違いないと思うよ。」「へ~?信じられないよ。」

 それから小学校5年生の時に、担任の田中先生がHRの時間に、シュバイツアー博士の話をして下さいました。「シュバイツアー博士は、牧師さんの子供でクリスチャンでした。ある時、ドイツのいたずらっ子達が集まって、やせたお年寄りに石をぶつけていました。その時、みんなと一緒に石を拾って「マンシェ、ユダヤ人のマンシェ!」とはやし立てて石を投げていたのに、ユダヤ人のそのおじいちゃんは、子どもたちに優しい笑顔を見せて微笑んでいました。その時、アルバート少年の手に握っていた小石は、ポロリと手から落ちて、「石を投げてはいけない!」と強く示されました。このアルバート・シュバイツアーは、有名なオルガン奏者になりました。そして30歳近くなったころにアフリカで悪い病気が流行り、お医者さんがいないので死んでゆく、と言うニュースを聞いて、それから医学を修め、アフリカに行って、多くの人々を病気から救ったのです。皆さんも、大きくなったら、苦しんでいる方を助けることのできる人になれるといいですね。」わたしは感動して聞いており、ああ、世の中にはクリスチャンという人がいるのだと気がつきました。

 それから中学生になった時に、担任の先生は渡辺正夫という先生でした。この先生はクリスチャンと言うことで有名な先生でした。23歳の若い先生で、13歳の中学生のわたしたちに裸でぶつかってくれるような、面白いお兄さんのような先生でした。この先生のお家に遊びに行ったら、先生の本箱の隅に「内村鑑三」の写真がかけてありました。この先生との出会いで、わたしは決定的な影響を受け、偉人伝を読んだり、世界文学を読んだりして、キリスト教とぐっと近づくこととなりました。先生の影響は続き、高校2年生の時には、倉田百三や内村鑑三などを読むようになっていました。

 美術系の大学を狙って、油絵を描きながら浪人生活を始めました。浪人1年生の時代に山本泰次郎著「内村鑑三の根本問題」という本を読んで教会に行き、求道生活を始めました。そして1969年12月21日、クリスマスの日に練馬開進教会で洗礼を受けました。19歳の時の出来事でした。

 その洗礼を受ける直前だったでしょうか、「ベンハー」という映画を見に行きました。友人と共に見に行ったのですが、わたしは映画の初めに、真っ暗闇のベツレヘムの馬小屋の上に星が映し出され、流れ星が流れる場面を見た時に、「来た~!キリストが来た~!」わたしは気がついたら、涙が止めどなくこぼれ落ちました。激動の時代を生きるユダヤ青年、ベンハーが奴隷となって引かれて行く時も、ナザレの村である一人の青年から、水を飲ませていただく場面がありました。キリストの後ろ姿が映りました。その時も、涙があふれました。このキリストが、わたしの心に今も生きておられます。

 あの洗礼を受けた日から数日たったころに、夕日が窓から入ってきて、とても美しいシルエットを作ってくれました。わたしそれをスケッチしながら、「ここに、こんな平安な時がある」と書き込んだのを覚えております。

2)、29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。(29―33節)

⇒ 恐れるな、マリヤ。あなたは男の子を生む!

  クリスマスメッセージは更に続きます。あなたが身ごもって生む子供にイエスと名付けよ。「父ダビデの王座はその子に与えられている!」という宣言です。天使ガブリエルは、マリヤから生まれて来る幼子イエスこそ、「永遠にヤコブの家を治められるお方」なのだというのです。主イエスキリストこそは「王の王、主の主」(黙示録19:16)なのです。救いの力は主イエスにのみあるのです。その十字架にあり、復活にある!のです。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒4:12)。わたしどもも、この主イエスを、聖霊によって心の中に宿すのです。マリヤのように。

 

3)、34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。37 神には、なんでもできないことはありません」。38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。(34~38節)

⇒ お言葉どおりこの身になりますように!       

 36、37節には、まず、神の全能の御力への告白があります。「神にできないことは何一つない。」これは何と言う力強い言葉でしょうか?これは、創世記18:14にある90歳のサラに語られた言葉でした。なんと、クリスマスは全能の神の発現であると聖書は語っています。

 この一句は、わたしの皆様へのクリスマス・プレゼントです。これは「ハイッパレ メ・アドナイ」という言葉です。

 この言葉を、本当に信じるときに、奇跡が、起こります。「あなたも救われますし、あなたの家族も救われます」。親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている」と神の全能性の証明をしています。

 ここにはまだ幼さの残る13,14才ぐらいであったろうと言われますが、マリヤの一途な神への献身が表現されています。「お言葉どおりにこの身になりますように」という告白はたいへん重い言葉だと思います。結婚をしないで子を宿すことは、姦淫を意味し、これは性的な潔癖を重んじる当時のユダヤ社会では、軽蔑と断罪と迫害を意味していたのです。ひどい場合は石打ちの刑です。マリヤはそれをあえて受けました。ここにはそのような意味で、クリスマスのメッセージ「み言葉に従順であれ」という内容が示されております。「主よ。シャロームの一週間を歩ませてください!」「喜べ!愛されている者よ!恐れるな。神には何でもできないことはない!」ハレルヤ

 

【祈り】 愛の神よ。アドベント第2主日の礼拝を感謝します。マリヤの信仰を学びつつ、「神の平和」の週を迎えました。わたしどもの霊の目を開き、あなたから愛され、豊かな恵みと祝福を受けている者であることが良く分かりますように。わたしどもはあなたの愛なしには生きられません。あなたの恵みによって、真の平安、真実な平和を与えてください。あなたの全能を信じる信仰者としてください。「わたしは主の僕。お言葉どおりこの身になりますように」との献身の祈りを捧げます。わたしどもの罪を贖うために、ベツレヘムの馬小屋にまで降られた、平和の君、主イエスの御名によって祈ります。アーメン