成人祝福礼拝説教「むしろ聖霊に満たされよ」エペソ5:15~21 深谷春男牧師

1月9日(日)成人祝福礼拝説教
聖書箇所:エペソ5:15~21                        
説教者:深谷春男牧師

この聖書箇所は、わたしの遺言にしたいような聖書箇所です。今日の「成人祝福礼拝で、このエペソ5章より成人された二人の方々にお勧めし、また共に礼拝する兄弟姉妹と共に、聖書の語る知恵をいただきたいと思います。

【 今日の聖書箇所の概説】

今日の聖書箇所は、「エペソ人への手紙」です。この手紙は、以下のように、大きくふたつの主題から成り立っています。

1-3章 教理の部  救いについて、特に教会という視点から。

4-6章 実践の部  救いを受けた者の勝利の教会生活について。

 今日の5:15-20は、パウロが信仰生涯の最高の知恵を語っているところです。「知恵」はユダヤの社会では特別の重さを持っています。箴言8章で神は創造の初めに「知恵(ホックマー)」を造り、この「知恵」が神の創造の業を担ったと告白されています。ヨハネ1章はこの知恵はキリストであると言い、パウロは救われた者は「この知恵により賢く歩め」と勧めています。

 

【メッセ-ジ・ポイント】

1)15 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、16 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。(15、16節) 

⇒ 贖(あがなわ)れた人生を生きよ!  (人生の奥義的智恵)

 賢い人生の第1は「時を生かして用いなさい。」と言うことです。これはもともと「時を買え」という言葉で、人生にとってまさに「時は金なり」「時は命なり」と教えています。時間を浪費する者は最も愚かな者です。しかし、この「買う」は、「あがなう」という言葉で、ガラテヤ3:13ではキリストの贖いの意味で用いられています。わたしどもは主に「あがなわれた人生」を生きるのです。これが最も知恵ある者の人生です。主イエスの贖いの恵みを知らないものの人生は、根本からその価値と生きる意味を見失ってしまうのです。

「一万年後」というカッパブックスの科学の本の中でA・ベイリー教授はこのように言っています。

「やがてわたしたちは月に住む時代が来るであろう。その時にノイローゼが多くなる。人間が月に住めるような環境を整えるためには莫大なお金がかかり、一秒が天文学的な金額になるためにゆっくり眠ることができなくなるから、ノイローゼが増える。」

ずいぶん、うがった考えですね。しかし、顧みればわたしどもがこの地上で生きていること自体が奇跡なのですね。今日成人を迎えた兄弟姉妹。自分が今、このように整備された、便利な社会のただ中でその安全性と人権を守られながら生きうること、これは気の遠くなるような、人類の先輩たちの恩恵に預かっているのです。水道をひねれば水が出るし、温かいお湯までも出る便利さが、現代日本では当たり前ですし、読みたいと言えば世界中の書物も、しかも日本語で読めますし、どこにでも行くことができます。でもそのような文化的な世界を完成するまでには、気の遠くなるような多くの人々の努力や莫大な犠牲に裏付けられていることを思うと、実に感謝に耐えないと感じます。

数年前の埼玉地区教師会:久保寺俊之先生。「わたし75歳。もう少しで私は死にます。地上での歩みは死んだらすぐに忘れられてしまいます。」

*ショウぺンハーウェル。彼は人間存在に深い疑問を覚え、黙想しながら、ドイツの町を歩いていた。ふと、大きな庭園には入り、迷ってしまった。園丁がやってきて、この不審者に「君はいったい誰だ?」と厳しく質問した。そうしたらこの高名な哲学者は「わたし?わたしは一体何者なのでしょう?わたしはわたしが誰かわかりません。教えてください」と答えたそうです。彼は病院に送られた、と瀬尾要造先生の説教集にありました。人間存在は究極の謎です。主イエスの贖いの恵みに生きるというこの一点を失うと、すべてが混乱と迷宮へと入ってしまうのです。

それらの愛と犠牲の究極の出来事は神の子の十字架の贖いです。主イエス様が愛と祈りを持って、わたしどもの人生の最も深い罪と汚れの問題を十字架の上で贖ってくださったのです。その主イエスに贖われた事実を人生の土台とすべきであることを教えられます。 

 

2)18 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、(18節)

⇒ 聖霊に満たされた人生を生きよ! (信仰の奥義的智恵)   

 賢い人生の第2は「聖霊に満たされて生きる」ということです。この聖句の直前には「酒に酔うな」とあります。酒に酔うのと聖霊に満たされる事とは関係があるのでしょうか?たぶんこうでしょう。人生には苦しいことが多くあります。特に古代の底辺で不条理な苦難を受けていた人々にとっては人生は苦悩と悲惨に満ちていたのではないでしょうか?暴力に支配され、基本的な人間としての尊厳も守られなかった時代の生活はある種の人々には地獄のように感じられたに違いありません。そのような時の最大の誘惑は、酒に逃げる事でした。酒の力を借りて、理性を麻痺させて、解放感に酔うことであったと思われます。しかし、現実に酒の力を借りて、解放感に浸り、騒ぎまわっても、冷めた後は、更に空しさと自己嫌悪に生きる気力を失うことになります。特にアルコール依存症にでもなったなら、家族もろとも、地獄の淵に追いやるような悲惨が待っているのです。使徒パウロは酒に酔うな。「むしろ、聖霊に満たされよ」と語ります。元訳聖書は「宜しく御霊に満たさるべし」です。「信仰生涯の最大の知恵は「聖霊の満たし」です。信仰生涯の勝利はここから来るからです。

ある年の東京聖書学校の退修会という集会で、カナダの霊的なリーダーであるオズワルド・スミス博士の「聖霊の満たし」を学んだことがありました。この本は、その冒頭にこのようなことが記されています。「聖書の一番大切な命令は何か?聖書は多くの命令がある。「主イエスを信じなさい」、「バプテスマを受けなさい」、「戒めを守りなさい」、「隣人を愛しなさい」・・・等々。しかし、一番大切な戒めは、「聖霊の満たし」、すなわち「聖霊に満たされなさい」と言う命令である」とオズワルド・スミス博士は言います。なぜなら、罪の中に生き、罪の力に影響されているわたしどもは、自分の力でよき業をしようとしても、なかなかできない。わたしどもの肉の性質のままでの行動には多くの不純物や、不安とストレスがともなうのです。われらは肉の力では伝道をすることが難しいのです。隣人を愛することも難しいのです。愛するどころか、その人の弱さや醜さに触れて、自分のどうしようもなさは棚に上げて、人を批判したり、憎んだりしてしまうのです。なんと人間は弱い、愚かな存在なのでしょうか?

しかし、聖書は言います。聖霊なる神様を心に歓迎し、明け渡し、満たされてゆくときに、霊的な力を経験するのです、と。使徒行伝1:8には、主イエス様の大切な言葉が記されています。

「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

復活の主イエス様に出会った弟子たちが、世界宣教に出て行くのは今ですか?と質問したときの答えです。.主は言われました。「上からの力に満たされるまで、都にとどまれ」。そして弟子たちは10日の祈りの時を持ち、聖霊の力に満たされて、ペンテコステを体験してから、世界宣教へと遣わされました。肉の力では何もなしえません。「聖霊が下ると!力を受けるのです」。そして、地の果てまで主イエスの証人になることができると言われるのです。

韓国のキャンパスクルセードのリーダー、金俊坤先生が、その違いを、リヤカーと自動車の違いであると語られました。長い坂道を汗をかきつつリヤカーを引きつつ歩むのと、力強いエンジンの力でブーン軽々と運ばれる生涯は大きく異なります。まず、「聖霊の満たしを求めて歩みましょう!」ハレルヤ    聖霊に満たされて歩むことは、二つの特徴があります。一つは「神の救いの計画」を知ること。聖霊なる神が聖書の真の著書です。聖霊に満たされるとは、聖書を深く知ることです。聖霊様、助けて下さいと祈りつつ聖書を読むと、創世記の初めから、黙示録の終わりまで、聖書が本当によく分るのです。もう一つは、聖霊様はわたしたちに謙遜と深い愛を与えて下さいます。

更に言えば聖霊なる神は三位一体の神ご自身です。聖書の全体から見ますと、「父なる神」は「創造」を司り、歴史の主権者として理解できます。

「子なる神」は和解を司り、旧約で預言され、新約の主イエスを意味します。、「聖霊なる神」は「救いの完成」を司り、主イエスの昇天後、ペンテコステの時に下られ、使徒行伝は、聖霊行伝と呼ばれています。

父なる神は上なる神、御子なる神は共なる神、聖霊は内なる神とも呼ばれています。これらの神は、三つにして一つです。

「聖書の深い理解」と、「天来の愛」に満たされた生涯!今日、新成人になられる方々に、すばらしい祝福の生涯へのはなむけの言葉です。

 

3)19 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。20 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、21 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。(19~21節)  

⇒ 賛美し感謝の人生を生きよ!  (勝利の信仰生涯の奥義的智恵)

 賢い人生の第3は「主を賛美すること」です。造り主であり、救い主である主を讃えることです。詩編では「主をほめ讃えることが命であり、主を讃えないものは死のうちにいる」と語られます。花が命の源である太陽に向って開くようにわたしたちも心も口も神に向って開きたい。また、「すべてのことについて感謝すること」です。生きて行くときに起こってくるさまざまな問題に出会っても暗くならず、失望せず、輝くことのできる秘訣はここにあります。いつでも感謝し喜んでいられるのは神の最善を信じているからです。

信仰生涯において、神の知恵に満ちて深く、恵みと勝利のクリスチャン人生を歩みたいものです。主にあがなわれ、キリストの花嫁とされたのですから、地の果てに至るまで主の証人となりましょう。ハレルヤ

 

【 祈り 】 天の父よ!2000年に及ぶ人類の歴史を導き続け、今なお多くの人々を生かし続ける「救いの福音」の中心内容を学ぶ機会を感謝します。自分自身の破れの深さを知り、十字架の贖いの業をしっかりと心に刻むことを得させて下さい。また、魂を聖霊に満たし、心を讃美と感謝に満たしてください。新成人にすばらしい恵みあふるる生涯を!主イエスの御名によって。アーメン