新宿西教会主日礼拝説教「時は満ちた、神の国は来た!」 マルコ1:14,15 深谷春男牧師

2月6日(日)主日礼拝説教
聖書箇所:マルコによる福音書1:14,15                        
説教者:深谷春男牧師

 最近、木曜日の聖書研究祈祷会での美歌子先生の担当の時はマタイによる福音書を学んでおります。わたしの時には詩篇の学びでわたしは大きな喜びをもって語っていますが。マタイの方は13章の学びです。ある意味でマタイの中心部と言われる内容。天国のたとえが続いております。前回、13:51で「あなた方はこれらのことがすべてわかったか?と弟子たちに質問した時、弟子たちは「わかりました」と答えたところを学びました。その時、祈りの中で、「天国が来ているのだ!」と強く示され、「説教で語りたい!」と思いました。

【聖書箇所の概説】

新約聖書には四つの福音書、つまり、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書があります。以前にはこの順序で書かれたと考えられていました。しかし最近では、福音書の研究が進むにつれて、マルコが最初に書かれ、マタイもルカもマルコを土台としつつ書かれたことが分かってきました。塚本虎二という方の岩波文庫の福音書などは、マルコ福音書から始まっています。マルコはパウロの弟子で、パウロから大きな影響を受けています。この福音書に語られていることの全体、つまり主イエスのみ業、教え、そして十字架の死と復活が語られ、この福音が、全世界へと宣べ伝えられることとなりました。昨年から、時々、マタイ福音書13章の学びと関連し、マルコ福音書を読みつつ大きなチャレンジを受けています。

 今日学ぶ、マルコ福音書は「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉から書き始められています。そして今日の聖書箇所は、マルコによる福音書の中での、主イエス様の宣教の第一声です。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」ここには主イエス様がその生涯のはじめの説教で大変強いアッピールを込められています。

【メッセージのポイント】

14 ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、15 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

 この聖句はすばらしいですね。主イエスの生涯のメッセージの要約ですね。ここには4つの重要な内容が込められています。

 

1)「時は満ちた」

 今や主イエスの到来と共に恵みの世界がやってきた。実際はバプテスマのヨハネが捕らえられてヘロデの魔の手が伸びてくるような暗い時代でした。でも、夜明けが一番暗いと言われます。しかし、このような時に、主イエスはまず、「時は満ちた」と宣言されました。「時が満ちる」とはどういうことでしょうか。

 ここで「時」と訳されている言葉は、私たちが普通に「時間」という意味で用いている言葉とは違う言葉です。過去から現在へ、そして未来へと流れていく時間を意味する言葉は、聖書の言語ギリシャ語においては「クロノス」といいます。それに対してここで用いられている「時」は「カイロス」という言葉です。それは、以前、イザヤ・ベンダさんの「日本人とユダヤ人」で話題を呼びましたが、自然に流れていく時間とは違う、特別な意味を持った時、それによって歴史が変わるような、そして私たちに新しい生き方を迫ってくるような時を意味しています。その「カイロス」が来た、それが「時は満ちた」という意味なのです。 

 この「クロノス」と「カイロス」の違いという話は、ある文筆家によれば、2011年3月11日は日本に住む者たちにとって「カイロス」であり、2001年9月11日はアメリカ人にとって「カイロス」だと言います。その他の日とは意味が違う、そして歴史が、また人々の運命が大きく転換した日、そういうカイロスが、一人一人の人生にもあるし、国の歴史にもあるし、人類全体の歴史にもあるのです。
 主イエスは、そのような特別な意味を持った時が今や来ている、とお語りになりました。主イエスがこの世に来られたことによって、世界の歴史を変え、そして私たちに新しい生き方を迫る、神の福音のカイロスが満ちたのです。主イエスキリストを信じて、バプテスマを受けることは、人生の新しい時、あなたの生涯が、天の世界に生まれ変わるその時なのです。「運命の時!」なのです。


2)「神の国は近づいた」

 さらに「神の国がもう来ている」という宣言が続きます。神の国とは神の支配という意味です。神の愛と恵みの支配の時はもう、来ているのです。英語ではat hand と翻訳されていますね。もう手の届くところまで来ているのです。 神の時、カイロスが満ちたことを語るのです。これは主イエスの宣言ですね。現実にはヘロデの支配や困難な問題が山積している。個人の生活にも、社会全体にも山のように問題は差し迫っている。しかし、今や、神の支配は「近づいた」、「来ている」と主は語られるのです。聞いている、あなたが意識するために語られているのです。神の国は遠い、はるかかなたにあるのではない。もう目の前に来ている。 at hand の状態にあるというのです。

 

3)「悔い改めよ」

 これは自分中心の愚かな世界を終えて、神様の恵みの世界に帰っておいでという言葉です。方向転換をするという意味です。これは神様のご支配を信じて受け入れ、それに服することを選び、その道を歩みなさい、ということです。主イエスは私たちがそういう決断をすることを願い、期待しておられます。

 これは旧約の預言者が語ったメッセージと同じです。預言者エレミヤは「背信のイスラエルよ、帰れ!」と語りました。あなたの神に帰れ!というのです。ユダヤの言葉では「シューブ!」という言葉です。

 数年前に東調布教会でチャペルコンサートがありました。そこで、蜷川いづみさんのバイオリン演奏がありましたが、東調布教会の信徒の方がリードする「ゴスペル」の賛美がありました。そのグループの名前が「シューブ」と言いました。神様に立ち返るという意味です。

 夕方になって遊び疲れた子供が、両親の待つ明かりのついた我が家に帰るように、わたしどもは自分の方向を変えて、神様のもとに帰るのです。主はわたしどものそのことを勧めているのです。

 

4)「福音を信ぜよ」

 「神の福音を信じて恵みの中を歩みなさい」と主イエスは語られました。福音の一番中心は主イエスの到来によって、罪と死の支配は終わったというのです。それは結論から言えば「主イエスの十字架と復活によって、わたしたちの罪と死の悲惨は終わった」という出来事なのです。「福音を信じなさい」とは、主イエスのご生涯全体を通して実現する、神様による救いのみ業を信じなさい、ということ、その中心は、神様の独り子である主イエスが、私たちの罪を、自分の王国に閉じこもり、そのために神様をも隣人をも、愛することができずに憎んでしまい、良い関係を築くのでなくいつもそれを破壊してしまう、そのようなわたしどもの罪を、全て身代わりに背負って下さり、十字架にかかって死んで下さったこと、それによって神様との関係を回復し、さらに主イエスを復活させて下さることによって、父なる神様が私たちにも、神の子として生きる新しい命を与えて下さっているということです。主イエスの十字架の死と復活によって与えられる罪の赦しと新しい命という福音が、主イエスのご生涯全体によって福音として語られているのです。心の向きを180度変えて、神のご支配に生きる、人生のカイロスの時が来ていると主イエスは宣言なさったのです。

主にある恵みの一週間を歩みましょう!ハレルヤ

 

【 祈 り 】父なる御神。今日はすばらしい主イエスのガリラヤでの最初の説教、恵みの第一声を聞きました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」わたしどもはこのところから、歴史の転換点になるような、わたしどもの人生の転換点になるような、神の時が来て、神の支配の中に、立ち返って、福音を信じる恵みの歩みを始めます。聖霊による勝利と喜びを与えて下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン